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ゆきにぼたん  作者: みみずく
第一章 牡丹と枯野
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私の主、散里様は、とても美しい女性である。

色白で、すらりと背が高い散里様は、華やかなドレスがよく似合う。

新しいドレスを試着する散里様をお手伝いするのは、私の密かな楽しみなのだ。

大きく背中の開いたベージュのイブニングドレスを着た散里様を前に思わず感嘆のため息が漏れた。

「いいです、散里様。肩ひものない型にして正解でしたね。ああ、腰回りを詰めた方がいいかもしれません。髪飾りは、藤と竜胆のどちらに致しますか。夜会は、明後日ですから、ティアラと一緒に磨きに出そうと思っているんですよ」

散里様は、ちょこまか動き回りあれこれ言う私をちらりと見て、「元気そうでよかったわ」と言った。

「昨日カーテンを取りこみに行ったと思ったら、この世の終わりみたいな顔で帰ってきて、宰相殿の御子息を怒鳴ってしまったなんて言うんですもの。驚きましたよ」

身分が上の人間を怒鳴るなんて、普通だったら、即免職、少なくとも停職になるだろうけれど、お呼び出しがかかっていないので、宰相様の息子は誰にも言っていないのだろう。

私は散里様にすぐ報告したが、散里様は、可笑しそうに笑っただけで、何のお咎めもなかった。

散里様は、つくづく私に甘いような気がする。

「朝起きたら、この世が終わっていたらいいのにと思っていたんですけど、やっぱり終わっていなかったので、切り替えることにしました」

「それにしても、あなたが怒鳴るなんて。枯野殿がどんな方なのか気になるわ」

「私は、もう会いたくないです」

きっぱり言い切って、散里様のドレスを脱がしにかかると、散里様は、「あら」と言った。

「忘れるところでした。明後日の夜会は、あなたも正装してもらうつもりですからね」

「ええっ?それだけは、勘弁してください。今はあまり人の集まる場に出たくないです」

首を激しく横に振る私を見て、散里様は、眉をひそめた。

「いつまで隠れているつもりですか。あなたは、わたくしの母親の従妹の息子である男爵の姪で、伯爵の娘なんですよ。少しは貴族らしい振舞いをしなさい」

散里様は、私自身すっかり忘れていたことを持ちだした。

宮廷ではほとんど知られていないが、散里様と私は、ものすごく遠縁の親戚なのだ。

私の身分は一応貴族だが、小さな山村で育ち、伯爵である実の父親にすら会ったことがないので、自覚が全然ない。

「でも、」

「心配ありませんよ。今回は、仮面舞踏会ですから、誰もあなただって気付きません」

散里様は、いつになく強い口調で私に言い募った

「だったら、出席する意味ないのでは」

「いいですか、牡丹。これは、命令です。舞踏会に出て、殿方とダンスを踊りなさい」

仮面舞踏会という名の見合いに私の強制参加が決まった瞬間であった。





部屋でドレスに着替えていると、玉苗がやってきた。

玉苗は、私を見ると、一瞬ぽかんとした。

「うわあ。牡丹さん、化けましたね。実はスタイル抜群だったんですね」

胸元のリボンが上手く結べずにいると、玉苗が傍にきて、綺麗に結んでくれた。

「化粧もやってあげます」と玉苗は言った。

今時の若者らしく、玉苗は、手際よく私の顔に化粧を施していく。

「肌も綺麗だな。雪国出身だからかな。牡丹さんのお見合い相手は、惜しいことしましたよ」

「もう、見合いの話はいいです。散里様も一体何を考えていらっしゃるのやら」

髪を丁寧に梳きながらぼやいていると、玉苗がずいと身を乗り出した。

「私思ったんですけどね。散里様は、きっと本気で牡丹さんを結婚させようと考えているんじゃないでしょうか。だから、後任として私を呼んだのかも。だって、今まで牡丹さんひとりしか専属女官がいなかったのでしょう。それに、私ずっと気になっていたんですけど、牡丹さんて、どうして今まで結婚しなかったんですか。17歳から宮廷にいたなら、たくさん縁談の話があったと思うんですけど」

