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派遣の猟犬  作者: 魔桜
ウォンside
26/32

Title-26 過去の邂逅は今に繋がる

 半年前。

 ウォンはカートリアの街中を夢遊病患者のように、宛もなく彷徨っていた。

 《ハデス》の会社命令によって、ずっと踏み入れることを拒んでいたこの土地に来なければならなかった。トラウマじみた過去が脳裏にフラッシュバックし、その度に顔が歪む。

 握り締めた拳には、返り血が付着していた。

 だらりと覇気がなく、生きる意味を見いだせないようだった男たちが絡んできた時のものだ。

 暇つぶし程度の冗談だったのかもしれないが、こちらが無視すると逆ギレし始めた。

 自分たちを恐れを抱かなければ、威厳があったものじゃないと、持っていても意味のないプライドを刺激してしまったらしい。徒党を組まなければ何もできない一般人なんて、普段なら相手にもしないのだが、今日は溜まりに溜まった鬱憤を晴らすために利用させてもらった。

 歩くのも疲れて路地に座り込む。

 通行人はジロジロと一瞥するのだが、浮浪者の多いカートリアでは大して珍しくもない光景。落伍者を見るような目つきをすると、すぐに真正面へ意識を向ける。

 猫背気味に背中を壁に体重を預けながら、首をしたに向けて曲げる。腕を組みながら、自分の体で作った影の中に顔を埋めるとなんだか落ち着く。周りの人間全てを一瞬だけでもいいから、シャットダウンしたような気持ちになれる。

 このままゆっくりと腐っていきたい。

 地面と同化していき、何も思考せずに済めばいいのに。

 事あるごとに辛い過去を全て霧消できることができれば、こんなに胸が締め付けられることはない。もしも今望みが叶うならば、記憶を失いたい。こんなトラウマ満載の街に滞在していたら、精神そのものが崩壊してしまう。

「――あの――ません――聞こえてますか?」

 小蝿が耳元で飛び回っているかのような耳障りな声。

 海の底に沈んでいたかのような意識を浮上させると、浅瀬を浮き輪でプカプカ浮かんでいるのがお似合いの幼き少女だった。どこかの制服を着ている。仕事の休憩の合い間にたまたまウォンが座り込んでいたから、気になって声をかけたといったところか。

 典型的な偽善者タイプ。

 本音では自分より弱い人間を見つけて安心している。そんな可哀想な人間に対して優しくできている自分を賛美したいがために、手をさし伸ばしたというわけだ。

 そんな役なりきれる訳もなく、無言を貫く。

 こういう人間に限って黙っていれば、自分の行為が撥ね付けられたと知って悪態をついてどこかに去っていくからだ。

 親切を押し付ければ、それと同等以上の何かを得られると勘違いしている人間は、必ず他人へ批難を集中させる。

 報われないのは、自分の気持ちを理解できない他人のせいだと決め付ける。自分のせいじゃない。そう思いたいがために、親切ヅラしながら平気で他人を傷つける。

 どうせ、こいつもそうだ。

 だが、いつまで経ってもうざったい影は立ち去ることをしない。それどころか、閉口しているウォンを見やって相当調子が悪いと勘違いしたようだ。

「だ、大丈夫ですか? 喋れないぐらい悪いんですかっ!? って、血が出ちゃってるじゃないですか!」

「……何もしなくていい」

「そんな! もしかして不審者だって私のこと疑ってますか? 私は、この先のエル・ドラドっていうカジノで働いているクリスティーナ・トランティスです! 怪しいものじゃありません! ホントです!」

