Title-20 支配者は次なる指令を与える
テレビの収録現場。
今日もまた煌びやかなステージで歌い終えると、アイリスは熱狂的なファンのアンコールに後ろ髪を引かれながらも廊下へと出る。
お疲れ様でした、とスタッフ達の労いの言葉を聞きながら、アイリスは明瞭な声で感謝の言葉を返す。今日の撮影が成功したのは皆さんのおかげですとか、歯の浮くような台詞をベラベラと重ねていくが、スタッフ達はほんわかした空気を漂わせている。
今をときめくアイドルが、一人一人に心を込めた礼を告げているのだ。分け隔てなく愛想を振りまく謙虚な姿勢に心打たれながら、囁くような声で口々に褒めちぎる。本人には聴こえていないと思っているところが、抜けているが、賛美されて嫌な気分ではない。
共演者にも同様に、邪気のない声で話しかける。
後で対応しなかったらスタッフ達とは別ベクトルの陰口を叩かれるに違いない。
嫉妬深い人間に付け狙われて、テレビで映っていないところで地味な嫌がらせをされるのは回避したい。
低姿勢でいきつつ、そのままでは侮れるだけなので、アイドル業界の確かな筋からの情報や、専門用語を会話に散りばめる。相手を立てつつも、会話の主導権を握って注目をこちらに集める。そうすれば、重要な発言をしたのはアイリスだという印象を植え付けることができる。例え、他人が核心をつく話をしたとしても、それを横からかっさらうことができる。あたかも自分が発言したかのように、その場の空気を自分色に染めることによってそれを可能とする。
みんなが結論が欲しい時に、キッチリと聞き手の心に言葉を刺す。
そうすることによって、誰もがアイリスに一目を置くようになる。より一層輝かんばかりの、尊敬の眼差しを送るようになる。
二人、三人と、そう思えるようになれば集団心理によって思考が伝播し、勝手にそれが自分の思考であると思い込む。単純でいて、真理。空気を敏感に感じ取れる社会人ならば、足並み揃えることが日常で、当然の行為なのだが――
「ああ、アイリスちゃん。お疲れ様」
時折、衆目を気にするべき視線を、自分にだけ持っていくナルシストもいる。スタッフの中でも偉い地位を持っているというだけで、何をしても許されると勘違いしている、ポジティブシンキングに満ち満ちている人間だ。
番組の偉い演出家ということもあって、誰もが口には出せないが、この脂のよくのった肌をしている中年の男には迷惑をしている。
主に、女性共演者が。
普段通っている夜のお店と同じ感覚で、女性に接してくるので忌み嫌われている。能力もないのに現場に居座っているというだけで地位をもらった男は、下の人間に理不尽なほど厳しい言葉で命令するので、典型的に他人に好かれないタイプ。
「お疲れ様です、宮地さん」
にやり、と粘り気のある笑みを浮かべる。
アイリスだけは顔色一つ変えずに対応してくれるので、歓喜しているようだ。
名前で読んでくれる人間も、そうはいない。だからこそつきまとってくるのは理解できているのだが、はねのけてしまえばアイリスの評判が落ちてしまう。それすらも計算の内なのか。執念を持って話しかけてくるこの感じは、ストーカーに近い。
「アイリスちゃんは、ほんとにいい子だねぇ」
「えー、そんなことないですよ」
ヒクヒクと、喋るたびにニキビだらけの鼻が動く。恰幅のいい体型のせいもあるのか、鼻呼吸するのが困難らしく、微妙に口を開けて酸素を取り込んでいる。
「あっ、そういえばカリーさんが呼んでましたよ。今日の演出がなんとかってぼやいてましたけど、ここにいていいんですか?」
ンガッ、と豚のように鼻を鳴らす。
カリーとはこのテレビ番組でよく指揮をとっている責任者のことだ。無視することはできない。宮地のことを呼んでいたというのは真っ赤な嘘だが、行けば説教してくれるだろう。
演出うんぬんの前に、実際の言動よりも更にタチの悪い噂が流れているからだ。
その噂を流しているのは、他でもないアイリス。
ここだけの話、と最初に銘打っておけば、みんな勝手に拡散してくれる。それが嘘だったとしても、信用してあなただけに話したと認識するので、話の信憑性を引き上げることができる。自分に都合のいいように情報を歪曲するのは、人の常だ。
「そ、そうか……それじゃあ、またね」
「ええ、また。さようなら、宮地さん」
きっともう、また会うことはないだろう。
清々しい笑顔で、永遠の別れの挨拶を済ませる。
それだけの情報を、既に巡らせてある。仮に違うと宮地が反論したところで、叩けば何かしらの埃がでる。別件で自主退職されることになるだろう。仕組まれた物語は動き出し、歯車を止めることは今や誰にもできない。
「つまんないの……」
ポツリと、独りになってしまってから、寂しげな声が中空に浸透する。
アイリスが最も恐れること。
それは――『退屈』だ。
あまりにも人が自分の思うように動きすぎて、世界がまるで精密なおもちゃ箱のようだ。そして人間は心のない木偶人形。社会に溶け込むためには、人格や容姿の均一化が必須科目。それによって、言動はパターン化され、人間はつまらないものになっていく。御し易い馬鹿が大量生産されることになる。
世界が思い通りになったところで、一体なんになる。
強烈な虚無感だけが、ポツンと胸の中に残っているだけだ。
――もっと、もっと、もっと、遊びたい。
我知らず、早足になる。
――物足りない。この私を飽きさせない、最高のエンターテインメントが起きればいいのに。例えば、そう……世界がこの世から消滅する危機が訪れたら、全細胞が痺れる快感を味える!!
アイリスのために用意された控え室に飛び込むと、ベッドに飛び込む。
――世界はきっと優秀すぎる私のために用意された、暇つぶしのためのおもちゃに過ぎない。だから――
周囲に人影がないことを視認して、鍵を閉める。
「私が、世界をもっと面白いものに作り変えてあげる」
そのために必要な駒は揃った。あとはどういう駒動かし方をすれば、より混沌に満ちた秩序なき世界へ変貌するかを熟考するかだ。
情報端末機器を取り出すと、いの一番に奴に電話をかけるが、予想通り途中で切れる。きっと、交戦の真っ最中だから壊したのだろう。好戦的な奴は最も乗せ易い。戦う理由を作ってやれば、餌に食いつく。
もう一人の人間、今度は『創造主』に電話をかけると、数回のコールで繋がった。
「もしもし? 今大丈夫だった? うん、そうそう、私、私――」
「『社長』」