序
人の記憶は一生を終えるとデリートされてリセットされる。
けれどもどうやら私はどういうわけか、記憶が残された状態のまま新しい生を迎えてしまった。
* * *
儚くも23才で交通事故に遭い死んだ私。黒と赤で染まった視界で痛みよりも衝撃を感じたのを覚えている。テレビの電源を消すようにプツっと意識が飛び、そして気付いた時には3歳児の女の子として存在していた。途中までの過程を覚えていないから混乱し知恵熱を出すほどに体調を崩したのだが、私のことを見知らぬ少年が優しい表情で看病しながら「ハル」と呼ぶのでこの体の持ち主はどうやら『ハル』という女の子の物なのだと理解した。
今までどうして記憶が無かったのか、とも考えたが物ごころがついたと同時に記憶が蘇ったのかもしれない。熱にうなされながら、途方もない気持ちが涙となり頬を濡らす。
「大丈夫。きっとよくなるからね」
少年の手が涙を拭う。この少年は、『ハル』の兄弟なのだろうか。
優しい眼差し、優しい手つき。自分の身近に看病してくれる人物がいるのは幸せなことだろう。
けれど私は現実を受け入れられず、涙を流し続けていた。
熱が引いた後もうじうじとしていた私だったが、前世の自分よりもはるかに幼い少年が私の心を明るくしようとあれこれと世話を焼いてくれていたおかげで、いつまでもくよくよしてないで受けとめよう、という気になったのだった。
まず最初の一歩として情報が欲しい私は、自分の現状を把握しようと少年に自分の事や少年の事、この世界についてのことをあれこれ尋ねた。今まで辛気臭く、口数も少なかった子供が突然口数多く尋ね出すのはさぞ気味悪いことだろう。しかも内容は自分自身についてのことも含んでいる(今までどこにいたのかとか、親はどうした、とか)。確実にそれまでの記憶を失っていると見るか、頭がアレな扱いになるだろう。
しかし少年はそこで変な目で見たり哀れな目で見たりせず、むしろ元気を取り戻したことに対して安堵したようにこちらを見ていたのだ。
この子、心が広すぎる。
少年はひとつひとつ、私がわかりやすいように私の出生からこの世界の事まで説明をしてくれた。
まず、驚いたことにあんなに懸命に私の世話を焼いていた彼は『ハル』の兄弟ではなく、赤の他人だという事。彼の名は「リオン」という名で、”召還師”だという。
”召還師”というのは、天使や妖精や悪魔などの”召還獣”を呼びだす者のことを指すらしいのだが、
この世界ではそういった召還術の才能がある者を養成する教育機関があるらしく、そこから輩出した人は企業を創設する者もいれば、国の軍事機関に属する者もいるそうだ。この世界はどうやら前の世界ほど
科学技術が発展しているわけではないらしく、召還した者たちの力が無いと不便な部分が出てくるという。例えば、移動手段。電車や車はないので馬か召還獣による移動が一般らしい。その召還獣をレンタル業にした会社もあるという。レンタカーみたいなものだろうか。通信手段も、携帯電話や電話などないから召還獣を使って手紙のやりとりをしているそうだ。
生活の大半は召還獣がいないと不便なことは聞いていて納得できた。それなら召還獣を召還する召還師はこの世界では重要な役割を持つだろう。それ専用の教育機関が設けられるのも頷ける。
さて、話に戻るが、その召還師のリオンはその教育機関を最年少で卒業しフリーで活動しているそうだ。リオンは見た目年齢は7才ぐらいだ。その年頃の少年はやんちゃで騒がしい頃だと思うのだが、リオンはまるでそこらの大人と変わりない位落ち着いていて、バランスの整った綺麗な顔も相乗してか、どこか神秘的な雰囲気を纏っている。
そんな天才な美少年を周りが欲しがらないわけがなく、あちこちの勧誘の手が止まなかったわけだが、本人は独立した自由な世界を望み、頑として首を縦に振らなかったそうだ。
リオンは森に家を建て、時折人里に下りて仕事をしながら(なんでも屋のような事をやっているらしい)、独りきままに召還獣と暮らしていたそうだが、ある日、彼が仕事から帰ってみれば家の前に箱が置かれていたそうだ。蓋がついたそれを開けてみると、中には赤ん坊が寝ていたそうで。
・・・・その寝ていた赤ん坊が、私。
この世界では私は親に捨てられた子供のようだった。リオンは淡々とその事実を喋っているが、瞳は私を気遣うものだった。
他人事のように受け止めていた私だったが、それは私は今一つこの世界での”親”にぴんとこなくて、何も感じていないのが正直なところ。私の親は前世での親二人だけだと思っているので、仮にここでの世界での親にまっとうに育てられていたとしてもその二人を親と思っていたかは微妙なところだっただろう。『ハル』としては複雑な所だろうが。
箱には1通の手紙が残されており、その手紙にはこの子をお願いしますという一言が書いてあったらしい。彼は当然困惑し、人里におりて私の親らしき人を探したのだが見つかることはなく、赤ん坊が生まれたという情報も彼の耳に入ってこなかったそうだ。
結局彼は赤ん坊を放置するわけにもいかず、世話することとなったそうだ。
それが、私の聞いたことの全てだった。