第一章〔4〕 /…ついてきた結果
その日から樹子と江菜は数日、あるいは数週間おきにやって来るラルイートから
勉強に加え組織内の様子などもほんの少し聞く事が出来た。
こうして樹子と江菜はその組織に入る為の準備を着々と進めていた。
試験が近づいてきたある日の夕方、ラルイートは、本を机の上に置いて暗い窓の外を眺めた。
また怪物絡みの事件が起きそうな、嫌な予感がした。
明日、組織の情報処理班に聞いてみようと思った。
近頃、平穏な日々が続くほど不安が募って仕方が無いのだった。
樹子と江菜の二人は彼の側で椅子を仲良く並べて勉強していた。
ラルイートは温かい目で二人を眺めていたが、こう言う表情は向けられている本人達が全くと言っていいほど気付いてない時に見られるもので、彼はほとんどそう言う感情を表に出さなかった。
「先生」
不意に江菜が言った。
いつからか二人はラルイートの事を先生と呼ぶようになっていた。
「どうした、珊堂くん」
と、ラルイートははっとして表情を元に戻す。
「そろそろ終了しません?」
ラルイートは腕時計に目をやった。
「そうだな」
「お茶いれますね」
と、樹子。
「しかし…」
「せっかくですから飲んで下さい」
「遠慮しちゃいけませんよ、先生。本っっ当にたまにしかお会い出来ないんですから」
ラルイートは穏やかな溜息をもらした。
「ありがとう…頂こう」
樹子は微笑んで部屋を出て行った。
「ラルイートさん、すっかり二人に懐かれてるのね。樹子ちゃんも、彼を怖がってたのが嘘みたい」
「先生のご迷惑になると思ったが、逆に息抜きになっていたようだ」
栄真は目を細めた。
「二人は、よく続いているな」
「そうね、ラルイートさんは厳しいとこは厳しいし…」
栄真は、二人が一生懸命なのが妙に名残惜しい気がした。
「少しは二人を応援する気になる?」
「む…」
眉間に皺を寄せる栄真に、レームナーダはやれやれと笑った。
「先生」
ある日樹子は、新たな怪物の出現によりこの地を離れる事になったラルイートに話し掛けた。
ラルイートは静かに顔を向けて、
「何か?」
「私と江菜、頑張ります」
ラルイートは一歩樹子に近づき、それから二人に向かい言った。
「君達は、恐らくこの試験を受けようとしている誰よりも勉強している。自信を持ちなさい」
「はいっ」
と、樹子。江菜が口を挟んだ。
「先生、次はいつお会い出来ます?」
「早くとも試験以降になるだろう」
やがて試験の日が目前に迫った。
「いよいよ本番ね。後はベストを尽くすのみ、か」
と、樹子は呟いた。江菜が大袈裟に身震いする。
「ラルイート先生は自信持てって言ってくれたけどこればっかりはねぇ…時々受からなかったらどこに就職しようって考えてる」
「大丈夫、自信を持つしかない」
樹子はわざと平気を装った。
「さすがは樹子。ま、自信持つのが一番必要な事よね」
樹子はひそかに深呼吸をして気合いを入れた。
これで受からなかったら、栄真は自分から更に遠ざかってしまう気がする。
それは何としても避けたい、と思うのだった。
試験終了後、二人は真面目な顔をしてお茶を飲んでいた。
「とりあえず。終わったね」
と、江菜は軽く背伸びして言った。
「出来る事はやったわ」
と、樹子は満足そうな様子だった。
江菜と別れて樹子が家に着くと、栄真が待ち構えていた。
『お疲れ。試験はどうだった?』
「結構すごい人だったの。面接以外は何とかなったと思うわ。面接は、面接官があなたのお葬式に来ていたかもしれないって思うと緊張してしまって」
『江菜さんは?』
「江菜はこれで落ちたら運が悪いとしか言えないって言ってました。だからきっと大丈夫です」
『そうか…』
合格通知が二人の元に届いたのは試験からしばらく経ってからだった。
「栄真さん、私通ったわ。江菜もよ!」
二人は共に指定された場所である国会議事堂へ向かう。
その国会議事堂に隣接して立派なビルと広大な訓練所がある。
そのビルこそ機関の本拠地なのだった。
合格者の流れに紛れ国会議事堂の中に入ると、中には人影が二つ待っていた。
一つはラルイート、もう一つは二十五、六の、整った顔をした、短い黒髮に鋭い黒目を持つ男だった。
二人の男は無表情のまま、合格者の流れに逆らい後方へ向かう。
江菜は黒髪の男とすれ違う際に一瞬目が合い、肩を軽く竦め、また進んだ。
合格者がホールにまとまった時、ラルイートともう一人が号令をかけた。
「気をつけ!!」
その場にいた全員がびしっと気をつけの姿勢をとり、次の指示を待つ。
壇上に、この場にいる誰よりも年長そうな、日に焼けた坊主頭の男が現れた。
「まぁ、楽に」
陽気な声だ。会場全体の緊張がほんの少し緩んだ。
「自己紹介から始める。俺が機関長の酒呂佑馬。この機関に関しては、諸君も下調べしているだろうからまぁー簡単に。主に各地の治安維持、重要人物の護衛など、加えてお馴染みのモンスター退治。設備も素晴らしく保障も充実しているが死亡率がやたら高いのが玉に傷か。やれやれ、君達も何人生き残るやら。ほとんどはモンスターとの戦闘が理由でだね…」
合格者達を背後から見つめていたラルイートが静かに呟いた。
「まったく…あの人は」
「どうしました?貴方が独り言とは珍しい。続けて下さい」
もう一人の男が聞きたがった。ラルイートは咳を一つした。
「彩橋」
「これは、失礼」
彩橋と呼ばれた男は楽しそうな笑みを浮かべ、黙った。
「…と言う事で、だ!俺は現職員及び君達の全員生存、定年退職を願っている!これから一年半から二年かけて君達には体力向上、野外通信システムや火器の取り扱いや点検、基礎戦術・知識などを完全習得してもらう」
一瞬会場が驚きからざわついたが、それ以上は無かった。
ここにいる者は皆それくらい覚悟している。
「君達には一週間差し上げる。俺は一週間後、全員が機関が管理する基地で缶詰になる準備を終え、ここに集まる事を期待している。では、解散」
集まった全員が一週間かけて荷造りをするわけではもちろんなかった。
樹子は合格通知が来てすぐにラルイートから聞いていた必要な日用品と、ささやかな私物をまとめていたし、江菜はそれよりも前から準備が完了していた。
レームナーダと栄真は相変わらず樹子を見守っていたが、栄真は樹子にさりげなく語りかけた。
『後は、行くだけか』
「はい」
樹子は笑みを浮かべ、見ていたテレビを消音にする。
「そうそう、酒呂さんてあなたが言ってた通り、独特な雰囲気を持ってますね」
『あぁ。機関長はあれで油断も隙も無い方だ。それもじきにわかるだろう』
栄真はぽつりと呟いた。
『訓練は厳しい。女性とて例外ではない』
樹子は囁いた。
「アドバイスお願いしますね、先輩」