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「ちょっと、牡丹さん!焼きりんごに醤油は、合いませんよ」
玉苗に手首を掴まれた私は、はっとして、今まさに焼きりんごにかけようとしていたらしき醤油差しをテーブルに置いた。
「ちょっと、ぼーっとしてました」
「しっかりしてくださいよ」
私は、玉苗の端正な横顔をちらりと見る。
「ねえ、玉苗。もしもなんだけど、セクハラされそうになった時、助けてくれた男性にいきなり婚約を申し込まれたら、どうしますか」
「ロマンス小説のヒーローですか。運命的に見せ掛けて、めちゃ胡散臭いです」
「――――ですよね」
昨夜の出来事を馬鹿みたいに脳内でリピートするのは、やめなければ。
食事に集中しようと、焼きりんごを口いっぱいに頬張った時、突然、玉苗がくすりと笑った。
「やだ。牡丹さんてば、枯野様にプロポーズされちゃったんですか」
ぶはっ
危うく口に含んでいた焼きりんごを吐き出しかけた私は、むせてしまい、ごほごほと咳をした。
やっぱり、とにんまり笑う玉苗。
「昨日お二人が中庭で密会していたって噂を聞いたから、かまかけたんですけど、図星みたいですね」
玉苗は、むせている私に水入りのコップを差し出しながら言った。
水を一気に飲み干すと、少し落ち着きを取り戻した。
大きく息を吐いてから、好奇心むき出しの玉苗に向き直った。
「このことは内密にお願いします」
玉苗は、頷いた後、「でも、返事はどうするんですか」と言った。
「散里様の方から断って頂くつもりです」
散里様の気を煩わせることなく、自分で返事をしたいところだが、相手の身分が高いので、作法上そうもできない。
「なんだか、勿体ないですね」
玉苗は、不満げに口をとがらせた。
昼食後、散里様の元へ出向いた私にとんでもない事態が待ち受けていた。
散里様は、はしゃいだ様子で私を迎えた。
「聞きましたよ、牡丹。枯野殿からプロポーズされたのね」
散里様は、口をぽかんとあけた私を嬉しげに見つめながら言葉を続けた。
「先程、枯野殿から文を頂きました。真摯な言葉で書かれた素敵な文でしたのよ」
気を落ち着けるため、何度か深呼吸した後、私は口を開いた。
「反対なさらないのですか。枯野様と私では、身分が釣り合っていません」
散里様は、私の必死な言葉を一笑した。
「身分が釣り合っていないですって?古臭い考え方は、およしなさい。わたくしを御覧なさい。夫と結婚して、どれほど幸せだったか」
「でも、年が離れ過ぎています」
散里様は、何か珍しいものを見るかのような目で私を見た。
「あなたと枯野殿の年齢は、ふたつしか離れていませんよ」
私は、目をぱちくりした。
「枯野様は、25歳でいらっしゃるのですか。もっとお若いと思っていました」
散里様は、ますます奇妙な顔をした。
「枯野殿は、29歳ですよ」
―――――世界がくるりと反転したような気がした。
私のことを「おばさん」と呼ぶ声が頭の中でこだまする。
散里様は、放心状態の私を訝しげに眺めた。
「まさかと思いますけど、あなた。断ろうと考えていたんじゃないでしょうね」
私が力なく頷くと、「まったく」と散里様は呆れたよう呟いた。
「何が気に入らないのかしら。見目も良く、家柄も良く、年も釣り合っているんですよ。何より、枯野殿は、あなたを好いていらっしゃいます。よくお聞きなさい、牡丹。女は、愛されてこそ幸せになれるのですよ」
最後の言葉を諭す様な口調で言うと、散里様は、優しい手つきで私の頭を撫でた。
「あなたが枯野殿を怒鳴ったと聞いた時、私は少しほっとしました。気丈なあなたにもやっと心許せる相手ができたと思ったのよ」
