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派遣の猟犬  作者: 魔桜
クリスside
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Title-02 ドジな少女はカジノ店員

 住在する人たちの貧富の差が、二極化してしまっているこの街の名は、カートリア。街の中でもより多くの人間が行き交う中心街の一角に、五階建ての雑居ビルがあった。

 派手な外装は、歩いている人間の目を十二分に引く。黄金色に装飾されているビルに相応しく、客の敷居はかなり高い。

 店の前では強面のスーツ姿の人間がそっと脇に控えていて、客の選別をしている。容姿からして冷やかしに来たような若者達には、もれなく門前払いされる仕様となっている。

 その室内。

 快適に移動するエレベーターを上がっていく、最上階に位置する五階はというと、今日も耳をつんざくようなギャラリー達の歓声と、一世一代の賭け勝負に負けてしまった落胆の声が一緒くたになって、ドッと客たちが湧いていた。

 ビル内は、ムッとする異様なまでの熱気に包まれていた。

 天井に設置されてあるぎらつく照明は不必要なぐらい明るく、目を瞑ってもしばらくの間、瞼の裏がチカチカと光を放つぐらいだ。

 この街のカジノの中でも有名な、エル・ドラド。

 四階にはオークション会場も設置してあるこのカジノに、本来ならば立ち入りを禁じられるであろう、この世に生を受けて重ねてきた誕生日は十回だけだという幼き少女がいた。

 クリスティーナ・トランティス。

 オドオドとした様子で、挙動不審ぎみにトパーズのような光彩を帯びている瞳を動かす。今にも喉を曝け出して、悲鳴に似た泣き声を超音波のごとく発射しそうだ。口元の端は釣り針が引っかかってしまったかのように、上に引き攣らせている。

 目鼻立ちは彫像のようにしっかりとしていて、金髪の毛先はカールがかっていて、螺旋を描いている。髪の長さはというとセミロングで、肩に多少かかるほど。

 太陽を反射する雪原のように、真っ白な肌は透過しそうなぐらい。

 両手で掴んで力を込めてしまえば、ポキリと小枝のように折れてしまいそうな腕の先、五指を目一杯広げた上には円形のトレイが乗っかっている。 

 エル、ドラドの女性専用の従業員服に身を包んでいて、仲良く並んでいる両脚の上には、黒と赤のコントラストが映えるデザインの良さげなミニスカートを装着している。

 あどけない子どもだから女性としての魅力はまだまだ皆無だが、この制服のおかげで幾分かは可愛さの比率が増している。

 だが、腰周りと違って、少しばかり胸のウエストが緩いのは、制服が憎々しくも身体にフィットする素材だから、どうしても隠しきれない。なだらかな双丘はそれこそまな板同然の大きさしかないので、成長段階であることを祈るしかない。

「きゃ!」

 よそ見をしながら歩いていると、何かの障害物にぶつかる。

 咄嗟のことに、飛び跳ねるようにして頓狂な声を上げてしまった。その拍子に足が交差するように縺れてしまい、トレイに乗せていた二種類のアルコール飲料をグラスごと零してしまう。

 後ろに倒れそうだったのを、わざわざバランスを取ろうとしたのが失敗で、二つのグラスは前後に倒れてしまい、自分の服と、それから前方に思いっきり中身をぶっかけてしまった。

 戦々恐々としながら、自分のせいで引き起こしてしまった惨状を視認する。

 濡れてしまったのは、白髪の混ざっている男性の客だった。髭はもっさりとしていて元気がいいのに、髪の毛の生え際が目に見えて薄く、可哀想にどうやら日々ストレスを抱えていそうな方だった。

 飲み物は、高級そうな服にかかってしまっていた。

 もしも正当な額の弁償を請求されれば、クリスの三ヶ月分のなけなしの給料なんて、文字通り紙くずのように吹っ飛ぶ。

 みるみる怒りで顔をタコのように紅潮させると、飛沫を伴った唾を飛ばす勢いで客は激昂する。

「どこを見て歩いているんだ、君はっ!」

「すいません! すぐにお拭きします!」

 あたふたとしながら、ポケットに入れているはずのタオルを取り出そうとするが、中々見つからない。いつも手元に差し出すのが遅れてしまうから、今日は普段と違う場所に入れておいたことを思い出した時には、客は痺れを切らしていた。

「そんなことせんでもいいっ! あーもういいから、さっさと早くどこかに行きたまえ!! 目ざわりだ!!」

「えっ……でも、まだ拭いて――」

「いいからどこかに行ってくれ!! 私は君みたいな貧乏人の相手ができるほど暇じゃないんだ!!」

「も、申し訳ありませんでした!」

 誠心誠意を込めてお辞儀をすると、くるりと身を翻す。

 客の視界の外から一刻も早くでなければ、また火に油を注ぐことになる。脇目もふらずに急いでいたが、それが泣きっ面に蜂となってしまう最悪の結果を招いてしまった。

「あっ!」

 今度はガン、と三段重ねにメダル箱を持っていた客にモロに正面衝突をしてしまう。バラバラと、本物の金貨のように光っている大量のメダルが床一面に吐き出される。

 ぶつかった客には嫌味の数々を、呪詛のように言い募られる。先ほどの客より数倍ネチネチ言われ続けて、辟易してしまう。

「も、申し訳ございません、私の不注意です」

 と、首の筋肉がビキッと異常を訴えるぐらいまでは頭を下げた。他にも同類項の意味であろう謝罪文を、バリエーション豊かに重ねがけしてなんとか解放された。

 やっと客がいなくなって独りきりになれると、ようやく安堵のため息がつけた。

「あううう」

 濡れてしまった制服を見下ろして、だらんと両肩を力なく下ろす。

 白いタオルを持ち出して、制服の濡れている箇所をゴシゴシと綿密に拭いてみるが、そうそう乾くわけもない。胸からへその辺りぐらいまでにかけて、目立つように跡が残ってしまっている。微妙にひんやりとした感覚が肌に伝わって、鳥肌が立っている。

