夏祭り〜一年後の約束〜
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月日は流れ、あの日から一年が経った。
頼は一両編成の電車の窓から、ゆっくりと流れる風景をぼんやりと眺めていた。祖父母の住んでいる田舎が近づくにつれ、田圃や畑が続く殺風景な景色が続いてくる。
──巡待っててくれるかな? 何も連絡してなかったし無理か……。俺のこと、もう忘れてるかもしれないよなぁ……。
頼は軽く息を吐く。約一年前、駅で出会った少女、巡。浴衣姿でじっと佇んでいた巡の姿が、昨日のことのように鮮明に思い出される。
あれから一年。
中学三年生だった頼は、二学期から猛勉強し見事希望校に合格した。真っ先に巡に報告したかったが、彼女への連絡方法はなかった。
──巡は合格したのかな?……。
受験に失敗して一浪していた巡。もし、再会出来たとしても、巡が不合格だったら気まずい。恨みっこ無しだぜ! と言っては見たものの、自分が不合格するより嫌な気分になる。
開けた窓から夏の風が吹き抜け、ミンミンゼミの声が聞こえてくる。巡と会った一年前の八月の終わりは、ツクツクホウシが鳴いていた。今はまだ七月。夏休みは始まったばかり。セミの鳴き声も元気良く、楽しそうにさえ聞こえてくる。
車内にアナウンスが流れ、電車は無人の小さな駅を目指し、速度を落としていく。緩いカーブを曲がれば、到着だ。頼は鞄を手に取り、席を立った。
──巡、来てないな……。
小さなプラットホームがあるだけの無人の駅には、誰もいなかった。
──だよな……巡にこの時間に到着するなんて言ってなかったし。
そう思ってはみるものの、頼は少しガッカリした。本当は今年の春訪れるつもりだったが、行く間際になって風邪をひき体調を崩してしまった。這ってでも行きたい気持ちを抑え、頼は涙を呑んで断念したのだ。高校受験を頑張れたのも、巡との約束のお陰だ。巡にもう一度会いたい、この一年間、頼はずっと願っていた。
電車が駅に到着し、ドアがスッと開く。頼は一年ぶりに訪れたホームに降り立った。時刻は正午前。真夏の日差しが眩しい。近くの山から、うるさいくらいのミンミンゼミの鳴き声が聞こえてくる。
ゆっくりと走り去って行く電車を見送っていると、カタカタという音が頼の耳に響いてきた。誰かがホームへの階段をを上がってくる。
「あっ……」
振り向いた頼の目に、浴衣姿の少女が映った。一年前と同じ藍色の花柄の浴衣、赤い帯、赤い鼻緒の下駄。一つだけ違ったのは、お下げ髪が下ろされて少し短くなっていたこと。 巡は、はにかんだ笑顔を頼に向ける。
「な、なんか、一年前にタイムスリップしたみたいだな」
頼は巡の姿を見つめながら、頭をかく。巡の姿がやけに眩しい。それは、真夏の太陽のせいばかりではなく、弾けるような巡の笑顔がに眩しかったから……。巡は、一年前と比べて生き生きとしている。青白かった肌も、健康的に程良く焼けていた。
「頼が私のこと分からないかと思って、同じ格好で来たの」
巡はフフッと笑う。
「な、ことないだろ。あ、でも、よく分かったよな、今日俺が来るって」
「頼のお祖父ちゃんに聞いたの。飯井さんっていうのこの町じゃ一軒しかないから」
「あ、そっか。珍しい名字ってのもたまには役に立つな」
頼は照れながら笑う。巡が祖父母の家を探して来てくれたことが、何となく嬉しい。
「じゃ、行こうか」
「頼……」
歩きかけた頼に、巡が声をかける。
