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派遣の猟犬  作者: 魔桜
クリスside
13/32

Title-13 悪夢は雷雲と共に消え去る

 灰色の煤けた空の下。

 視覚野に刻まれるのは、終焉の景色。

 先刻まで旅客機の上から眺めていた建物は、全てなぎ倒されていた。ビルに飛行機の右翼が衝突し、空中で傾いてから、交差点を渡っていた大勢の人たちに、巨大な飛行機が突っ込んでいたことまでは記憶にある。

 だが、その前後の記憶は霞んでいる。

 思い出そうとしても、脳みそを直接掻き毟るようなノイズが邪魔する。

 まるで、身体が思い出すのを拒絶しているかのようだ。

「……いっ――」

 頭が割れるように痛い。

 患部に手をやると、ベッタリと血が付着していた。

 ふらりと、貧血気味に倒れそうになる。

 現実味のない光景がぼやける。

 こんなのありえない。

 まるで、夢か何かを見ているようだ。

「ひっ!」

 悲鳴を上げたのは、瓦礫の隙間から人の手が突き出していたためだ。

 手の甲が上向きにだらりとぶら下がっていて、血だらけになっていった。腕の角度がおかしく、ありえない方向に折れ曲がっている。

 ――なに、これ。誰か――助けて――。

 血の気が引く。

 顔面蒼白になりながら蹈鞴を踏むと、足に何かが引っかかる。

「きゃ!」

 短い悲鳴とともに、後ろにすっ転ぶ。

 ぬちゃあ、と後ろ手についた両手に何かが粘着する。青くなった唇を震わせながら、掌を見やると、先ほどよりも更に赤黒く染まっていた。

 振り返ると一目見て致死量と思える血溜りに、人が沈んでいた。女性で、白目を剥いている子どもを抱えながら、全身から血を流している。

 そして、気がつく。

 後ろにひっくり返ったのは、息をしていないこの女性に躓いたからだということを。

「――――!」

 声にならない悲鳴を、口内に響かせる。

 頭を振りながら、駆け足になって逃げる。どこに逃げていいのかなんて分からない。だが、こんなところに居続けたら、きっとおかしくなってしまう。

 怖い。怖いよ。

 誰でもいいから。

 この悪夢から解放して。

 涙を虚空に溶かしながら、息を弾ませる。

 心臓が破裂しそうになりながらも、ただ必死に走り続けた。

 ――あ、誰かがいる?

 死臭が漂う瓦礫を抜けて開けた場所に到達すると、そこには見慣れた後ろ姿があった。二人連れ立って歩いていて、生還者がいるというだけでも心が浮き足立つ。

 だが、それだけじゃない。

「――母さん? お、父さん? お母さん! お父さん!」

 歓喜のあまり、涙が迸る。

 泣きすぎて、目元が痛い。

 両目から溢れた涙は口元にまで流れ、唇を伝って地面に落ちる。汚らしいことこの上ないが、拭う余裕はなかった。

 鼻水すらでそうになりながら、何度も両親を呼ぶ。

 喉が枯れても、足が棒になっても、必死になりながら駆け寄る。

 だけど、気がつかないのか、振り向いてくれない。

 それどころか、全然距離が縮まらない。

 こちらは懸命に走って、あちらは歩いているというのに。

「お父さん! お母さん!」

 ようやく――届いた。

 両親の間に割り込むような形になりながら、二人の手をがっしりと掴んだ。

 だが、掴んだ瞬間に、違和感を覚えた。

 満開花のように開花させていた笑顔が、どんどんしおれていく。

 ぶにょとした気味の悪い肉感がしたと思うと、両親の手が吐瀉物のようにドロドロになる。

「あっ……あっ……」

 驚愕に目を見開き直視したくないと想いながらも、あまりの恐怖に目を閉じ方すら忘れる。

 過呼吸になりながら、ドッと冷や汗を全身からかく。

 チーズのように溶けた腕が纏わりついてくるが、振りほどくことができない。

 凄惨な光景に吐き気がしながら、悲鳴を撒き散らす。

 足が磁石のように地面にくっついて、倒れることもできない。

 やがて、両親が振り向く。

 目を閉じてしまいたい。

 全てを闇の中へと葬り去りたい。

 それなのに閉じることができなかった眼球には、原型を留めていない両親の顔が写る。肌どころか髪の毛の一本に至るまで酸をかけられたようだった。

 粘ついた糸を引きながら、両親のベトベトとした口が数度に渡って開閉する。


 ドウシテ アナタハ イキテイルノ?


「はっ!」

 ガバッ、と飛び跳ねるようにして、クリスは掛け布団をどかす。

 喘ぐようにして、酸素を吸い込む。

 偏頭痛に苛まれながら、暗闇の中視線を漂わす。

 職員寮の壁や天井であることを視認して、ようやく今まで夢を見ていたことに気づかされる。

「良かった……夢だったんだ……」

 だが、全てが丸々夢だっただとは思えないぐらい、鮮明に情景が瞼の裏に映し出された。時折こうして四年前の悲劇の一端を、夢の世界で垣間見ることがある。

 汗ばんでいる全身は、全てが冷や汗。

 肝を冷やしながらも徐々に落ち着きを取り戻していく。

 外から漏れる月明かり。

 静寂に満ちていて、雷雲は彼方に霧消したようだった。

 それなのに、心の暗雲は立ち込めたまま。

 悪夢に取り憑かれるのは、家族を置いて、クリスだけが生還の抜けがけをしたからだ。これならば、いっそのこと自分が身代わりになればよかった。

 生きていてもいいことなんて、一つもない。

 だからこそ、あの優しかった両親に生き残って欲しかった。目覚めても、寝ていても、何かしらの責め苦に精神を苛まれるぐらいだったら、いっそのこと――。

「……あ」

 クリスの手が、誰かの手に触れる。

 ウォンだ。

 ベッドが一つしかないということで、二人一緒に一つのベッドに眠ることになったのだった。

 寝息を立てていて、起きる素振りを見せない。

 良かった、起こさずに済んで。

 生きていてもいいことが一つもないなんて、間違いだった。

 どれだけ辛いことがあっても、ウォンが味方でいてくれる限り頑張ることができる。

 過去の幻影に責められ、ようやく覚醒したその時に、こうして傍にいてくれる。何もしなくとも、こうして隣にいてくれる。

 独りぼっちじゃなくなることが、こんなにも心満たされるなんて思いもしなかった。

 自分にとって大切だと想える人が、近くにいるだけで幸福だということを教えてくれた。

 この想いは、きっととてつもなく価値のあるものだ。

 ちょっとしか生きてきていないけれど、それは確信を持ってそう想える。

「…………」

 ウォンの身体の中に滑り込むようして、目蓋を閉じる。

 今日の二度寝は、どうやらいつもと違ってぐっすりと眠れそうだ。

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