 制服の上から水気を取るのは埒外。直接肌にタオルを押し当てることを思い立つと、

「クリス!」

「……っ!」

 客やパチスロなどが奏でる騒音の中でも聞こえた。自分の名前を、怒気の孕んだ大音声で呼ばれたクリスの肩はビクリと跳ねる。

 この店を経営するようにと雇われたオーナーが、こちらに来いと無言で顎をしゃくっていた。

 顔のいたるところにシワが寄っていて、クシャクシャにした紙くずみたいな顔をした四十代ぐらいの男性だ。

 背が高い上に、肩幅があって貫禄がある。

 覇気の込もった声は、人の上に立つだけはある強制力を持っている。

 そして近寄ってくるように怒鳴るのは、客の目に留まるような場所では、真剣に叱責できないからだ。

 ――あんな大声を出す時点で、充分お客様には迷惑がかかっている気がするんですけどね。

 赴きたくはなかったが、叱られる時間を遅らせれば遅らせるほど、オーナーの怒りのボルテージは上がっていく計算。

 タッ、と駆け足になりながら、部屋の隅に到着すると、渋い顔をしたオーナーが、顔をずいと近づけてくる。

 それから野獣が威嚇するように声を荒げる。

「お前が、お客様に飲み物を零すのは今月に入って何回目だ?」

「……えーと、ちょっと待ってください」

 手元に手帳を引き寄せると、ペラペラと紙を捲って何回かをすぐさま調査する。

「そう……ですね、今日のあれで75回目になります」

「そういうことじゃない!」

 素直に答えたというのに、何故かオーナーは肩を怒らせる。

 どうやら、反省の色が見られないかららしい。

 ――分かりません! 数えていませんでした!

 と言い切った、先月の反省を活かしたつもりだったのだが、お気に召さなかったらしい。

 前々から薄々と感づいてはいたのだが、どうやらクリスの立ち振る舞いは一々人のカンに障るらしい。

 しかも、人一倍不器用だ。

 昔から失敗ばかりを繰り返して、こうやって怒られてばかりだ。自分だってどうにかしたいと思っているけれど、どうにもできない。気をつけていても、交通事故みたいに突発的に何かアクシデントが発生してしまう。

 それでも、なるべく失敗を少なくしようとは努力している。学習能力がないのは自覚できているから、胸ポケットに入れることのできるミニサイズのメモ用紙を持ち歩いている。

 そこにはびっしりと、猛省の文章が記載されている。

 狭苦しい自室に帰ってから、ペンを走らせるのが毎日の日課だ。

 一人でイメージトレーニングしている時は、しっかりと仕事ができている。だけど、人前にでると緊張してしまって、体が震えてしまう。

 頭が真っ白になってしまって、ボロが出る。致命的なまでにあがり症なのだ。だから失敗したことの全ては、自分の不甲斐なさのせいだ。言い訳のしようがないから、謝罪することしかできなくなる。

 こうして他人に頭を垂れるのは何回目だろう。

 ちょっと興味がある。

 それこそ、メモを取っていればよかった。

「――い! おい! クリス、話を聴いているのか!?」

「は、はい!」

 オーナーのボキャブラリーがあまりに少ないせいか、昨日と全く同じ意味の言葉の羅列だった。

 ――単調だったので話に集中できませんでした。

 とは、言えるはずもない。

 作れていない不完全な笑いをしていたのは、頬の感覚でわかる。過剰な抑圧を受けないための処世術。

 それが、微笑み。

 困ったことがあると、笑って誤魔化すようになっていた。持続時間が長ければ長いほどに、自分の感情が削減していくのを感じる。

 また、それか……と呆れ果てる大人がほとんどが、大概の場合これで責めている方は力が抜ける。どちらにとっても、これがきっと最善のことだからクリスは我慢するしかなかった。やがてオーナーは徒労感のある説教を無駄だと悟ったのか、

「もういい。いいからそのみっともない服を着替えてこい」

 フン、と鼻を鳴らすと、苛立つように踵を返す。

 上司としての態度から打って変わって、通りかかったお客様に愛想のいい顔をするのは流石だ。

 経営者のプロ根性とも言うべきものか。

 クリスには到底マネができない。

 演技なんてできなくて、いつも素の対応をしてしまう。正直者といえば聞こえはいいが、悪く言えば要領が悪い。

 社会で生きていく上では、あまりにも致命的な弱点だ。

 まだ子どもなのだからしょうがない。

 そう割り切れる性格をしていたならば楽だっただろうが、そう上手くはいかないのがクリスの厄介な性分というやつだ。

 クリスは項垂れながら、重い足取りで更衣室へと向かった。

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