Title-07 袋小路の豚は炎に焼かれる
酔っ払い運転のように、前方の憎き敵が乗車しているワゴン車はふらついている。
タイヤがやられたのだろう。
追い詰めるのは時間の問題だが、決め手にかける。
――だけど確か、この先は……。
僥倖だ。
偶然とは言え、この道の先は行き止まりだ。こちらの銃撃を避けるためとはいえ、道幅の狭い路地を走行し続けていたのが結局は仇となった。
行き着く先は、強固な壁。
車が空を飛ばないでもしない限り、あちらはどうすることもできない。
だからここでつめを誤るわけにはいかない。
運転席に座っている無能な部下の、側頭部に銃口を向ける。
それがただのハッタリや脅しではないことぐらい、共に任務についたことがある人間なら嫌というほど分かっているはずだ。
「もっとスピード上げてくれないかなー。これで悪党を逃がしたりなんてしたら、君、どうなるか分かってるよねー?」
「すいません、でも――」
「でもは言わない約束だろーん、糞野郎。成果を出さずに言い訳するやつは、何もしない愚鈍な豚と同じだっつーの。せめて、社畜のように何も考えずに決死の覚悟で悪党を制圧してみせよーか」
この世に蔓延る悪党全ては、善良なる小市民を貪り尽くす豚に同じ。
どいつもこいつも考えなしに荒らし尽くしては、肥え太る。そうして慢心が肥大化してまともに身動きも取れなくなくなった頃、《アースガルズ》が満を持して狩る。悪名が上がった豚の首を取れば、対価としてスリルと名声が手に入る。まさに一石二鳥の完璧なサイクルだ。
――この私にお鉢が回ってくる時点で、『一切合切鏖殺する』に決定だってぇーの!
長官からの命令とはいえ、今回の指令は不透明な部分が散見される。
悪党がどんな罪を犯して今ここで裁かれるのかなんて、さして興味もない。いつも話半分に聴いているが、今回の標的がいつもと毛並みが違う。
子連れの優男なんて初めてだ。
しかも、男のほうはどこかで邂逅したような、既視感を覚える。数多の悪党を相手にしているから、一人ひとりの相貌なんて覚えてはいないが、あんな人畜無害そうな顔をしている奴だ。有象無象に過ぎないだろう。
『さっさと停車して、投降しろ! 今なら特別に、頭を優しくなでなでしてやる』
拡声器をそっと放り投げると、グレネードランチャーに弾を込める。連発式で、威力はさほどないが、反動がほとんどないので武器使用の幅が広いので重宝している。
ワゴン車に狙いを定める。
ドアが半開きしている状態で、防御力はほとんどないに等しい。グレネードランチャーをぶち込めば、木っ端微塵に吹っ飛ぶこと請け合いだ。
盛大に勝利の花火をあげようとすると、使えぬ部下が割ってはいる。
「……な――にやってるんですか? まだ壁に激突するまでは猶予があります。止まるように説得を続けるべきなのでは?」
「だからさっきやったでしょーが、聞いてなかったのかね、チミは」
「あんなものは説得のうちに入ってません! いくら相手が――」
「《アースガルズ》の正義は、圧倒的力で敵を鏖殺することにある。悪党に舐められたら、抑止力として機能しなくなる。もしここで手を緩めて、悪が活気づいたらさらに犠牲が増えることになる。お前の上辺だけの善意とどっちが重いのか比べるまでもないよなー」
それに、と操木は言葉を続ける。
「臨機応変に、状況に対応しなきゃな。さっきまで私は説得しようかとも思った。けど、今は気が変わったんだよ。過去に囚われるな。今は眼前の怨敵を鏖殺することだけを考えろ!」
支離滅裂に言葉を押し付けると、バキューンと効果音を囁き、とうとう発射させる。
小さい方の子どもの派手な格好のおかげで、狙いをつけやすかった。シートに座っていても、長いウサ耳のおかげでそこにいることが視認できるからだ。
ガソリンに引火すると、ワゴン車は廃車コースへ直行。
ついでに、乗車していた人間も棺桶行きだ。
眼前は壁で、逃げ場所なんてどこにも――
ガガガ、と耳障りな雑音で、意識が遮断される。
微細な火花を散らしながら、もげた片方のドアをサーフィンボードのようにして滑ってくる。少女は小脇に抱えながら、両目にはキッチリと手で覆っている。
少女はパーカー着込んでいない。
――目立ちすぎる服を逆手にとって、囮として使ったのか。
「逃げるどころか、向かってくるだと? 上等だ、糞豚ども!」