「え?」
「まだ聞いてないよ、高校受験の結果」
「あっ、そうだな……」
頼は立ち止まって巡と向き合う。巡も当然合格したものだと思っていた頼だが、ふと不安になる。
「同時に言おうか。○か×で手で示して」
「あ、ああ」
上目遣いに見上げる巡の真剣な眼差しに、頼はドキドキしてくる。もし、巡の手が×になっていたら……。
「せーの!」
頼は目を瞑ったまま、勢いよく手で○の形を作った。
「……」
恐る恐る薄めを開けてみる。巡がクスクス笑いながら、頼を見つめていた。巡の両手は高く上がり大きな○を作っていた。浴衣の袖が風でヒラヒラして、袖から覗く巡の腕が、どことなく色っぽかった。
「頼って結構恐がり?」
ぼんやりしている頼に、巡は悪戯っぽい笑みを浮かべて聞く。
「な、なことないさ。ちょっと巡のこと心配してやっただけさ」
頼は慌てて鞄を持つと、平静を装いつつ先を歩いて行く。
「頼、私知ってたよ」
「は?」
「高校に合格したこと、頼のお祖父ちゃんに聞いたから」
振り向いた頼に、淡々と告げる。
「……」
巡は笑いながら、ホームの階段を下りていく。
「あ、ちょっと!」
一つ年上の巡に振り回されつつも、頼は巡も合格していたことにホッと安心した。
「あのさ、それと──」
頼は一段飛ばしで階段を駆け下り、巡より先に下に下りた。
「何?」
カタカタと下駄を鳴らし、巡が下りて来る。
「もう、やめたんだよな?……その、『死ぬ』の。再会したからまた『死ぬ』なんて、冗談きついからな」
並んだ巡の横顔を、頼はチラリと見る。巡は真っ直ぐ前を向いたまま、口元に薄く笑みを浮かべていた。
「……やめたよ」
巡はポツリと言った。
「死ぬことに興味なくなっちゃった」
その言葉を聞いて、頼は飛び上がりたいほど嬉しかったのだが、何気ない風を装った。
「そっか、だよな。せっかく高校合格したのにさ、今更死ぬなんて──」
巡は頼の方を見ずに、そのまま駅を出て歩いて行く。
「あ、ちょっと、ちょっと、どこ行くんだよ」
「頼のお祖父ちゃんとお祖母ちゃんの家、でしょ?」
巡は立ち止まり、頼を見て微笑んだ。
「ま、そうだけど……」
「頼を連れて帰ってくれって頼まれたから」
巡はまた先に歩き出す。
「そりゃ、どうも……巡、浴衣なのに歩くの早」
頼は鞄を抱え、急ぎ足で巡を追いかける。
「お祖母ちゃんが、そうめん作って待ってるって」
「ホントか! ばあちゃんのそーめん、すっげぇ上手いんだ。巡も食っていけよ。腹減ったなぁ」
田舎のじいちゃんとばあちゃん。山盛りのたらいそーめんのことを思い浮かべると、頼は急に元気になってきた。夏休みは始まったばかり。巡と過ごすこれからの夏のことを思うと、心が浮き立ってくる。
二人の頭上には、ジリジリと照りつける真夏の太陽。ミンミンゼミの鳴き声が、さっきより大きくなってきたようだ。頼と巡は二人並んで田舎道を歩いて行った。
夏の山と川と海。今年も頼は田舎の夏休みを満喫していた。ただ、いつもと違うのは、巡と一緒なこと。子供の頃から一人で野山を駆けめぐり、遊ぶことが大好きだったが、今年は巡と二人だ。自然の中で一人はしゃぐ気軽さはないが、二人で共有出来る時間は特別だ。
巡の家は、祖父母の家から自転車で十五分くらいの所に位置していた。巡は毎日のように自転車に乗って頼の元にやって来る。普段の巡は、Tシャツにジーンズというラフな格好だ。浴衣姿しか知らなかった頼には、そんな巡が新鮮だった。
