Title-17 摩耗した宝石は光沢をもって価値を示す
エレベーターの扉が、爆発によってひしゃげている。
爆炎をまき散らし、鉄部分が多少溶けている扉の前は大惨事となっている。エレベーターを動かすワイヤーはものの見事に切断されてしまっている。
乗っていたクリスの安否は不明だ。
爆発による衝撃はエレベーター内にいたから少なくとも、数階の高さから叩き落された衝撃までは殺せなかった。
下は闇に包まれている。
どんな状況なのか、ここからじゃ判別できない。
「あーあ。先輩が余計なことするから、ちゃんと処分できたか分からないじゃん」
爆発を引き起こした当の本人は、飄々としている。
心底残念そうな顔をしながら、下に落下したエレベーターを、ウォンの隣で視認しようとするが、やはり諦める。
「いや、わかるよ。先輩がどれだけ『悲劇の魔女』を憎んでて、他の傭兵に手を借りずに処分したかったことぐらい。でも、これじゃあ、わざわざ下の階まで様子見に行かなくちゃいけなくなる手間が増えただけでしょ。もうちょっと真面目に仕事に取り組んで欲しいなあ」
「…………」
返答をしないウォンに焦れた『流星』は、くるりと踵を返す。
クリスを確実に仕留めるために、下に降りるための階段へと優雅に歩き出す。はぁー、なんて気の抜けた欠伸をしながら、背を向けたまま、
「先輩はここにいてもいいよ。なんなら一緒に――」
気に障る言葉を最後まで聴く前に、ウォンは攻撃に移る。
ウォンが素早く手を動かすと、遠く離れた場所に立っている『流星』のすぐ横にあった壁のコンクリートが弾ける。
瞬時に攻撃を繰り出し、そして暗器のように自分の手元に引き寄せたので、どんな武器で攻撃されたのか、不意を突かれた『流星』には理解できなかっただろう。
相手に自分の攻撃パターンを悟らせないためにも、自分の手持ちのカードはなるべく隠した方がいい。絶妙のタイミングで切るためにも。
「……なにこれ? 《ハデス》に対する反逆行為とみなしていいわけ?」
『流星』は激情を押し殺した声で、威嚇してくる。
ゆっくりと振り返った顔は、さっきまでと打って変わって、戦場を駆ける傭兵そのものだった。
「違うな。任務内容に反しているのはお前の方だ」
いくら放任主義とはいえ、あの計算高い『社長』が、ウォンすら知らない経験の浅い新入社員にここまで好き勝手にやらせているとは考えづらい。
『流星』の暴走だとしても、止めたいのならば何らかの手段を必ず講じるはず。対策を取らないということは、このまま『流星』がクリスを攻撃することが、今後の《ハデス》にとって何かしらメリットがあるからとしか考えられない。
そこまではウォンにでもわかる。
だが、その先の、どんなメリットがあるのかが分からない。
――あの女狐、いったい何を考えてる。
どう考えたって、このまま事態が進展していけば、最悪の事態が待っているのは間違いない。それを、目の前にいる『流星』が理解できているとは思えない。
ウォンは、『流星』がどういう腹積もりでいるのか問う。
「あいつを刺激したら、どうなるか……」
「そんなの分かってるよ。記憶が戻って、もしかしたら、『悲劇』がまた繰り返されるかもね」
「……お前、最初からそのつもりか」
拳を強く握り過ぎて、骨が軋む。
「アハハ。違う違う。もちろん最善なのは、『悲劇』を起こされる前に、『悲劇の魔女』を撃滅すること。でも、仮に『悲劇の魔女』がもう一度能力を発動してしまっても、結果オーライ。これからどう転んだって、もう魔女に明日はこない」
「……どういうことだ?」
「能力が発動すれば、最後。四年前に隠ぺいされた真実が、世間に白日の下に晒され、『悲劇の魔女』を撃滅するために、全世界の敵対していたはずの組織が手を組むことになるだろうね」
テロリスト、国家機関、民間の組織。
あらゆる組織は現在バラバラだが、確かに『流星』の言うとおり結託することになるだろう。それは全世界の人間が望んでいることなのかもしれない。