グレネードランチャーを構えなおす。
あちらが反撃を講じようにも、手元にあるのは銃一丁。どちらが競り勝つのかなんて、火を見るよりも明らかだが、お互いが交差するまでの時間、ひたすら撃ち合うのも悪くない。
だが、優男は瞬時にしゃがみこみ、反撃の手を与えるようには見えない。
そのせいで、撃ったグレネードランチャーが外れる。
無抵抗主義のつもりか。
そんなもんで攻撃を緩めるとでも思ったのだろうか。ここで日和る奴は、聖人か、善人まがいの連中だけ。どんな手段を持とうが、こちらの持ちうる渾身の一撃を持って、葬り去るだけだ。
今度こそ外さないように、狙いをつける。少し手前から、奥へと連射していけばどんなことをしようが避けれるはずがない。向かってきただけでも大した度胸だが、横に転がりでもしたら優男はともかくとして、お荷物である子どもは無傷で済まない。なによりそんなことをすれば一時的に行動不能になって、こちらのいい的になる。どう考えても、こちらが優勢でひっくり返される心配はない。
だから――車がひっくり返された時は、驚きの声を上げた。
「なっ、んだ――」
畳返しのように、車体がふわりと一瞬持ち上がる。優男達は、ドアの上にに寝そべるようにして、車の下に潜り込んでいた。ぐらりとした浮遊感に戸惑いながらも、持ち上がった車は重力に従って道路に落ちる。が、ハイスピードで走行していた車が、いきなり持ち直すことができない。操縦者がブレーキを踏むが、方向が定まらない。
咄嗟に押してしまった撃鉄の感触が、ヒヤリと背中に冷たい汗を流させる。
操縦不能となった車によって、照準はデタラメ。反動で弾かれるようにして前に投げ出された腕。持っていた銃口が向いているのは、よりによって下方。
銃弾の軌跡は車体に吸い込まれる。
車は爆炎を上げると、一回転してクラッシュする。
必死の形相で車から這い出ると、そこには部下の首を絞めて人質にとっている優男が立っていた。銃をこちらにつけつけているそいつの顔は、立派な悪党の顔になっていた。どうやら少女の前ではその顔を見せたくなかったらしい。周囲に目線を動かしてみるが、どこにも少女がいない。急所となる枷は、身の安全が確保できる場所に移したのか。
「質問に答えろ。お前ら誰に命令された。なんでお前ら《アースガルズ》が、俺達を付け狙う。命を狙われるほど、悪いことをした覚えはないが」
「ゆーわけねーだろ、ばーか……」
確かに銃はさっきのドタバタで手放してしまった。だが、こっちには脛辺りに隠しナイフがある。優男の不意をついて、喉元をかっ捌けばめでたく任務終了だ。
「確かに、あんたは言いそうにないな。だけど、お前は命を張れるだけの覚悟をもって、人のことを襲ったのか?」
銃を部下の男の耳元へと押し付ける。ただの脅しに過ぎない。そんなことをすれば、《アースガルズ》そのものを今度こそ本気で敵に回すことになる。
だが、血迷った無能は、全てをぶちまけようとする。
「ちょ、長官です。長官が……」
「バカが。そいつと合わせてお前もぶち殺――」
操木の持っていた情報端末機器が罵りに被さるように、着信を告げる。緊迫した雰囲気の中、優男が余計な真似はしないで、電話に出るよう偉そうに指示する。
ゆっくりと、情報端末機器を耳に当てると、鼓膜を響かせたのは長官の叱責だった。
曰く、どうして部隊を動かしなんてしたのか。
そんな命令を下した覚えはないと。
「は? しかし確かに私は長官から――そんな命令していない? でも、確かに長官の声で……今すぐここから撤退? ばかな……」
呆然としながら、切れてしまった情報端末機器をもった腕をぶらりと放置する。
確かに長官らしくないとはどこかで思っていたが、まさか自分が何者かに手玉に取られていたのかと思うと腹ただしさが募る。
長官の偽物によってまんまと躍らされた挙句、眼前の優男に敗北を喫したわけだ。
事を荒立てたくなさそうな優男は、部下を解放する。それを冷たい眼で見やって、
「見逃してやるよ。一応、長官の命令は絶対だからな」
屈辱の極みだが、必ずチャンスがあれば報復してやる。
土をつけた優男。
それから、いいように顎で使ってくれた顔も見えない敵。絶対に正体を明かして、舞台に引きずり出してやる。なにより、自分が傷つかないところでいいように操られたというのが気に喰わない。
決意を固めながら、操木は迷いなく踵を返した。