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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

闇夜一戦

 薄明かりの中を女が縦横無尽に駆ける。重量など感じさせないほどの軽やかな身のこなしだ。時折吹き付ける突風も、彼女にとっては何の障害にもならない。己の身長よりもはるかに巨大な壁をも、彼女は軽々と駆け登る。

 ここを抜ければ、目的達成だ。女の口元が自然と笑みの形をとる。

 壁を登りきり、女は休むことなく頂上から飛び降りた。瞬間、降下する彼女の体に目掛けて鋭い一閃が放たれた。間一髪で、女はそれを避ける。だが、完全には避けきれず、身にまとっていた黒装束がわずかに切り裂かれた。

 舌打ちをする女の前に、暗闇から何者かが姿を表した。

「これより先、お主を進ませるわけにはいかぬ」

 男の声だった。低く、腹の底から湧き上がるような声。

 月明かりの中、一人の侍が女を冷たい目で見下ろしていた。

「我が主のために、貴様にはここで散ってもらおう」

 男から発せられる殺気に女は少々たじろいだ。が、すぐに彼女は体勢を整え直す。

「そんなこと、出来るのかしら?」

「無論」

「……そう」

 それ以上、言葉はいらなかった。男女はそれぞれの獲物を構えて同時に飛び出す。

 男の刀を、女はクナイを振るい合う。二つの影が一つに重なり、斬激音が響き渡る。そしてまた、影は二つに別れる。両者共にそこで動きを止めた。熱気をはらんだ風が二人の間をすり抜ける。

 先に動いたのは女だった。彼女は一気に距離をつめると、男の腹に蹴りを加えた。

「ぐっ」

 不意を突かれた男の体から力が抜ける。膝を落とす彼を、今度は女が見下ろした。

「ごめんなさいね。私たち一族が生き残るためには必要なことなの」

「……羽虫めが」

 男が立ち上がる。女の一撃など対した痛みでは無い。そう言いたげな様子だった。

「勝負は終わったと思うてか?」

「いいえ、全く」

 再び刃を構えると、男女は同時に飛びかかった。

 男は振るう。鋭い一筋を。

 女は振るう。軽やかな一筋を。

 相手を捉えたのは女の一閃だった。刃が男の腕を裂いた。鮮血が、女の顔に紅い彩りを与える。

「口先だけね」

 余裕からか、女は笑みをこぼした。が、すぐにそれを一変させる。

 うめき声を上げ、女は体を丸めた。苦しげに痙攣する彼女の姿を、男が静かに見下ろす。

「一族から聞いておらなかったのか? 拙者の血肉は、そなたらにとって毒だということを」

 女の相貌が醜く歪む。どうやら初耳のようだ。

 恐らく彼女の一族は、女を使い捨てにするつもりだったのだろう。だからあえて、男の情報を伏せたに違いない。

 男は女を哀れに思った。だが、彼の手に握られた刀は抜き身のままだ。

「許せ、とは言わぬ。これが拙者とそなたら一族の宿命なのだ」

 男は刀を振り上げ、女に向かって一気に振り下ろした。だが、刃は虚空を斬っただけだった。

 女は、駆け出していた。最後の気力を振り絞り、もがくようにして必死に駆ける。しかし、先ほどまでのような速さは無い。男の歩む速さよりも遅いだろう。

 追えばすぐに追いつけたのだろうが、男は動かなかった。黙って女のあがく様を眺めていた。懸命に逃げようとする彼女の姿を、己の目に焼き付けるかのごとく。

 そう時を得ずして、女の膝が崩れ落ちた。それを見計らい、男が歩を進める。一歩近寄るごとに彼女の苦しげな吐息が男の耳に大きく届く。

 とどめを刺すべく、男は刀を振りかざす。そして、彼は気付いた。女の腹部が膨れ上がっていることに。

「貴様、もしや!」

 狼狽した男の声に、女は口の端を釣り上げた。

「そう、よ。私は、とっくに目的を、果たしていたの」

 女は苦痛に喘ぎつつも、不敵な笑みを浮かべた。

「貴方が、ここの守りに就く前から、私は潜入してた」

「我が主に手をかけたのだな!」

 悔しげな表情を表す男を、女は満足そうに見つめていた。その瞳からは徐々に光が消えつつある。

「ふふ、もう手遅れ。すぐに、私の同胞達が来る。貴方、一人で、防げるはずが――」

 女は言葉を最後まで紡げなかった。彼女は既に事切れていたのだ。

 しばしの間、男は女の亡骸を茫然と眺めていた。やがて頭を上げ、きびすを返す。その顔に浮かぶのは、修羅の如き激しい怒りだ。

「これ以上、好き勝手にはさせぬ」

 見晴らしの良い高台の上に立ち、男は決意を固めた。自然と刀を持つ手に力が籠もる。

 迫り来る複数の足音が、彼の耳に届く。男は侵入者を討つべく刀を構える。

 与えられた時間は、夜明けまでの一夜。主を守るべく、男はその身を呈して刀を奮い続けた。


「あークソッ。よりによって足の裏かよ」

 青年がぼやきながら痒み止めを手にする。稼働する扇風機の前に座り込み、彼は小さくため息を吐いた。

「一個じゃ足りねぇのか?」

 肩を落とす青年の目には、すっかりと燃え尽きた蚊取り線香が映っていた。その周りには、力尽きた蚊の死骸が点々と転がっている。

 蝉達の合唱を耳にしながら、青年はしみじみと呟く。

「早く秋になんねぇかな」

 夏はまだ、始まったばかりだ。蚊取り線香と蚊達の戦いもまた、始まったばかりであった。


   了

「真夏の戦士たち」というテーマで書いた話です。

夏の戦士っつったら、蚊取り線香だなと思い至って書き始めました。

初校では戦闘描写を書きすぎて字数オーバーしてました。

2000文字制限で起承転結させるのは、いい勉強になりました。


最後まで読んでくださってありがとうございました。

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