第一章〔5〕 /…新しい生活の始まり
基地にいる人間には、一般人とはどこか違う逞しさと余裕のようなものが感じられる。
彼らは自分を、自分以外の人間を守る盾と考えていた。
この盾の中心がセンターと呼ばれ、基地の入口かつ国会議事堂の隣に位置するビルである。
このビルは主に二人の男と一人の女によって管理・運用されていた。
一人は機関長である酒呂佑馬、もう一人は酒呂の秘書である岳塚唯漣、最後の一人は副機関長の葉旗由仁である。
唯漣と由仁は、ずらりと複雑な機器が並ぶ待機室に集合し、酒呂の話しを聞く新人を眺めた。
唯漣は小柄で目付きがきつく、始終目を光らせ、叱る隙を探している教育係と言う感じの女で、由仁の方は、黒縁メガネをかけ細身で背が低く、黙々とひたすらパソコンを打ってそうな男だ。
「あの新人が例の?」
唯漣は腕を組み、冷めた目をした一人の男を顎で示した。
「あぁ」
由仁は頷いて、頭を掻いた。
「期待の新人さ」
「葉旗、岳塚、ここにいたか」
「機関長」
「お疲れ様でした、酒呂さん」
酒呂は既に説明を終えていた。彼女はちらりと葉旗に目をやった。
「新人は保ちそうですか?」
「保ってもらわなきゃ困る。保ってもらうために訓練で徹底的に頑丈になってもらう。その為に君達がいる」
「機関長、会議の時間が迫っておりますわ」
酒呂は大いに迷惑そうな顔をした。
「分かった。これから新人一人一人の顔と名前を一致させるつもりだったんだが…」
「新人より会議の方が大事なのはお分かりと思いますけど、怪物と怪物による汚染空気について、新しい報告が入ったので目を通して下さい」
頷きながら、酒呂は唯漣が差し出した紙の束を受け取る。
「この中で重要と思われる事は?」
岳塚が頷いて、書類を何枚かめくってその内の一枚を読み上げる。
「ニーメリヤ国から連絡が入った。怪物がニーメリヤ国の首都エンセマにも出現した。原因はあなたの国ではなく、他国のようだが、何か情報はないのか?とあります」
「ニーメリヤにも怪物が…?」
葉旗が呟きながら首を傾げ、酒呂もその紙に目を通した。
「ニーメリヤでは、いつも通り全国民による礼拝が行われていた筈だ。
感染者が出ていないといいが…」
「感染した人間の、正確な数はわかっていないそうです」
岳塚がもう一枚紙を取り出した。
「こちらに、怪物による空気汚染地域を示す最新の地図があります」
酒呂はカラープリントされている地図を見つめる。
過去の地図と照らし合わせると、以前より汚染がまだら状に広がっているのが分かる。
異常値を示す箇所を、正常値を示す箇所が取り囲んでいる部分もあれば、その逆もある、と言った具合だ。
「広がってるな」
「はい…。本当は、縮小しているように見えて欲しいですわ。ですがニーメリヤまで範囲に入ってしまったようなのです。最初に空気汚染が報告されて、空気浄化作業が行われるようになってから随分経ちますのに…」
予定表の目次に書かれていた、最後の説明が終わった。
会場から退出する際、樹子は人を避け、会場の隅で立ち止まって上を見た。
何かの部屋になっていて、ガラス越しに酒呂が見えた。
誰かと肩がぶつかり、樹子は少しふらついた。
クセのある短い銀髪、紫の眼、白い肌、同い年ぐらいの男だった。
「すみません」
彼は樹子に見向きもせず、一言謝罪すると出て行った。
樹子は彼の後姿に向かい軽く頭を下げ、次々と出てくる新人の波に急いで紛れながら江菜を捜し当てた。
江菜も樹子を見つけ近寄って来た。
「どうかしたの?」
江菜が、気の浮かなそうな顔をしていたので、樹子は不思議そうに聞いた。
「嫌な再会があったのよ。向こうは気付いてないんだけど、どうせしばらく新人同士で固まるだろうし、気付かれちゃうだろうなー」
