Title-24 魔女はいつも守られている
「『創造主』……?」
聞いた事のない名前だ。
そもそも名前なのかも疑わしいが、カートリアは多くの人種が住在している。その中には偏見を持ってしまうようなことだってある。だから、クリスの既知ではない名前があるかもしれない。
「……お前を確保するために外で待機していたんだがな。……まさか『社長』の言う通り、この階にのこのこ現れるとは思ってなかった……」
遅ればせながらピン、ときた。
こんなところにいるのが、ただの一般人なわけがない。とっくの昔に避難したはずで、救助隊だったなら防護服を着込んだりとか、団体で行動するはず。
そうじゃないとしたら、答えは自ずと導かれる。
ウォンの同業者だ。
だから、身体が強ばる。
またもや、攻撃を受けるのではないかという恐れ。死神の鎌が首元に差し迫っているかのような、絶対的な死の予感だ。
だが、よく観察してみると、目の前にいる『創造主』という女の人は、『流星』と違って纏っている空気がどこか違う。臨戦態勢というわけじゃなく、ただただそこに立っているという風情。
まるでこれから戦闘をしようだなんて全く想定できない。
自然体な様子だ。
こうして『社長』に命令されて立っているのだろうけれど、全くやる気の欠片も見入られない。
「……一体、お前はこんなところまで何をしにここまで舞い戻って来た?」
平坦な口調で質問される。
もしかしたら、話し合いで解決できるかもしれない。
だって、ウォンの仲間だったなら、クリスの事情も知っているだろう。だったら、同情して色々と手を貸してくれてもおかしくない。
緊張を解きほぐすと、ありのままの想いを言の葉に乗せる。
「それは、ウォンさんに会うためです」
すると、どうだ。
得体の知れない何かが、『創造主』の体の周りから膨れ上がっていく。
今ままで感じたことのないような、どす黒い何か。
目の前のモノが、人間であるかどうかも分からないぐらいの、何かだ。
「……そうか、まだお前はあいつを傷つけるつもりなのか」
衝撃に顎が打ち砕かれる。
顔面を岩石が投擲されたかのような痛み。
カランコロンと、持っていた杖替わりの鉄棒が、掌中から弾かれる。
「あ……ぅぐっ!」
倒れふしたまま、血の吹き出た鼻を拭う。
薄暗いせいか、まるで見えなかった。
『創造主』が何を飛ばしたのかさえ、分からない。だが、手の遥か届かない遠距離から、攻撃を受けたのは確かだ。
「傷つけるって……どういう……?」
「……今、あいつは『流星』と戦っている」
ガムを噛みながら、『創造主』は階段を下りてくる。
悠々と歩いてくるそのさまは、余裕の証。
こちらがどんなことをしようが、対応できるということだ。
「……あいつはな、『猟犬』と呼ばれるほど《ハデス》に忠実だった男だ。だが、半年前から反抗的な態度が目立つようになった……。そんなことをすれば、遅かれ早かれこうなることはあいつも知っていたはずだ……」
へたりこんだままでいるクリスの前に『創造主』がそびえ立つと、
「……全部、お前のせいだ。お前を守るために……あいつは……」
そんなことを言うのだ。
憎悪のこもった双眸で見下しながら。
「そっか……ウォンさんは……」
だが、クリスの胸中はそんなものどうでもよかった。そんな負のエネルギーを跳ね返すぐらいに、幸福な事実が分かったのだから。
ウォンはクリスを守るために、自分の知らないところで戦っていてくれたんだ。
そのせいで、今命を削る戦いに臨んでいる。
そのことがとても嬉しかった。
歪んでいるとわかってはいるが、こんな自分なんかのために何かをしてくれるということが、胸に響かないはずがない。
「……お前さえいなければ……」
「そうですね。私もそう思います。私のせいで、色々な人を傷つけてしまったってことを。……私さえいなければ、こんな悲しいことにならなかったってことを」
ウォンのことだけじゃない。
カートリアの人々。
そして、両親。
たくさんの人間の犠牲の上に、クリスの今が存在している。誰かに守れられてきたから、こうして命を紡ぐことができているんだ。
「……お前にできることなんてない。もう、あいつに近づけさせない」
「私はあなたの言う通り何も出来ません。だけど、だからといって――何もできないことイコール何もしないってことにはならないですよ……」
グググ、と掌を床に押し付けながら、倦怠する肉体を持ち上げる。
疲労困憊で折れそうな心を叱咤する。
立たなくちゃいけない。
立って、ウォンの傍に行ってやらなくちゃいけないことがある。
「独りよがりな願いかも知れないけれど、私が傷つけてしまった人たちに罪滅ぼしをしたい。どんな絶望からだって逃げださない。……だって、あの人は……ウォンさんは……こんな私のことを守ってくれた。だから、私だってウォンさんを守りたい!!」
『創造主』は、クリスに気圧されたかのように蹈鞴を踏む。
支えがないまま、自分独りの力で立ち上がったクリスは、涸れた声で彷徨する。
「誰かに守られていることも知らずに、何もしないなんて……私にはもう……耐えられないから!」
瞬間。
ガクン――と、視界がブレる。
膝から下の感覚がなくなる。
必然的に崩れ落ちたクリスの視界の端に写ったのは、自分の体の一部だった。ごっそりと鋭利な刃物で斬られたかのようだった。
敵というよりは、哀れに地べたを這いずり回る虫を見るような『創造主』が、憐憫の孕んだ声を投げかけてくる。
「……どれだけ足掻こうが、今のお前がこの私に勝てないことぐらい分かってるだろ」
ナメクジのように這いながら、クリスは惚けている『創造主』の横を抜ける。
夜中になったのだろうか。
何故か、視界が真っ暗になってしまって光の温もりしか感じ取ることができない。真っ直ぐに進んで行けば、上の階に上がれる。
ウォンの許へと行ける。
それだけが、今の行動原理でそれ以外のことは瑣末なことだ。
例えもう、物理的に立ち上がることすらできなかったとしても。
「……なぜだ。なんでお前は……」
『創造主』が驚愕の声を響かせる。
恐らく、自分にとっては及びもつかないぐらい戦闘のエキスパートである『想像主』が。無表情を貫いていた彼女が、信じがたい物を見るかのように語尾を震わせている。
沈んでいく意識で、頭に浮かんだのはウォンの表情。
「私は……自分の過去を捨て……た。だけど……捨てきれないものだってある……か……ら……」