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派遣の猟犬  作者: 魔桜
ウォンside
9/32

Title-09 キラキラ輝くアイドルに憧れて

 熱望していた休憩時間。

 午前中は波乱のデートだったため、午後の休憩時間が待ちきれなかった。なにしろあんな事件に巻き込まれたのだ。

 派遣会社先に情報端末機器で、あまり順調とは言えない仕事ぶりを定期報告する。

 上の人間に苦言を呈されるが、あちらの雑音、というか大音量の音楽が垂れ流しにしているせいでほとんど聞き取れなかったので、適当に受け流しておいた。

 情報端末機器を内ポケットに収納すると、閉塞感の篭っている小部屋に入る。

 備え付けのテレビと、それを眺められるように設置してある机。それから小ぶりの冷蔵庫が鎮座しているだけの室内。それだけの物しかないのに、ほとんど空いているスペースがない狭さだ。

 後ろ手で扉を雑に閉めると、ウォンは独りきりで椅子に座る。

 先程までタバコの受け皿が机に置き去りにされていたのだが、電話をするのとトイレに行く用事と合わせて、副流煙が立ち込めている、しかるべき場所に放置してきた。

 ウォンは吸わない派だ。

 健康志向というわけではないが、自らの手で寿命を削減するなんて非合理性に依存する理屈は、ウォンの頭の中には転がっていない。それにこの職場には、著しく成長する予定の少女がいるから、彼女の健康的な未来のためにも憩いの個室で煙草を吹かすのは厳禁だ。

 そもそも別の部屋の一室に、ちゃんとした喫煙室がある。

 そこで吸って欲しかったのだが、喫煙室に到達するまで我慢ならなかったようで誰かが持ってきたらしい。わざわざルールを破ってまで、ご苦労なことだ。密閉された空間という以外特徴のない休憩場所だから、ここでテレビ鑑賞でもしながらと一考したのだろう。無喫煙者にとっては、迷惑極まりない話だ。

 だが、休憩所は休憩所で、喫煙者にとってはメリットがないわけではないらしい。

 盛況とあらば、肩をくっつけ合わせなければならないものの、だからこその妙な連帯感が発生する。共通の時間、空間、趣味嗜好を共有することによって、より深い関係性を建設することができる。

 しかし、その一方で漏れてしまった人間達というものは、その輪に入る事は容易ではない。刻一刻と流れていくこの時間そのものが、喫煙者とそれ以外の店員の、心の隔壁を強固なものにしていく。今頃、同類同士で花を咲かせていることだろう。