樹子は苦笑した。
「でしょうね。ま、一人覚えなきゃいけない顔が減ったと思えば」
「最初の仕事だもんね、機関にいる人の顔と名前を覚えるの」
樹子は建物の外へ出て、少し遠くに見える白いマンションを指差した。
「あそこが、これから家になるのね」
江菜は、彼女が指差した方向を眺める。一人に一室提供され、設備も整っていると聞いている。
「設備が整ってるのにこした事無いけど、きっとしばらくは、帰って寝るだけになること間違い無しよ」
ゆっくりと二人はマンションの方へ向かった。
新人が、皆部屋に入ってしまったマンションの中は静かだった。
二人は指定された部屋に歩いて行った。
見渡す限り、建物は清潔感が溢れて明るく、運がいい事に、二人のネームプレートが取り付けられた部屋は、廊下を挟んで向かい合っていた。
「やった、部屋近いね」
樹子も笑って頷く。
「本当に、私達って運がいいね」
二人はそれぞれの部屋に入った。部屋の中は思ったより広く、家具はもちろん、テレビやコンピューターまでついている。
ほとんどの人間は、食事は食堂で食べると聞いていたが、キッチンや皿洗い機もある。
先に運び込まれ、一箇所にまとめられた荷物を整理していると、ベッドの枕元にある小さいランプが、呼び出し音と共に赤く点滅し、樹子はびくっと反応する。
ベッドサイドにかけてある小型スクリーンに、
[珊堂 江菜 さんからです]
と言う文字が表示された。
樹子は手を伸ばすと、緑と赤に点滅しているボタンのうち、緑を押した。
するとスクリーンに、黒を基調にした制服に着替え、満面の笑みを浮かべ、手を振っている江菜が現れた。
『樹子?やっほー。これ便利ね』
「江菜、楽しそうね。制服がよく似合ってる」
彼女は、スクリーンがもっと大きくて明るければいいのにと思った。
「もう荷物整理は済んだの?」
江菜が、樹子の後ろに目をやり、あれ?と首を傾げたのを見た。
『あ…うん、そんなに荷物持って来て無いし』
江菜が、不意に身を乗り出して来た。
画面いっぱいに江菜の目が大きく迫った。
「ねぇあんたの部屋、今あんたの後ろに…あぁ、画面が暗いから見間違いかな。暗い部分が動いたように見えてさ」
予想もしない言葉に、樹子は後ろを振り返る。
本棚の影に、栄真がきちんと立っていた。
『そう言えば、毎年一回か二回、カメラの中に幽霊が映ってて話題になったな。その、スクリーンの隣に行こう』
「何もいないわよ」
樹子は、笑いを堪えながらスクリーンに視線を戻す。
『あはは、やっぱり勘違いね。何たってあんたは見えちゃうんだし』
「それより…江菜。さっきから目しか見えてないわ」
江菜がそうだった、と笑いながら画面から離れた。
明日の事を考え、早めに寝ておこう、とおやすみを言い合い、回線を切る。
どさりとベッドに寝転がり、彼女はベッド脇に移動した栄真に目を移した。
手を伸ばして、彼の手に触れようとしたが、思った通り、すり抜けてしまう。
「映っちゃいましたね」
『そうだな。まぁ今回は鮮明じゃないのが救いだ。だが、カメラの類に近づき過ぎないようにしなくては…』
「霊って、カメラに近付くにつれて姿が鮮明になるから、あまり近付くとあなただと分かってしまいますね」
『あぁ、気をつけなくては、皆を驚かせてしまう』
「私は、皆があなたの存在を思い出して下さるの、嬉しいですけど」
『樹子…』
栄真は目を閉じると、手を伸ばし続けている樹子から一歩離れた。
『レームナーダが呼んでいるから、行って来る。…ゆっくりお休み』
樹子は、溜息をついて栄真を見上げた。
「そちらもね」
と呟いて、彼女は掛布にくるまった。