その日も巡は、大きめの麦わら帽子を被って自転車を漕ぎ、朝から頼の元にやって来た。
「たまには俺が巡の家に行くよ」
遅い目覚めで、まだ寝癖のついた髪をいじりながら、欠伸混じりに頼は言う。
「いいの。ここの方が家より落ち着くから」
すっかり飯井家に打ち解け、自分の家のように祖父母の家に馴染んでいる巡。祖父母も孫娘のように巡を可愛がっていた。
縁側から涼しい風が吹いてくる。南部風鈴が風に揺れて、チリンチリンと小さく鳴る。 頼と巡は縁側に座り、祖父母が畑で作った取れたての真っ赤なスイカにかぶりついていた。二人で過ごすと言っても、特に何をする訳でもない。野山に出ても、巡はぼーと佇んでいることが多かった。元もと口数が少なく活発ではない巡だが、頼は側に巡がいるだけで、心が満たされ安らいだ。
静かにゆっくりと流れていく時間。いつの間にか、頼はそう言う時間が好きになっていた。
「じいちゃんのスイカは上手いや」
頼は最後の一口にかぶりつき、口をモグモグさせて縁側に種を飛ばす。
「頼、学校楽しい?」
黙々とスイカを食べていた巡が、ふと口を開く。
「は?」
頼は食べきったスイカをポイと庭に投げる。
「まあまあかな……授業についてくのがやっとってとこ」
頼はそう言って、縁側にゴロンと横になる。
「そう、私もまあまあ。私の場合は学校に通えるってだけでも家族には喜ばれてるから」
巡はフフッと弱く笑う。
「成績のことなんて何も言われないよ」
「へえ〜! いいな、それ。俺なんかいつも親にうるさく言われてんだ。もっと勉強しろって耳にタコができるくらい言われてんな」
「ふーん、でも、それって期待されてる訳だよね」
巡は八つ切りのスイカをお盆の上に置く。
「頼、私ね……」
「うん?」
寝ころんでいた頼は、巡の方に顔を向ける。
「あっ、もったいねぇな。赤いとこまだたくさん残ってるぜ」
巡が食べていたお盆のスイカを見て頼は言う。
「頼にあげるよ」
巡はクスリと笑う。
「……や、ちょっとそれは──で、何?」
頼は半分身を起こす。
「あ──」
巡は言いかけた言葉をいったん飲み込むと、頼に笑顔を向ける。
「もうすぐ夏祭りだね」
「ああ、神社の夏祭りか。そうだな、田舎だから規模小さいけど、一応打ち上げ花火もあがるんだよな」
「あの浴衣着て来るから、頼も浴衣着てね」
「浴衣? 俺浴衣なんて持ってたっけ……」
頼はちっちゃな頃に両親に着せられて依頼、浴衣を着た記憶がない。
「頼、きっとよく似合うと思うよ」
「そうかな? 後でばあちゃんに聞いてみよう。俺もさぁ、初めてなんだよ。女の子と二人で夏祭りに行くのって」
「本当に? 彼女とかいないの?」
「いねえや」
頼は巡と顔を見合わせ、ほんのりと頬を染める。
「ふ〜ん、意外」
「どういう意味だよ?」
「頼って軽そうだから、彼女なんて何人もいるのかと思った」
「いねぇよ、一人も……」
「一人も?……」
ふと二人は顔を見つめ合い、沈黙する。さわさわっと庭の草木を揺らす風。風鈴の涼しい音色。巡の顔を間近で見つめ、頼の鼓動は高まる。
「あの──」
巡の瞳の奥を見つめながら、頼はゴクンと唾を飲み込む。と、その時、ドタドタと廊下を歩いてくる足音がした。
「頼! 巡ちゃん! スイカまだいるかー?」
頼のばあちゃんの、間延びした大きな声がする。頼はその声にホッとすると同時に、雰囲気がぶち壊れ、少しだけガッカリする。後少しで、巡に告白してしまいそうな勢いだった。
