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いつもより早めに起きた華蓮は慣れた手つきで寝癖で乱れた黒髪を整え、ポニーテールを作り上げる。
制服に着替え後に鞄の中の荷物を確認する。妖退治屋になってから持ち歩くようになった小さいポーチを取り出し、部屋を出る。
今日は週に二回やっている朝の見回りをするのだ。
毎日するべきではないのかとは思うが、流紀曰く毎日見回りする必要があるほど人間界に妖は存在していないらしい。
華蓮としても早めに起きる日が少なくなるのはありがたいことなので、特に言及することはしないことにした。
「流紀はどこに行ったのかしら」
部屋にはいなかったから、てっきり先に外に出ているのだと思っていたが周りにそれらしき姿はない。
気付いたらいつも傍にいるので、普段、流紀がどこにいるのか実はよく知らない華蓮である。
祖母のところだろうかなどと思考を巡らしながら流紀が来るのを待つ。
短気な本音を言うと置いていきたい。けれども自分が未熟だということは理解しているので苛立ちながら流紀を待つ。
華蓮が妖退治屋になって今までに遭遇した妖の数は(流紀を除いて)六匹。そのうち華蓮が退治した妖の数は0。
大抵の場合、流紀かたまに同行している焔がまごつく華蓮より先に退治してしまう。これでも二人とも華蓮が退治できる機会をいくつか作ってくれていることが分かっているからこそ、尚更未熟さを痛感させられる。
欠伸を噛み殺しつつ、塀にもたれて流紀を来るのをひたすら待つ。一向に来る気配がない。それでも待つ。待つ。待つ。待つ。待つ待つ待つ待つ待つ……。
「もういい、流紀なんて置いていってやるわ」
華蓮が一人で歩き出したのを見計らって、二つの影が降り立つ。
女性にしては長身で、燃えるような髪を桜の髪飾りで纏めた人物。剥き出しにされた肩には銀色の毛並みを持つ猫が乗っている。
深緋と藍白の二対の瞳が遠ざかっていく華蓮を見つめていた。
「いいのか。あいつ一人で行かせて」
「ああ、私が一緒にいると無意識に頼ってしまうからな。華蓮もそろそろ自分一人で妖を倒したいだろうし」
面白そうなので、焔は特に言及はしない。
主である桜から何か言われているわけでもないので、自分が面白そうと思うことに喜んで参加する。
「いっそのこと本性に戻ったらどうだ?」
流紀の本性を華蓮が見たのは最初の一度きり。それもそんの少しの間だったので、服装さえ変えれば気付かれることはないだろう。
仮に見つかったとしても、他人のフリをしておけばある程度の言い逃れはできる。
「無理だって分かってて言うな」
「もう随分経ってるというのに……少し気にしすぎじゃないか」
「別にいいだろ」
不貞腐れたように吐き捨てる流紀にやれやれと肩をすくめる焔。
デリケートな部分に触れたという自覚はあるが、謝罪はしない。謝罪が必要なことを言った覚えはない。
数十年の付き合いで、互いのことを嫌というほど分かっている一人と一匹は気にしたふうもなく歩を進める。
所謂、尾行を続ける二人組。傍から見れば怪しいことこの上ないが、彼女らの姿は霊視力の強い者にしか目にすることができない。
一人で妖退治をさせるにはやはり華蓮は未熟なので、いざという時にはいつでも出ていけるようにこうして尾行をしているのだ。
「それにしても注意力が足りないな」
「確かに」
尾行されていることに一切気付かない華蓮に一抹の不安を覚えながら、二人は顔を見合わせて口元を綻ばせる。
「いないみたいね」
後ろに流紀達がついてきているなんて夢にも思っていない華蓮は今日のルートを見回りし終え、一息吐く。
無意識にでも頼りにしている流紀がいないので、精神的な疲労感がいつもより数倍大きい。
休める場所がないか視線を巡らせた華蓮の懐から甲高い機械音が鳴り響いた。健からもらった妖探査機の音だ。
緩みかけていた警戒心を強め、妖探査機を確認する。光点が示す場所はすぐ近く。
現れたのは今まで退治してきた妖の中では最も小さい妖だ。はっきりとした実体はなく、全身が黒い靄で出来ている。
以前、「弱い妖の中には形が定まらず不安定なものもある」と流紀が言っていたことを思い出した。