鏡越しに問われた時、私はついにきたか、と思った。

「勿体ないけれど、断っていたんです」

玉苗は、「ええ~。なんでですか」と不満げな声を上げた。

「別にどうしても断らなければならない理由はありませんでした。ただ、まだ結婚できないと思っていたんです」

正直な玉苗は、「全然気持ち分からないです」と言ってふくれ面をした。

まあ、私が自分の事情を少しも話さないからだろうけど。

「私だったら、求婚されたら、今すぐにでも結婚しちゃうかもなのに」

16歳の玉苗が真剣な顔でそう言うので、私は少し笑ってしまった。

玉苗の言葉は必ずしも彼女の言いたいことを表現しているわけではないと思う。

誰でもいいというわけではない。

玉苗は、唯一その人に言ってほしいのだ。

少なくとも、17歳の私が結婚したくないと思っていたのと同じくらい強い気持ちでそう願っているはずだ。

10年経って、私の気持ちはだんだんと弱くなっていった。

玉苗の気持ちがそんな風になる前に彼女の願いが叶うといい。

彼女の願いを叶えてあげてほしいと思う。

「終わりましたよ。ん~美しい。やっぱり私の腕は最高ですね」

私は、得意げに笑う玉苗を眩しげに見た。





仮面舞踏会。

文字通り、仮面をつけてダンスを踊るわけだが、全く奇妙な風習である。

宮廷で開かれる仮面舞踏会は、本当の名前を名乗らないという暗黙のルールがある。

もちろん、単なるルールであって、個人の間で名前を交換する場面もあるようだが。

一種のゲームのようなものだろう。

「白百合の君」と呼びかけられた私は、最初自分のことだとは気付かなかった。

たしかに私は白いドレスを着ていたけれど、私の名前は牡丹だ。

牡丹を百合と呼ぶなんて、変な話だ。

ところが、ダンスを申し込んでくる人は皆揃って、私を「白百合」と呼んだ。

しまいには、うんざりしてしまい、テラスで葡萄酒をがぶがぶ飲んでいると、誰もダンスを誘いに来なくなった。

目を瞑って楽団の音楽に耳を傾けていたら、誰かが近づいてくる気配がした。

身構えたけれど、その人物は、私を「白百合の君」と呼ばなかった。

「おばさん、酒好きなんだね」

出た!と一瞬思う。

慣れ慣れしい口調ですぐに誰なのか分かってしまう。

でも、私は、声なんか出していない。

「どうして、私だってわかったの」と問いかける。

「わかってしまうんだよ」と答えが返ってきた。

この男は、怒鳴られても懲りないのだろうか。

――――それとも、報復に?

目を開けると、顔の上半分を銀色の仮面で覆った青年が、半歩も離れていない所に立っていた。

居た堪れなくて、後ずさりしようとしたけれど、相手も近寄ってくるので、背中が柵にぶつかってしまった。

ごつごつした指がドレスに覆われていない胸元に伸びてくる。

テラスに置かれた松明の火が仮面の隙間から見える切れ長の瞳に映ってゆらゆらゆれる。

吹きつける風のせいで肌寒いくらいなのに、私の体は燃えるように熱く、喉はカラカラに乾いていた。

葡萄酒を飲んだせいだろうか。

触れるか触れないかという時、枯野が囁いた。

「ドレス」

「え」と言うと、目が愉快そうに細められた。

「ドレスが汚れてしまうよ」

枯野は、私の手の中で葡萄酒がこぼれるくらい傾いていたワイングラスを奪いとると、残っていた葡萄酒を薄い唇の間に流し込んだ。

「旨いね、これ。宮廷の葡萄酒は上質だ」

呆気にとられていると、枯野は続けた。

「おばさんが口をつけたものだからかな」

私は何て言ったらいいのか分からなかった。

そもそも、目の前の男は、何をしたいのか、さっぱり分からない。

「そ、それ。あげます」

私はそう言い残して、脱兎のごとく逃げ出した。


胸がざわざわする。

別に触れられたわけでもないし、ただ少し言葉を交わしただけだ。

ダンスのあいだじゅう、相手の男性から腰に手を掛けられるのだって、普通のことだ。

けれど、なぜだか、私は、ダンスを踊った男性達よりも彼の方がずっと怖かった。

若くて自信過剰で、でも、きっと何も理解していなくて。

それなのに何もかも見透かしたように私を見る細い目が怖かった。



ドンッ


ホールを出て回廊に続く角を曲がった時、反対側から歩いてきた人と肩がぶつかった。

「ごめんなさい」

音を立てて床に落ちたヴァイオリンを慌てて拾い上げ、楽器を落とした楽団員に手渡すと、私は逃げるようにその場を離れた。

相手の顔を見て、謝る余裕すらなかった。


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