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ゆきにぼたん  作者: みみずく
第一章 牡丹と枯野
3/7

3

三日間寝込んだ風邪休み明けの仕事は、きついものだ。

体のあちこちが軋み、散里様の昼食を乗せた盆を運ぶことすら、億劫になる。

散里様の部屋に向かって、よたよた歩いていると、数人の女官達とすれ違った。

地獄耳というわけでもないが、自分のことを言われていると、勝手に耳に入ってきてしまう。


「やだ、あの方でしょう。例の見合いの」

「そうそう。散里様のお気に入りの」

「いつも澄ましているのに人って分からないものねえ」

「しっ。おやめなさい。きっと切羽詰まっていらしたのよ。御歳も御歳だから」



リーダー格の女官の一喝で他の女の子達は静かになったけれど、庇われた私は、ちっとも嬉しくなかった。

なるべく人気のない道を選んで、散里様の部屋に着くと、散里様は、昼寝中だった。

テーブルに運んできた昼食の品を並べてから散里様の部屋を出たところで、名前を呼ばれた。

「牡丹さん。牡丹さん。牡丹さ~ん」

――――耳の悪いお年寄りではないのだから、3度も呼ばれなくても聞こえている。

卑屈な気分で振り返ると、女官服に身を包んだお団子頭の少女が駆け寄ってきた。

少女の名前は、玉苗といい、女官見習いである。

散里様に仕えているが、まだ見習いなので、午前中は他の女官見習いと共に宮廷の行儀作法を学び、午後から仕事を始める。

人付き合いが苦手な私だが、玉苗とは相性が合うようで、上手くいっている。

自分の意見をはっきり言う子なので、一緒に仕事をしやすい。

散里様にも気に入られているようだから、来春の除目で正式な専属女官になると思う。

「ちゃんと聞こえています。それから、玉苗さん。回廊を走ってはいけません」

「承知しています。でもね、悪いとわかっていることをついしちゃう時は誰にだってあるでしょう」

私の腕をがっちりと掴んだ玉苗は、花のような笑顔を浮かべた。

身に覚えのある悪寒が背筋を走った。

「牡丹さんてば、風邪でずっとお休みしているんですもの。今日は、お見合いのこと、洗いざらい話してもらいますから」

無邪気な美少女の皮を被った悪魔は、有無を言わさず、私を食堂へ引きずっていった。

人を巻き込むこの好奇心さえなければ、と思う。

年長者として、威厳に欠ける自分が情けない限りである。




「大食堂へ行くのが嫌だ」と言うと、案の定、玉苗は不満そうな顔をした。

宮廷には、大食堂と小食堂の二つの食堂がある。

お昼時だけ開く大食堂は、料理の数が多く、大勢の人で賑わう。

私だって、普段なら、大食堂に行きたいところだが、見合いの話が宮廷中に広まった今、注目を浴びるような所にむざむざ行くのは御免である。

結局、玉苗に杏仁豆腐をご馳走することを約束し、私達は、小食堂に行くことになった。

小食堂は予想通り閑散としていて、昼時だというのに私達以外のお客は、衛士のおじさんと老医師だけだった。

やれやれと思いながら、蕎麦を注文していると、二人組が入ってきた。

瀧先生、それにもうひとりも顔なじみである。

ふたりは、私と玉苗に気付き、近づいてきた。

「大分良くなったみたいだね」

瀧先生は、自分も蕎麦を注文してから、私の隣に座った。

「風邪は治っても、噂は治まらず」

瀧先生と連れ立ってきた青年は、憎らしいことを言いながら、玉苗の隣に腰を下ろした。

「勝手に始めないでよ、梧桐。その件に関しては、私がじっくりと聞きだそうと思っているんだから」

玉苗が文句を言うと、梧桐は、馬鹿にしたように鼻を鳴らした。

梧桐は、かなりの皮肉屋だが、幼馴染の玉苗相手だとさらに感じ悪くなる。

こんな性格でも国軍の中では出世株と聞くから、男性社会とは不思議なものだ。

