Title-27 復讐者は殺しの誓いを立てる
炎上するヘリを背景に、『冥府の猟犬』は距離を縮める。
悠々と歩いてくるその姿に、その場にいた誰もが言葉を失う。
爆発をその身で受けたその体は見るも無残で、鮮血を纏っている。
地獄めぐりでもしてきたかのような男は、今にも倒れそうなくせをしながらそれを隠そうと、唇を上下の歯で必死にギュッと噛み締めていた。
漆黒の闇そのものが顕現し、それが動いているかのような恐怖感。
傷だらけの体で進むのは、一体何のためか。
『創造主』は、瞳孔を開く少女に目を向ける。
――……そこまでしてこいつを守りたいのか。
ギリギリッ、と奥歯が軋む。
渦巻く怒りを噛み千切るように歯ぎしりをすると、懐から新たに取り出したガムを口内に放り込む。『創造主』にとってガムは精神安定剤のようなものでもある。
――……心中するつもりじゃないだろうな。
大仰な言い方ではなく、ウォンに残っている体力は残っていないように見受けられる。
常人ならば、生きているのですら奇跡的。
それでいて立ってくる、ましてや戦おうとする意志の炎を瞳に宿している。
そんなことがありえないとわかっているのは、拳を交えた『流星』が一番理解できているようだった。否定したいがために、金縛りにあった三人のうち一番速く言葉を発したのは『流星』だった。
「何なんだ、あんたは……。まさか、ゾンビっていうオチじゃないだろうな……」
「違う」
独りごちるような小声であっても、空に響くような声で言葉を続ける。
「俺は――『冥府の猟犬』だ」
『流星』はその言葉に怒り狂ったかのように、ポケットへと手をいれる。
ジャラジャラと、破壊力のあるメダルがまだまだ手元にあることを、既に死に体の奴に分からせるように音を鳴らす。
「だったら、もう一度冥府に送り返してやる。二度と帰って来れないように、今度は……確実に息の根を止めてな!」
『流星』の投擲したメダルが開幕の合図。
他の誰かが止めることのできない、命を削る死闘が始まってしまった。
一合を見る限り互いの力は拮抗しているように思えるが、条件的には圧倒的にウォンが不利なのは火を見るより明らかだ。
まずは、体力的な問題。
消耗しきっているウォンには持久戦を挑めるほどの余力はまずない。短期決戦に臨むしかないウォンは攻防ともに粗が目立つ。だから、『流星』のメダルの攻撃が光る。そのせいで焦り、またもや隙が大きくなるという相乗効果による、最悪のスパイラルに取り込まれている。
そして、戦術的な問題が致命的だ。
屋上という広いスペースでは、自爆する可能性が極端に低くなる『流星』にとって最高のステージ。思う存分、自分の実力を底の底まで発揮することができる。
だが、それとは逆にウォンは窮屈そうだ。
何故なら、建物内のような立体的な動きができないから。
障害物があればあるほど、金箍棒による敵を翻弄した高速移動が可能となる。戦う環境が劣悪であればあるほど加速するウォンの能力も、今では強みにならない。
「………………」
口を半開きにしたままクリスは、両雄の激突に見入っている。
空気は爆炎で焦げ、屋上の床は爆発でめくれていく。
吹き荒れる戦闘の余波だけで、吹き飛んでしまいそうな矮小な存在。
クリスは、自分の無力さが肌身にしみたらしい。
「……どうした、あいつを助けるんじゃなかったのか?」
「あ……私は……」
こいつには、意地悪な言い方しか出来ない。
『創造主』にとっては、色々な意味で敵なのだから。
「……言っておくが、お前が射線上に飛び出したところで『流星』は躊躇わない。むしろ事故としてお前を嬉々として爆散させるだろうな……。もしも、あいつの手助けをしたいと思うなら、何もしないで鑑賞しておけ。それがあいつのためにできる唯一のことだ」
「あなたは、止めないんですか?」
責めるようないい口に、思わず微苦笑が漏れそうになる。
「……なんで?」
「なんでって、このままじゃウォンさんが……!」
「……その時はその時だ。あいつだってその覚悟で今ここで戦っている」
「でも」
『冥府の猟犬』としてのウォンを知らないクリスは、不安だけを募らせる。
だが、ウォンはクリスが思うほどやわではない。
「……あいつは今までだって何度もこういう目に会ってきた。その度にあいつは窮地を潜り抜けてきた。それでもあいつがここまで生き残れてきたのは、勝ち続けてきたからだ」