 暇を持て余したウォンはリモコンを手に取り、テレビの電源をつける。ブゥンという起動音と相殺するように、キィと後ろの扉が開く。

 煙草を吸わない店員となると、イレギュラーなことが起きない限り、休憩中ここに来訪する該当者は、ウォン以外ではあと一人ぐらいしかいない。

「……あ、ウォンさん。お疲れ様です」

「お疲れ様」

 互いに顔を見合わせて挨拶をする。何時間も立ち仕事だったせいか、憔悴しきっていて、陽気な挨拶すらままならないようだ。

 椅子一つ分のスペースを開けて、クリスは隣にどかっと尻を乗せる。背もたれに密着し、スルメのようにふにゃふにゃに前傾姿勢になる。

 疲弊しきっているクリスに、不用意に声をかけて疲労感を促進させたくはない。視線はテレビ画面に収束する。

 音楽番組のようだ。

 前にここで見たことがある。

 自室にはテレビなんて気の利いたものなんてないから、流行りについてはさっぱりなのだが、クリスの表情が一変するのを見ると、どうやら有名で人気のある番組のようだ。

 偶然だったが、テレビをつけておいて良かった。

 こちらから話題を考えてなくても、テレビが勝手に提供してくれる。音楽自体はどうでもいいが、クリスがどんな嗜好の持ち主なのかは気になる。

「好きな歌手はいるの?」

「いますっ! すっごく好きなアイドルがいて、実は大ファンなんですよ。この前のライブも観に行きたかったんですけど、出勤日と重なっちゃっていけなかったんですよね」

「へー、そうなんだ」

 クリスが、両の拳を握りしめて力説してきた。

 そこまで熱狂的になるアイドルがいるとは知らなかった。

 気持ちは理解できないが、無趣味な人間からすれば、熱くなれるものを持っている人間は羨ましい限りだ。

 何の変哲もない日々は無感動に過ぎていく。それは人生の道のりというよりは、ベルトコンベアのような決まりきった道。人間としての温度がなくて、心は冷え切っているだけだ。

 できることなら見つけたいが、そんなものはない。

 強いていうなら、クリスをからかうことぐらいだろうか。……なんて、自分のことながら相変わらず底意地が悪い。

 ウォンはやおら立ち上がると、冷蔵庫に近づく。

 買っておいた種類の違う二本の飲み物を取り出すと、テレビに齧り付いているクリスの邪魔にならないような場所に机に置く。

「どっちがいい?」

「え?」

 こちらの意図を測りかねたクリスが、きょとんとする。

 年齢を無駄に積み重ねてきた大人の、見え透いた社交辞令がない分、好感が湧く。

「好きな方を選んでいいよ」 

「あ! ありがとうございます。それじゃあ、こっちで」

 やはり、甘いジュースの方を選ぶ。

 どっちを選んでもいいように二種類の缶を買っておいたのだが、功を奏したようだ。

 ゴクゴクと渇いた喉を潤すために、美味しそうに飲む下す。

 ウォンも口に含みながらテレビに視線を流す。と、あっ! とクリスが興奮しているかのような大きな声を上げる。それに釣られて、ウォンもクリスと行動をシンクロさせる。

「この人です! 私が憧れてる人は!」

「ぶっ!」

 クリスが指差した画面越しのアイドルに、口に含んだ飲み物を思わず噴き出しそうになった。見た目からすると、十六歳ぐらいだろうか。あのアイドルの年齢なんて知りたくもないが。

 ――あ、あいつか。

 なんとか口内に押し留めることに成功したが、器官に入り込み、苦しい咳払いが止まらない。ようやく収まり、顔を上げると、クリスが心配そうに見つめていた。

「どうしたんですか? いきなり? 大丈夫ですか?」

「うん……大丈夫だよ。ちょっと変なところに入っただけ。……でも、クリスちゃんが好きなアイドルって、アイリスだったんだね」

 アイリスは笑顔を振りまきながら、番組が用意したであろう特設ステージでご自慢の透過性のある歌声を披露している。ヒラヒラと過剰なまでに盛っている装飾やら、大きめのリボンやらを身につけていて、見ているこっちが吐き気が出そうになる衣装だ。

 楕円形のステージには階段があって、観客を上から見下ろせる。蠱惑的な表情を浮かべているのは、観客の心理を掌握している気分になっているからだろうが、それに気づかない観客は好意的な唸り声を上げている。

 虹色のスポットライトを当てられ、堂々とした歌いっぷりを続ける様はまさにプロ。そこまでならただの歌手だが、アイドルは美声をマイクで響かせながら踊らなければならない。

 短いスカートを翻しながら、リズムに合わせた熟達したターンを決める。

 まさに、計算しつくされた精錬とした動きだ。

 カメラ目線を忘れずに、ズームされた瞬間、タイミングよく価千金の笑顔を振りまく。表情一つで金を稼ぐアイドルらしい完璧さ。それ以外にも、手の振り方やダンスによる腰のキレは、他の同世代のアイドルと比較しても抜きん出ている。それは素人目からでも分かる。

「アイリスさんって、凄いアイドルなんです。最初は道端を歩いていた時に声をかけられて、地方の小さなファッション雑誌に載った人なんですけど、そこからテレビに出演するやいなや、人気に火がついて今ではあんな大舞台で歌うようになったんです」

