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派遣の猟犬  作者: 魔桜
クリスside
18/32

Title-18 傷ついた少女は真実を求める

 目蓋を強引にこじ開ける。

 暗がりの中。

 まだエレベーター内にクリスはいた。

 少し斜めに傾いている。

 エレベーターのボタンは所々破損していた。

 バチバチッと電気系統が壊れているような音。どうやらこのうるさい騒音で、気絶していたクリスは覚醒したらしい。

「生き…………てる?」

 とても信じられない。

 脱出するためにも起き上がろうとすると、

「痛っ!」

 総身に激痛が走る。

 数階から落下し、打ち付けられた肉体はムチ打ちのようになっていた。打撲による内出血も酷いが、すぐさま命に関わるようなことはないらしい。

 奇跡的に、助かった。

 エレベーターの扉は、歪むようにして壊れている。

 立ち上がろうとするが、全身の中で最も痛い患部が悲鳴を発する。

「足が……」

 落ちる時に捻ってしまったのか、まっすぐに身体を支えるのも難しい。

 扉に寄りかかるようにして、必死で扉に両手をかける。

「くっ……うう……あっ!」

 なんとか、こじ開ける。

 だが前のめりに立っていたせいで、足で支えられないままバタンと倒れる。歯と床が擦れたせいで、唇が痛い。鉄の、血の味が唇に拡散する。

「早く、逃げなきゃ……」

 剥き出しになったコンクリートが、爆破のせいでごろごろ転がっている。

 這うようにして前に進み、上を見上げてエレベーターの階数表示を見れば、ここは一階。どうやら、こんなところから爆発をしかけていたようだ。

 瓦礫の中を探すと、やはりお目当てのものがあった。

 支えとなっていた鉄骨だ。

 ちょうど杖替わりに使える代物。ちょっとでかいくてクリスの身長とは不釣り合いだが、そんなこと言っている暇なんてない。

 こんなことをしている間にも、死神は追尾してくる。

 だが、クリスは運がいい。

 目の前には、エル・ドラドから外へと出る出入り口がある。光の帯が、まるでレッドカーペットのようにクリスのことを導いている。

 これで、逃げられる。

 九死に一生を得られる。

「逃げて……」

 今は、最悪としか形容できない。

 まるで、ここは地獄のように、火の手が回っている。

 だけど、今までだってどうにかしてきた。どれだけ苦しい局面であっても、どれだけ辛いことが起きても、独りでなんとか切り抜けてきた。

「逃げて…………」

 ここで身を翻したところで、誰かに責められることなんてない。

 自分の身の安全より大切なものなんてない。

 クリスに降りかかった不幸を他人に話せば、同情してくれるだろう。警察に保護を頼めば、クリスのことを世話をしてくれる施設を紹介してくれるかもしれない。

 最初からそうすればよかった。

 どうして、あの時、『カートリアの悲劇』が起こった時に、そうしなかったのだろう。誰かの庇護下に入れば、楽をできた。

 実際にあの後、政府の世話になった人間も大勢いた。どこか遠くの場所で、全てを忘れて新たな人生を送っている人間もいる。

 そういう生き方だって、選択肢にはあった。

 そのはずなのに。

 クリスは、このカートリアという地に舞い戻ってきた。

「逃げ……て……」

 毎日のように、悪夢に精神を苛まれた。

 完全に忘れ去るためには、どこか別の場所へ逃げればよかった。毎日エル・ドラドで失敗を繰り返して、ずっと誰かにどやされている毎日で、辛かった。

 だけど――


「逃げて私は、どうするんだろう……」


 逃げた先には、一体何が待っているのだろうか。

 記憶は風化していく。

 幼かったあの日の出来事はおぼろげで、一緒に暮らしていた家族の顔すら、親不孝にもあまり覚えていない。

「また、忘れちゃうのかな……」

 ウォンが派遣社員としてエル・ドラドへ来てから半年。

 まるで、夢のようだった。

 オーナーに叱咤されて、落ち込んだ時は、励ましてくれた。

 お客様に小言を言われた時は、割って入って助けてくれたこともあった。

 雷が怖くて、独りぼっちのまま夜を明かそうとなった時は、一緒にいてくれたこともあった。

 だけどそれは、本当に夢幻だった。


 ――辛かったよ。お前が明るく笑ったり、振舞ったり、喋ったり。そういう幸せな顔を見るたびに、なんであいつが消えなくちゃいけなかったんだって、そう思ってた。


 胸が真っ二つに引き裂かれそうだった。

 ずっと、ウォンはクリスのことを憎んでいたんだ。

 どんなに優しくされたって、あの全てがクリスに近づくための演技だった。

「また、全部なかったことになっちゃうのかな……」

 ウォンとの思い出が、蜃気楼のように霧散し始める。

 半年前に、リセットして全てを忘れて、ゼロからスタートする。そうすれば、こんなに辛い想いをしなくて済む。

 それなのに――想いがブレる。


「――そんなのっ、嫌だ」


 身を翻して、足先を闇の底へと向ける。

 壊れたエレベーターは、当然の如く使用できない。隣接するもう一つのエレベーターも、故障しているのか、使用できない。

 上の階へ上がる手段として残されているのは、階段しかないが瓦礫で埋まっている。瓦礫の一つを持ち上げようとするが、クリスの力では持ち上がらない。

 体当たりを何度か敢行するが、びくともしない。

 何度も――。

 何度も――。

 幼くて弱い身体は頑強な砦のような岩の連なりに、跳ね返えされる。

 こんな時、十歳の少女はあまりにも、無力だ。

「あっ……!」

 さらに足首を曲げてはいけない方向に捻る。

 痛みのあまり、涙が瞳にじんわりと滲む。

 座り込んで、諦めてしまおうかと一瞬脳裏に過るが、すぐさま立ち上がる。唇を噛みながら踏ん張って、激痛なんて感じていないと強がる。

 ガッ、ガッ、と瓦礫の隙間に鉄骨を滑り込ませる。てこの原理を遣うようにして、体重を鉄骨に全力でかける。小さくジャンプしながら、塞いでいる壁を壊すように。

 道なき道が切り開かれることを信じながら。

「私はもう……逃げたくないっ! 失いたくないっ! 後悔したくないっ! だってようやく私も――」

 ガッ、と確かな手ごたえがあった。

 ガラガラと、音を立てて落石事故みたいに、コンクリートの瓦礫が襲い掛かってくる。逃げ切れなくて、岩石が足に落ちる。よりにもよって、捻った方の足だ。

 それでも、クリスは笑っていた。

 目の前には、闇の底を引き裂くような一条の光があったからだ。


「幸せになれたんだから」


 たとえ、ウォンの言葉や行動のすべてが、嘘偽りだったとしても。

 クリスのことをちゃんと見てくれていた。

 横にいてくれた。

 監視される側と、監視する側。

 加害者と、被害者。

 無知な少女と、真実を知っていた青年。

 とても歪んだ人間関係であったとしても、傍にいてくれた。

 二人の過ごした日々は、温もりを伴った本物の記憶だから……。

 こうして、上を向いて歩けるんだ。

「会って、真意を確かめなくちゃ」

 今度こそ、絶望するのかもしれない。

 だけど、そうなったとしても、ウォンの口から真実を知りたい。もっと話したい。ほとんど何も聞けていない。クリスのことをどう思っていたのかを口にしてほしい。

 今度こそ、後悔したくないから。

「私はウォンさんのところに行くんだ! 絶対に!」

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