「じっくりも何も。牡丹さんが年偽って見合いしてばれたってだけの話だろう」

しれっと言い放つ梧桐を玉苗が睨んだ。

「本当は違うかもしれないでしょ。見合い相手の悪口言いふらすような男だよ。牡丹さんにふられた腹いせであることないことを言いふらしている可能性だってあるじゃん」

――――若さの素晴らしさよ。

穴があったら入りたい、と改めて思う。

玉苗の暴走気味な思考を愛おしく感じつつ、恨めしいと思う今日この頃。

そんな胸中とは裏腹に、私は、他人事のような顔をして、十代の諍いを眺めていた。

「ふたりとも、やめなよ」と瀧先生。

「ズズズッ」

私は瀧先生の心遣いをぶち壊すように大きな音を立てて蕎麦を啜ると、パチンと箸を置いた。

「私は、年齢を偽ってお見合いをしました。結果、嘘の皮が剥がされたわけです。私も恥を知っているつもりですから、金輪際、年を偽った見合いなどしません。以上」

発言後の反応は、三人三様だった。

瀧先生は、ちょっと安心したような顔をした。

梧桐は、「女って大変だな」と彼には珍しいことに慰めの言葉をくれた。

玉苗は、驚いた後、でも、と言った。

「悪いとわかっていることをついしちゃう時は誰にだってあるでしょう」

玉苗はそう言って、にっこり微笑んだ。

花のような笑顔だとまた思った。

気を取り直した玉苗は、私の見合い相手について根ほり葉ほり聞きはじめた。

答えられることは答えて、答えられないことは答えなかった。


私が自分の言葉で語り、その言葉に耳を傾けてくれるのは、宮廷では多分散里様と彼ら三人しかいない。

それが私の小さな世界であって、私の生きてきた道なのだと思う。

恥ずべきものではなく、居心地良く感じることもある。

それでも、幸に会いたいと思う。

一目でいいから、幸せに生きている姿を見たいと思ってしまうのだ。

もしも、会えたら。

そしたら――――





「何が、『そしたら』なの」

日干しているカーテンの隙間から急に現れた人影を見て、私は、「わあ」と叫んだ。

「大丈夫、おばさん」

吃驚した拍子に尻もちをついた私の前に青年は、しゃがみ込んだ。

枯野と名乗った青年。

幸に少し似た人。

でも、宰相様の息子だ。

関わらない方がいいと警告する心の声に従って、私は、女官の作法としては少々機敏すぎる動作で立ちあがった。

軽く頭を下げて歩き出すと、枯野は、なぜか私の後をついてきた。

引き離そうと足を速めても、身長差があるせいか、すぐに追いつかれてしまう。



「井戸に来ないのって、俺のせいでしょ」

「涸れ井戸に用がある人なんていませんよ」

「おばさんは、あるよね。叫んでた」

「あの時はどうかしていたんです」

「ね、おばさんて、いつもそうなの」

「どういう意味でしょうか」

「いつも背筋正して神経張ってる。突然プツンと切れる。だから、あんな風にひとりで怒鳴ったり泣いたりするんだろうね」



立ち止まって振り返った私の顔は、熟れた林檎みたいに真っ赤になっていたと思う。

考えるよりも先に口が動いて、喉が震えた。



「知ったふうな口利かないでください。あなたに何が分かるの」



初めて人を怒鳴った。

たったの二度しか顔を合わせたことがないのに、私は、この男の前で泣いたことすらあるのだ。





このとき、その後に起きることを知っていたら、私は枯野を怒鳴らなかっただろうか。

答えは、否だ。

たとえ知っていても、私は、怒鳴ったはずだ。

どちらにせよ、27歳まで知らなかった自分の激しい感情に振り回されていた私には、幸と私の見えない距離が急速に縮まっているなど、このときは知る由もなかった。


かっこよさそうなので、章をつけてみました。

1、2話の内容は変わっていません。

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