 恍惚とした表情で、テレビ画面に釘付けになっている。

 ここまでクリスが饒舌に語るのも珍しい。

 いつも他人の目を気にして、自分の意見を言えない。自信なんてこれっぽちもない。だが、自分の好きなことに関することなら、明瞭なる意見を持っているようだ。

 ……それだけに、憧れる相手を間違えているのが可哀想だ。

 司会者の質問にアイリスは猫かぶりながら、わざとズレた答えをしている。ドッと会場内が笑いに包まれているが、ウォンの口元は少しも緩んでいなかった。

「ほんとに……凄いですよね。可愛い上に、歌やダンスが上手でみんなに愛されてるなんて……。私も、いつかあんな人になりたいです」

「……あいつだけはやめとけ」

「へ?」

「いや、なんでもない」

 思わず素で答えてしまった。

 純粋無垢なクリスが、面の厚い女狐になどにはなって欲しくない。

「私もアイリスさんみたいに、いつか輝きたいんですっ! 私はどんなに磨いたって路傍の石だっって分かっていても……憧れや希望は捨てられないですから」

「輝きたい……ね」

 漏れそうな笑いをなんとか噛み殺す。

 批判めいた言葉も笑いと同様に、腹の内に押しとどめることにする。人生の先駆者として、助言したいことは幾千ある。だが、過干渉過ぎても、お互いの将来のためにはならない。

 ガガガ、と椅子の足を床に擦らせる。

「それじゃあ、先に仕事に戻るよ」

「あっ! 私も行きます!」

「なんで? まだ休憩入ったばかりなんだからまだ休んでていいんじゃない? 疲れだって溜まってるだろうし」

 それに、クリスが執心しているアイリスはまた歌唱を始めていた。

 チラチラと未練がましくテレビに視線をやっている以上、それ以上のものがあることは明白。

 だが、仕事そのもの自体にそれがあるとは考えにくい。

 十歳の少女が仕事がうまくいかず、色々と辛い思いをしているのは知っている。

 だが、それでもウォンに見せる顔には、辟易はなさそうだった。

「いいえ。疲れなんてどこかに吹き飛びましたから!」

 仕事意欲に満ち溢れた声を上げる。

 ウォンが小部屋をあとにしようとすると、椅子を蹴るようにして立ち上がっった。そして、黙ったまま後ろをついていくる。

 ――もしかしたら、少しは自惚れてもいいかもしれないが、そうもいかない。

 子どもというものは、自分を甘やかす相手を無条件に信頼する。

 純真すぎる心に、素手で触れられるほど、真っ直ぐな心は持ち合わせていない。むしろ、歪んでいる。世間を斜めで見ることしかできない、屈折した人間だ。

 だが、ほっこりとした気分になるのは、悪くはない。

 店長の逆鱗を常々買っていることや、年を重ねていないクリスを、他の店員は侮っているところがある。

 言葉に出さなくとも、態度や空気を敏感に感じ取ることができるクリスはあまり他人に心を開かない。

 だからこそ、一度心を開いた人間には、きっととことん甘えたい。年齢的にも親がいないだけで、相当辛いだろう。

 だから、ウォンには全幅の信頼を置いている。

 その信頼に答えられるかは定かではないが、それなりに報いたい。

「……そっか。じゃあまずは、二人でゴミだしに行こうか」

 空き缶を振りながら見せつけると、クリスは笑みと簡潔な言葉でそれに応える。

「はい!」

 二人して廊下に出ると、自然と並び立つ。椅子一個分空きのあった室内とは違って、廊下は狭く、どうしても傍にいる他ない。

 二人の手はもう少しで握れそうなほど近接していた。

 空き缶という邪魔者がいなければ、そのままちょっとした拍子で手の甲どうしが当たることもあっただろう。

 けれど――結局のところ、それは叶わなかった。

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