──一人だけ、いるのかな?……。
心の中でそう思いつつ、頼はばあちゃんの方へ声を返した。
「ばあちゃん、もっと持って来て!」
神社の夏祭りの日。
小さな町はいつもの数倍の人々で賑わう。神社へと続く道筋には、様々な出店が出て祭の雰囲気を醸し出している。真夏の太陽は沈み、暗くなり始めた空にはチラホラ星が出始めていた。
「やっぱり、頼、浴衣よく似合ってるね」
巡は浴衣姿の頼を見て微笑む。
「そっかなぁ?……」
頼は自分の浴衣に目を落とす。
「これ、昔父ちゃんが着てたやつだぜ。ばあちゃんがタンスから引っ張り出してきて手直ししたんだ」
「似合ってるよ」
「俺、浴衣も下駄もはき慣れてないから、窮屈だな」
巡はうちわで軽く顔を仰ぐ。彼女は、いつもの浴衣だ。今夜は髪をアップにして、花模様の髪飾りでとめている。いつもより大人っぽく見えて、うなじの後れ毛は頼の胸をドキドキさせた。
「そのうち慣れるよ、行こう」
「あ、う、うん」
ついつい巡の浴衣姿に見とれていた頼は、慌てて巡から視線を外す。近くの神社で、祭りの開始を告げる花火がパンパンと鳴った。
頼と巡は神社へ向かう人々に混じり、下駄を鳴らしながら二人並んで歩いて行った。
「あ……また破けちゃった……」
出店の金魚すくいにチャレンジしていた巡は、三回目のすくい網も早々と破ってしまった。
「巡、下手だなぁ。金魚すくう前に破ってるじゃんか」
「だって、金魚すくいなんて初めてだもん……」
巡は少しむくれる。
「俺のをよく見てろ。得意なんだぜ」
頼はさっそく網を買って試してみる。頼は手慣れた手つきで、金魚を追い込み、次々とすくっていく。
「スゴイね、頼」
他の見物人も感嘆の声を漏らすほど、頼は金魚すくいが上手かった。最後、同時に二匹すくい取った所で、網が破けた。
赤五匹、黒三匹の金魚を袋に入れて貰った頼は、得意げに立ち上がる。
「ちっちゃい頃から金魚すくいには自信があるんだ。もうやめてくれって、店のオヤジに頼まれたことだってあるんだぜ」
頼は金魚の袋を巡に手渡す。
「一種の才能だね」
巡は金魚を提げて、クスリと笑う。浴衣にうちわに金魚。巡の姿は夏祭りの雰囲気にマッチして、頼はまた見とれてしまう。
「もうすぐ、花火が上がるね」
「え? あ、そうだな」
「神社に上がろうよ」
「ああ、俺、花火がよく見える良い場所知ってんだ」
二人は、神社へと続く出店が並ぶ道を進み、鳥居をくぐって急な石段の前まで来る。
「うちわ、持ってやるよ」
両手にうちわと金魚を持つ巡に頼が言う。
「ありがと」
頼は巡からうちわを受け取り、石段を一段上る。巡が石段を上ろうとした時、頼はスッと手を差しだした。巡は頼を見上げる。
「なんか……巡、転びそうで危なっかしいや」
「それは、頼の方じゃないの? 下駄はき慣れてないみたいだし」
巡はそう言いつつ、差し出された頼の手を握り石段を上がる。握った巡の手が温かく柔らかく、一瞬頼はドキッとする。
「あっ」
その拍子に軽くバランスを崩しそうになる。
「ほら、しっかりしてよ」
「チェ、巡が力入れすぎるからだよ」
二人は顔を見合わせて微笑む。
「結構長いんだから、転ぶなよな」
「頼がでしょ。頼が転んだら、私手を放すから」
「何だよ、冷てぇな。絶対放してやんない。下まで道連れだ」
頼と巡はしっかりと手を繋ぎ、急な石段を上って行った。