「そりゃあ、ウォンさんは強いですけど……あの人だって……」
「……あいつの強さは能力に限ったことじゃない」
今日は喋りすぎて、喉が痛い。
ゴホッゴホッと調子を整えると、
「……あいつの婚約者は『カートリアの悲劇』で消滅した。だがな……あいつにとっての悲劇はそれだけにとどまらなかった……」
「どういう……ことですか?」
「……あいつも四年前のあの日、カートリアにいたんだ。そして、自分の恋人が消えるのを目の前で目撃した……」
「そんな……」
「……そうして、あいつは能力に覚醒した。『あの時この手が届けば、大切な人間を助けることができた』……あいつは今もそう思っている……」
心力が高まった時、能力は発現する。
ウォンが『カートリアの悲劇』の際に、大切な人間を守るためにもっと遠くのものに手が届くようになりたいと心の底から願った。
それと同様に、『流星』も同じような経験をしている。
まだ社員名ではなく、本来の名前がある頃。
『流星』は育ての親に捨てられた。
端金と共に売られたその瞬間に、絶望感に打ちひしがれた『流星』は憎悪を金に向けた。そうやって硬貨を爆発させる力を掌中に収めた。
『創造主』だってそうだし、恐らく『悲劇の魔女』もあの日能力を発現するだけの何かがその身に起こったのだ。
「……遠いな」
思わず、自分の聴覚を刺激するだけの声を、口の中で転がす。
壮絶な戦いを繰り広げているウォンが遠くに感じる。
『カートリアの悲劇』の前も、それからその後も。
ウォンの視界にはそもそも『創造主』が写ってはいなかった。いつも神経質そうな表情をしながら戦い続けてきた。
苦しそうに。
たった独りで不満を零さず、休むことなく傭兵として生きてきた。
そして今、自分の意思を持って対決している。
『流星』と。
自分の過去と。
あらゆるものを一緒くたに相手にしながら、必死になって足掻いている。誰もが重荷になるのは面倒だからと、戦うことを途中で放棄するのに、ウォンは四年前からずっと変わらないままだ。
「……やっぱり、《ハデス》であいつが最強だよ」
脳裏で『冥府の猟犬』と戦うシュミレーションを実践してみたが、勝利を得ることはなかった。どうしたって、『創造主』は及びもつかない。
積極的に傍観者でい続けた『創造主』と、常に戦場を駆け抜けてきた『冥府の猟犬』。
勝てるはずもなかった。
『創造主』は格下で、だからウォンの傍にはいれなかった。
昔は、婚約者が。
そして今は、クリスがいる。
あまりにも遠すぎるウォンに少しでも近づこうとして、肉体と能力を鍛え上げてきた。そして実力が並び立つぐらいに成長した。
だけど、能力の強さだけでウォンの隣に並び立つことは結局できなかった。あいつとタメを張れるのは、自分の弱さを認めるだけの強さを持った人間だけだった。
「……あっ……」
クリスにメダルの爆弾が飛来してくる。
流れ弾ではない。
『流星』が拮抗状態を打開しようとして、『悲劇の魔女』の殺害を狙った一撃。『悲劇の魔女』さえここで消してしまえば、ウォンが戦う意味は消失するいい手だ。
クリスは何の抵抗もできず、ただ吸い込まれるようなメダルに眼を見開いているだけだ。
そして、『創造主』も棒立ちになったまま、ガムを噛むだけだ。
魔女がどうなろうが知ったことではない。
なにより、そんな勝手をさせない奴がいる。
強引にメダルの軌道上に割って入ったウォンは、強引に爆弾を薙ぎ払う。全てのメダルを弾くことには成功したが、爆弾の余波によって膝をつく。
限界なんてとっくの昔に迎えて、そして超越している。
それでも双眸はギラギラと、生気に溢れている。
睨まれた『流星』は狼狽えながら、
「……なんで何度も邪魔をする。『悲劇の魔女』を憎んでいるじゃないのかっ!」
「憎んでいるよ……」
ウォンは静かながら明瞭な声で明言する。
クリスの顔が絶望に翳って、唇の端まで青白くなる。
「こいつを殺すのは俺だ」
決して振り返ろうとせずに、ウォンはやおら立ち上がる。
逞しい背中を守るべき者に見せながら、ただありのままの言葉をぶつける。
誰に。
それはきっと、他の誰でもない自分自身に。
誓いを立てるみたいに、激昂するように叫ぶ。
「だから――他の誰にもこいつを渡さない。こいつの命も何もかも全部俺のものだ」
「たとえこの世界の人類全てを敵に回したとしても、俺がこいつを殺すその時まで――絶対に守りきってみせる!!」