「それは、誤解です」
激しく首を振ると、散里様に厳しい目で睨まれた。
「来週の夜会にあなたも連れていくつもりですから、もう一度枯野殿と話してみなさい」
私は、嫌だと言うことも出来ず、小さく頷いた。
軽快な音楽、楽しそうな談笑の声、美しく着飾った人々。
華やかな光景を前にしても、私の心はちっとも晴れなかった。
「浮かない顔だね」
「からかわれたと分かって、気分のいい人間なんていません」
そう言って顔を上げると、黒いタキシードを着た枯野が立っていた。
前髪を上げているせいか、大人びてみえるが、とても30歳を目前に控えているようには見えない。
「なにが、『おばさん』よ。あなたの方が『おじさん』じゃない」
小さく悪態をつくと、枯野は、クスクスと笑った。
「普通に話しかけたら、相手にしてもらえないと思ったんだ。あなたが怒っているのは分かっていたけど、反応が面白くて、つい」
枯野は、隣に腰かけると、私の顔を覗きこんだ。
「牡丹殿と呼べばいいかな。それとも、牡丹?」と甘ったるい声で聞く。
優美な笑みだけど、私には、胡散臭い笑顔にしか見えない。
「どちらでもお好きなように。もう二度と呼ぶ機会はないでしょうから」
つんと顔を逸らし、枯野から背を向けて、座りなおした。
「つれないね」と背後で呟く声が聞こえた。
私は、背を向けたまま、口を開いた。
「婚約のことですけど、お断りさせてください。本来なら、散里様に伝えて頂くべきなのですが、色々事情がありまして」
「散里様から俺との婚約を受けろと言われたんでしょ」
枯野は、面白がっている口ぶりで言った。
「散里様があんなに気に入るなんて、どんな文をお書きになったんです」
「まず、あなたの人柄について触れた。少し臆病だけど、優しくて真っ直ぐな心根の持ち主だと書いたかな。それから、散里様が飛びつきそうな話題にも2、3触れたような。たとえば、正式な発表はまだだけど、宮廷勤めは決まったようなものだから、結婚した後も宮廷近くに住むつもりだとか。本人が望むなら、妻が女官の仕事を続けてもいいと思っているとか。子供が生まれたら、ぜひとも散里様に後見人になって頂きたいとか。あれ、耳赤いよ」
――――なんなの、この人。
耳たぶをそっと触れられた私は、人目があるので、飛び上がることも出来ず、ただ椅子の上で硬直していた。
調子に乗った悪魔は、私の耳元で囁く。
「どうして決心できないなら、お試しでいいよ。春の除目までの3ヵ月間期間限定。3ヵ月経って、まだ結婚したくないと思っていたら、別れることも可能だ。もちろん、お試しの婚約であることは誰にも言わないし、ふられ役は、俺が演じる。どう?」
我慢できなくなった私は、くるりと振り向いた。
「どうして、そんな馬鹿げたことが考えつくんですか。たとえ3ヵ月であっても、私は、あなたみたいな人と婚約したくありません」
そう言い切った時、私は、はっと息をのんだ。
枯野の肩越しにちょうど到着したばかりの橘公爵と目が合ったのだ。
私の顔色が変わったので、枯野も後ろをちらりと見る。
近づいてくる橘公爵に気付いたのだろう。
私に向き直った枯野は、愉快そうに目を細めた。
心を見透かしたような目は、いつも逃げ場のない私を追い詰める。
「相手は、腐っても公爵だ。あなたに拒否権はないだろうね」
枯野は、勝ち誇った笑みを浮かべて、私に手を差し出した。
「ここで、俺の手を取るかは、あなた次第だ」
――――選択肢なんか、最初からひとつしかないじゃない。
ごくりと唾を飲みこむと、私は、差し出された手を取った。
焼肉食べたり、バーレスク見たり、有意義な週末でした。
また頑張って書きたいです。