長い石段を上りきった所で、打ち上げ花火が上がり始めた。神社の真上に大きな花火の花が咲き、ドーンという大きな音が空に響き渡る。打ち上げられる花火の数は少ないが、間近で見る花火は見事だった。
「こっち、こっち、もっと良い場所があるんだ」
頼は、頭上を見上げていた巡の手を引っ張る。神社付近で見物している人々の間をぬって、頼は神社の裏手にまわる。裏山を少し奥に入った所に、視界が開けた場所があった。遮る木々もなく、真上には大空が広がっている。
「こんな場所あったんだ。頼は私よりよく知ってるんだね」
巡は素直に感心する。
「任せとけよ。俺、ガキの頃からこの町は探検しつくしてるからな。地元の人間より知ってるかも」
「あ、花火」
ヒュルヒュルという音とともに光が走り、大空一面にパッと花火が広がる。
「綺麗ね」
「ああ」
二人は空を見上げ、しばし打ち上げ花火に見入る。
他には誰もいない。大空を独占して二人のためだけに上がっているかのような、花火。今、この世界には巡と二人きり。鮮やかな花火を見つめながら、頼は心をときめかせる。繋いだ巡の手が少し汗ばんで、さっきより熱く感じられる。
高鳴る鼓動。頼には初めての感情だった。
「……」
頼は花火から巡に視線を移す。上を見上げ無心で花火に見入る巡。花火の光を浴びて輝いているようだ。お世辞でもなんでもなく、巡は花火より綺麗だと頼は思った。それより、心臓がドキドキして、頼には花火など目に入ってこなかった。
「巡、俺──」
思わず、握った手に力が入る。
「ちょっと、痛い」
巡は、頼の手を振りほどく。
「あ……ごめん」
頼は俯く。それと同時にカーッと顔が熱くなった。きっと顔が真っ赤になっているだろう。頼は夜の暗さをありがたく思った。
「頼、私ね……」
しばらくして、巡が口を開く。
「な、何?」
巡はまた空を見上げ、花火を見つめる。大きな垂れ花火の花が咲き。ドーンという低い音が木霊する。
「私、九月からイギリスに留学する」
垂れ花火の最後の光が消えた時、巡は意を決したように一気に告げた。
「え?」
突然の言葉に、頼は驚く。
「私ね、今までこの小さな町から出たことないの」
「だからって、いきなりイギリスかよ?」
「交換留学の話があったから、一年間向こうで過ごしてみようかと思ったのよ」
「一年間も?……」
「やっぱり、私には無理だと思う?……」
巡は頼の方を向き、不安げに尋ねる。
「いや、巡なら大丈夫だよ。ただ──」
頼は巡の視線を避けるように、下を向く。
「ただ?」
「その、一年も巡に会えないのは寂しいかなと……」
自分で言った言葉に頼は一層赤くなる。巡はクスッと笑った。
「一年なんてアッという間でしょ? 頼とこの前会ったの一年前だもん。今から一年後だって直ぐだよ」
「違う!」
頼は顔を上げ巡を見つめる。思わず語気が強くなる。
「え?……」
「全然違う。一年前と今じゃ巡との親しさが全然違う。その──」
言葉の途中で打ち上げ花火が上がり、その光が二人の姿を照らす。
「俺、俺、巡のこと好きだし……」
「私も頼のこと好きだよ」
やっとの思いで『好き』と言った頼だが、淡々とその言葉を繰り返す巡に、少しばかりカチンとくる。
「そんな軽く言うなよ。俺は真剣なのに」
「真剣?……」
「……」
高鳴る鼓動を抑え、頼は巡の肩にそっと片手をかける。
「……真剣に『好き』」
頼は、ようやくそれだけ言う。早鐘のような心臓の音が、巡にも聞こえるんじゃないかとさえ思う。
「……」