国家間の戦争や国内部での紛争がおきなくとも、組織間の小競り合いだけで、貧窮している者も世界には大勢いるのだから。
近くにあるカートリアでさえ、これだ。
まだまだ溢れかえっていることだろう。
「なんたって、事は世界の危機だ。これで互いの領分を犯さないとか言っている場合じゃなくなる。世界は、巨悪の前に一つになる。それはそれで、とってもロマンチックでしょ? アリだと思うんだよ、それも」
それは、あまりにも完璧な物語だ。
ずっと敵対していた組織達が、世界を滅ぼしかねない巨悪に対して、嫌々ながらも手を取り合う。みんなで協力して、悪を滅する。
それは、きっと美談として何世代にも受け継がれるだろう。
勿論、それは一時的なものだ。
一瞬だけ世界は一つになるが、すぐにまた分裂する。個人の主義主張や価値観なんてものは、共に暮らしている家族でさえも差がでるものだ。その差があるから、差別が生まれ、争いが生まれる。小さなもので言えば、喧嘩とか。
それでも、少しの間だけ一つになった世界に、後世の人間は賞賛の声を上げるだろう。よくぞやってくれた。世界が平和になった。悪は負け、正義は必ず勝つ。
聞こえのいいことばかり並べて、都合のいいように脚色するだろう。
だが――そんなものはまとめて糞喰らえだ。
「『悲劇』は二度と起きない。……今までも、そしてこれからも」
「……なに言ってんの? あんた正気? 誰がどう考えたって、そんな保障どこにもないことぐらいわかるでしょ。一度間違いを起こしたんだよ、あの魔女は。そんな奴に与えてやるチャンスなんてないんだよ」
「どんな人間だって、間違える。過ちを犯す。だけど、それでもあいつは頑張ってたんだ。どれだけ苦しくたって、自分の過去と向き合ってたんだ」
「向き合ってた? 魔女が? 記憶を喪失していたのに?」
クリスに出会ってから半年。
二人きりになった時間は、思いの外多かった。だから、クリスのことを資料やデータでしか知らない『流星』よりもよっぽど、彼女のことを語れる。間近でクリスのことを見てきたウォンだからこそ、言える言葉だってある。
――この人です! 私が憧れてる人は!
「……あいつは……クリスは、輝きたいって言ってた。テレビのアイドルみたいに……。宝石みたいに輝きたいって」
「はあ? なにそれ? 馬鹿でしょ、そんなことできるわけない」
「ああ、俺も初めて聞いた時、そう思った」
「だったら――」
「あいつはほんとに馬鹿だ。これから頑張って、宝石みたいに輝きたい? そんなことできるはずがない。だってあいつは――」
これだけは、自信を持って言える。
「とっくの昔に輝いていたんだから」
宝石はその身を削られる。
傷ついて。
何度も何度もその身をすり減らして、ようやく輝くことができる。そうしなければ、価値がでないから。外側がどれだけみすぼらしくても、中身が伴っている。それが、宝石なんだ。ちょっと見ただけじゃ、絶対にその輝きは目にすることができない。
「過去を取り戻せない自分を責めていた。仕事がうまくいかなくても、誰かに愚痴をこぼすことなく、ただ一生懸命にやっていた。両親もいなくて独りぼっちであって、傷だらけであっても、誰かに心配されないように明るく振る舞っていた」
「………………」
「そんなあいつが、輝いていないはずがないんだよ」
クリスは気が付いていない。
自分がどれだけ凄いかってことを。
誰よりも辛い想いを抱えていたんだ。四年間、たったの独りきりで。どれだけ寂しくても、負けなかった。
「……なんだかよく分からないことをペラペラと」
『流星』は、異物を口に含んでいるような顔をして言う。
「あんな魔女がどうなろうが、俺にはどうだっていいんだよ。どうせ今から処分するんだから。それを邪魔するってんなら……これはもう戦り合うしかないでしょ」
二人の派遣社員は、覚悟をもって対峙する。
どちらかが倒れるまで、闘う覚悟を持って。
「見せてもらおうか、《冥府の猟犬》。あんたがどれだけ強いか」
「見せてやるよ。ただし、実力を見せる前に、お前が死ななければな……」