「これなら私一人でも退治できるわ」
実践を何度か経験して妖との戦いにも慣れてきたところだ。
ポーチから呪符を取り出し、靄の妖に向けて投げつける。舞う風に踊らされた呪符は細長く伸びて、妖の捕縛を試みる。
が、本体が靄であるため上手く捕獲することはできない。
「っだったら」
悔しげに唇を噛んだ華蓮は宙に印を書き上げていく。
この術は術式の勉強に現れた焔から教えられたものだ。霊力を炎に変えるという単純な術なので華蓮にも容易に扱え、攻撃力も高い。
印の中心部から渦を巻いた炎が踊り出て、靄の妖を燃やし尽くす。
残された燃えカスが散っていくのを眺めながら勝ち誇った笑みを浮かべる。
「これで、私も一人前の妖退治屋に――きゃっ」
宙を舞っていただけの燃えカスが唐突に統一された動きを取り始める。巻き起こされた風が華蓮の髪や服を激しくはためかせる。
目を開けることもままならない強風に煽られている華蓮に、一つにまとまった燃えカスが鋭い先端を向ける。
黒い先端が華蓮の身体を貫く寸前、凄まじい勢いの炎が燃えカスの塊を呑み込んだ。
肌を撫でる熱風に華蓮が細目で状況を確認する。
不意にあれほど燃え盛っていた炎が一瞬で消え失せる。何かに呑み込まれたような消え方だ。
驚きで見開かれる瞳がとらえたのは見覚えのある二人組。自分の失態を見られたことを自覚し、眉間に皺を寄せる。
「ったく、お前はまだまだ甘いな。完全に妖気が消えるまで警戒を解くな」
「うるさいわね。貴方も退治してやるわよ」
呪符を構えて脅す華蓮を流紀は余裕の笑みで迎えてやる。
「お前には無理だよ」
「うっさい」
わざわざはっきり言われなくても、自分に実力がないということくらい痛いほど分かっている。
霊力という才能があったても、他はからしき駄目なのだ。
悔しさを噛み締める華蓮に言うべき言葉を探していた流紀は見覚えのある人物の姿に気付いた。
華蓮と同じ制服に身を包み、金に近い琥珀色の髪を持つ少女。今日は隣に寝癖頭の少年の姿もある。
「おっはー。今日も見回り?」
「ええ、鞄取ってくるわ」
言うやいなや家に向かっていく華蓮についていくか逡巡し、結局その場に残ることを決める。
「一応、初めましてだな」
焔の視点でいえば何度も姿を目にしているが、こうして二人の前に姿を現したのは今日が初めてだ。
今までは何かと機会が恵まれなかった。
一目見て人外だと分かる姿をしている焔に対しても、二人は物怖じしない態度を取る。
友好的な態度を取っていることもあるし、何より華蓮や流紀から話を聞いていたというところが大きいだろう。
「知っていると思うが、私は桜の式で焔という。お前は……星司だったか」
「はい。華蓮さんはどうですか」
妖退治屋に関してのことだ。仮にも幼馴染ということもあり、少しだけ心配しているのだ。
流紀や焔もいるのだから心配することもあまりないだろうけれど。
「あいつは頼りないからな」
「そのくせ、プライドは無駄に高いから助けたりすると怒るし」
親しみやすい雰囲気を纏う焔と自然に打ち解けていく。星司自身、コミュニケーション能力は高いほうであるが、それを踏まえても焔は話しやすい。
「顔がいいと素直なんだがな」
「華蓮さんは面食いですし」
「本命はいないんだろう?」
明らかに星司の表情が陰る。それが意味していることを明確に読み取り、笑みを深くする。
「そうか。お前は覚えているんだな」
「何のことですか」
顔を引きつらせながら飽くまでも白を切るつもりの星司は「ここには月もいるから」と心中でそう言い訳をする。
――また、逃げるの。
ここにいるはずのない健の声が脳内で響き渡り、心臓は大きく跳ねた。
乱れそうになる呼吸を抑えながら、歪ながらも普段通りを貫き通す。
「なるほどな」
得心がいったように頷いた焔はこれ以上踏み込むことは控え、話題を変える。
「そうそう、普通に喋ってくれ構わない。堅苦しいのは苦手でな」
「あ、はい。じゃなくて、ああ」
深めていた笑みを和らげながら肩に乗る流紀に意識を移す。焔の言わんとしていることを察した流紀は焔の肩から無言で飛び降りる。
短めに別れの言葉を交わし、用を終えた焔が姿を消した。