意を決し、頼はゆっくりと巡に顔を近づける。真っ直ぐ頼の瞳を見つめていた巡は、そっと目を瞑った。打ち上げ花火が終わりの時間を迎え、最後に次々と花火が上がり始める。花火の明かりが揺れる中、頼はそっと巡の唇にキスした。ドーン、ドーンと木霊する花火の音。
「……」
ゆっくりと頼の唇が離れる。頼は頬を染め、視線を落とした。キスした後どんなリアクションをすればいいのか? 何て言えばいいのか? 頼は全く分からなかった。いつものように軽く笑ってかわすことなんて出来ない。突っ立ったままの頼を、突然巡は抱きしめた。片手に持った金魚の袋が小さく揺れる。
「私だって真剣だよ……一年前からずっと真剣だもん」
頼の胸に巡は顔を埋める。
「あ、うん……」
頼は戸惑いながら、両手で巡を抱きしめた。柔らかく温かい巡の体。心臓がドキドキ高鳴る。
「離れてたって、心は通じているから。手紙書くし、メールだって電話だって出来るし」
「そうだよな……一年なんて直ぐに過ぎるか……」
「私、頼にすごく感謝してる……今まで人を好きになったことなんてなかったの。誰かを好きになるって、その人の事を考えるだけで勇気が沸いてくるものなんだね。私が強くなれたの頼のお陰だから、頼と出会って良かった……」
頼の胸に顔を押しあてて、頬を染めながら巡は語る。
「大好きだよ、頼……」
「俺も……」
巡の髪からほのかな甘い香りがする。このままずっと巡を放したくないと思うほど、頼は巡のことを愛おしく思った。
「巡に出会えて良かったって思う。巡がいたから受験頑張れたんだ」
「頼が電車に乗り遅れてくれて良かった」
巡はクスッと笑った。
「そうだな、電車に感謝だ」
「ありがとう、頼……私、死ななくて良かったよ」
巡は小さく呟くと、頼からそっと体を離し、頼を見つめる。初めて触れた唇の感触。肌の温もり。今、ここに生きているということを、巡は実感する。
「だろ?……」
頼は小さく笑う。初めての口づけの興奮で、頼の胸はまだ高鳴っていた。
「……この金魚、頼が育てて」
ふと、巡は金魚の入った袋を頼に差し出す。
「俺が?」
「イギリスまで持ってけないもん」
「あぁ、そっか」
頼は金魚を受け取る。
「巡だと思って大事に育ててやるよ」
「私が金魚って訳?」
巡は不服そうな顔をする。
「そうさ」
「死なせたら許さないから」
「俺は金魚を育てるのも上手いんだぜ。一年後には数倍に増えてるさ」
「本当に?」
「ああ」
二人はお互いの顔を見つめて微笑み、手と手を繋ぐ。夜の涼しい風が吹き抜けていく。花火の終わった空は静けさを取り戻し、暗い夜空には花火の代わりに星達が瞬き始めてきた。
「一年後の夏祭りも、またここで花火を見ような」
「うん、約束だよ」
「約束」
目と目を見合わせ、指切りげんまんの代わりに、二人は軽く二度目のキスを交わす。 イギリスだろうと日本だろうと、どんなに遠く離れた場所でも見上げる空は同じ空。
空は繋がっている。そんな当たり前のことが、嬉しく思えてくる。二人の置かれた距離が遠ければ遠いほど、心は接近するような気がした。
通い合う心と心。しっかりと繋がれた手と手。頼と巡は、急な石段をゆっくりと下りていった。 完
別の企画小説で書いた短編「depot 春野天使編」の続編です。ちょうど季節が夏、続きも書いてみたかったので、すんなりと書くことが出来ました!
夏の風物詩をたくさん取り入れた、砂糖菓子のように甘い恋の話となりました〜。二人の成長、これからまた一年後が、楽しみになりました。(^^)