 今、何か血を拭けるものを探しますね――と、何か言った気がしたが、激情したウォンの耳には入ってなどこなかった。耳の奥で反響し続けているのは、眼前の少女の名前。

 クリスティーナ・トランティス。

 こ・い・つ・が。

 こいつが、『カートリアの悲劇』を引き起こした張本人。

 ウォンの全てを奪い去った忌まわしき魔女だ。

 怠惰に支配されていた体の自由を取り戻した代わりに、肉体と精神に宿ったのは膨大なる憎悪。復讐の黒い炎に身を灼かれながら、視線は目の前の白くて細い首元へと移行する。

 クリスは後ろを向きながら、体中をまさぐっている。

 まるで見えない運命に導かれているかのように、仇は無防備だ。

 少しでも首に力を入れれば、ぽきりとあらぬ方向に曲がるだろう。フラフラと、泥酔者のような手つきでクリスの首へ――

「お前、それ……どうしたんだ?」

 ウォンは取り憑かれたような状態から、一気に我に返る。

 触れようとした後ろの首周りには、青いあざがあった。

 打撲のような跡で、生々しく内出血している。

 膝下とかなら転んだ拍子だと説明がつくが、そんな箇所に受けるとなると人為的なものとしか。

「ああ、ちょっと失敗しちゃって、それをオーナーに怒られちゃって……」

「それだけで?」

「虫の居所が悪かったんです。いつもはここまでしないんですけど……。でも、大丈夫です! こういうの、もう慣れっこなんですから!」

 不完全な笑みは、ウォンをこれ以上心配させないための気遣い。

 まだ幼い少女にこんな顔をさせてしまったのは、一体誰のせいだ。

「私、他人が嫌いなんですよね……」

 クリスはそう呟くと、

「事あるごとに酷い目に合わされるのには、もう……飽きました。どこに行ってもきっと私のことを傷つける人たちしかいない。嫌いどころか、憎んじゃうことだってあるんです」

 憎む。

 その気持ちは痛いほどわかる。

「……憎むべき相手に、何か報復しないのか?」

「いいえ。何故だかそんな気分にならないです。だって、なんだかそれって虚しくなるだけじゃないですか……」

「虚しく?」

「ええ。誰かを憎んでやり返したとしても、きっと気分は晴れないですよ。ほんのちょっと辛さが紛れて、そのあとでどっと後悔が押し寄せてくる。やり返す前よりもっと辛くなる。だから、ちょっと手前で我慢しなきゃ……この私が痛みを引き受けなきゃいけない。そうじゃないですか?」

「それで自分がボロボロになったらどうする。傷ついた時は、逃げたっていいだろ」

「逃げたとしても、その辛い気持ちからは逃げられない。それが分かったから、私はこの地に戻ってきたんだと思います。……あっ、言っている意味わかりませんよね、すいません……」

「いや……分かるよ」

 意味はわかる。

 そしてそれがどれだけ辛い選択なのかも。

 ウォンはその選択肢をとることができなかった。ずっとカートリアを退けていて、直視しないようにしてきた。

 失ったものは自分の大切なもので。

 それを認められるほど、できた人間ではない。クリスが生きてきた道は、ウォンよりもよっぽど茨が多かったに違いない。全てを忘れたいとさえ思ったウォンよりも、立ち向かおうとするクリスの方が、ずっとずっと辛いに決まっている。

「私は悪くないのに……そう思うときがあるんです。そうやって他人のせいにすれば安心できて、誰かを憎むのは簡単です。だけど、そうなる前に出来ることがあると思うんです。たとえ許せなかったとしても、自分の中に呑み込むことが……」

「そんなことしてたら身が持たないだろ……」

「そうですね。だから私は、少しだけ忘れてしまったのかもしれません」

 声のトーンが一段と下がる。

「後悔しているんです。逃げてしまったことを。だから今度は、最後の最後まで、できるところまで努力したいって思うんです。逃げてもいいなんて口が裂けても私は言えない。だってそれは、ボロボロになるまで傷ついた人間だけだって思うから! ……だから!」

 あっ、あった! ありました! と、クリスが騒ぎながら渡してきたのは、ハンカチだった。曰く、いつも持ち歩いているわけではないが、今日は久々に持ってきていたのだと。

 全てのポケットを裏返しにしている。

 必死になって、ウォンの体を気遣って探しくれていたのだ。

 初めてあった人間のために。

「そっか……だったら、俺が君を守ってやるよ」

 気がつけば、いつの間にかクリスの手を一方的に握っていた。

 温かかった。

 ――そうか、誰かと手を繋ぐってことはこういうことだったんだな……。

「え?」

 ハンカチをひったくるようにして血を拭うと、おちゃらけた語調で告げる。

「俺は派遣社員のウォン・フォンミン。求職中なんだ。どこかいい働き口を教えてくれない?」

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