譲れないもの(9) side:黎人
車の中で、利奈の苦しい想いを聞いて胸が押し潰されそうな気持になった。
誰にも言わずに一人で抱え込んできた想い。10歳でこの家を出てから一体どれだけの傷を飲み込んで来たのか・・・
今も母親に気丈に立ち向かったけれど、心配していた通り過呼吸の発作を起こしてしまった。ソファの上で目を閉じてぐったりとしている。
握りしめられている指を開き、その手の中からリングを取り出してネックレスを首に掛けてやった。
「瑠美子」
剣崎氏は低い声で呼び、母親は立ち上がった剣崎氏を見ていた。初めて母親を見た。綺麗な人だ、3人の子供がいるようには見えない。利奈は母親に似ているんだ・・
「憎むなら私だけにしてくれ。君を支えきれなかったのは申し訳なかったと思っている。だが子供達には罪はない」
「何を今更・・偽善者」
母親は眉根を寄せて剣崎氏を睨みつけていた。利奈から想いをぶつけられて、この人は何を思ったのだろうか?綺麗な顔からは剣崎氏に対する苛立ちしか読み取ることはできない。
「弁護士から話をさせる。私からはそれだけだ」
「また金の力でねじ伏せるのね。・・・父親と似てきたわね?でも、あなたは人の命を奪わないだけまともかしらね?」
挑発するように言い口角を上げた。
「利奈の前で止めなさい」
低く威圧的に言うと利奈を抱き上げた。
彼女は父親の腕の中で眼を閉じてぐったりとしている。この会話が聞こえていなければいい。
「皆川君、ありがとう。後日改めてお礼をさせて欲しい」
「いえ、自分は何もしていません」
剣崎氏は部屋を出て行き、母親も弁護士に連れられて出て行った
「皆川様、今回は誠にありがとうございました」
部屋を出ると、ドアの前で待機していた執事に頭を下げられた。
「何もしていません」
尚も深々と頭を下げる彼に、本当に何もしていないので頭を上げてほしいと言うとやっと頭を上げてくれた。
「漣と史明さんはいるんですか?」
「旦那様が瑠美子様との話が終わるまでは絶対に部屋に来ないようにとおっしゃっておられましたので、ご自分のお部屋かリビングにいらっしゃると思います」
「漣に会わない方がいいと思うので帰ります」
長い廊下を通り階段を降りているとダイニングの扉が開いて漣と史明さんが出てきた。タイミングの悪さに思わず舌打ちをしそうになったが、何とか平静を装った。
「黎人?」
階段を見上げて漣は不思議そうにオレを見たが、史明さんは厳しい目を向けた。
「皆川君、どうしてここにいる?君に利奈の事を頼んだはずだが?」
上手く立ち回って利奈の想いを汲んでやりたい。そう思うが刺すような冷たい視線に男のオレでもゾクリとする。
「利奈?ここにいるのか?」
来客用とは違う家族で使用するリビングに通された。何度も通された部屋だが、史明さんに鋭い視線を向けられている今は居心地が悪い。
漣の問いに何と答えようかと思っていると、執事が助け船を出してくれた。
「利奈様は旦那様とご自分のお部屋にいらっしゃいます」
漣が立ち上がると執事はその行動を制するように言葉を重ねた。
「漣様、利奈様は酷く泣いていらっしゃいました。旦那様がお戻りになるまでしばらくお待ち下さいませ」
漣は一瞬眉をひそめたが小さく息を吐いて、ソファに腰を下ろした。史明さんに向かって不自然にならないようにここにきた経緯を説明した。
「史明さんから連絡をもらった後にどうしても剣崎の屋敷に行くと言ってきかなかったので連れて来ました。母親に連絡をしていなかったから心配をかけると思ったようです。」
史明さんは頷いた。
情けないが今はこれ以上思いつかなかった。
「すまない皆川君。君に苛立ちをぶつけるのは間違っているのに・・」
嘘をついていることが心苦しいが今は利奈が護りたいと思った事を壊してはいけない。
「いえ・・」
「黎人、何で利奈と一緒にいたんだ?」
漣が鋭い眼差しを向けた。
「昨日の朝保健室に行ったらベッドから携帯が落ちてきたんだ。拾って渡そうと思ったらベッドに松本がいたんだよ。誰かと話していて気分が悪くなったみたいだから保健医を呼びに行ったら剣崎理事がいたんだ」
嘘と本当を織り交ぜて話すと漣の視線が少し和らいだ。そこへ畳み掛けるように言葉を続けた。これで納得してほしい、そう思いながら・・
「松本が漣の妹だっていう事は剣崎理事から聞いたよ。松本を病院に連れて行ったから携帯を渡しそびれた」
史明さんはもう一度頷いた。利奈から聞いていた話しと辻褄があったのだろうか・・
「放課後携帯を返したついでに家まで送ろうと思っていた」
「皆川君、礼を言うよ。…ありがとう」
史明さんはオレを睨む漣をたしなめていたが、漣の考えは正しい。
漣はオレがリサを探していたことを知っていて、リサが利奈だと知っていたはずだ。オレがリサを見つけたと思っている。
可愛い利奈に近付く男は排除したい。そうなんだろ?・・生憎だが、漣に排除されるつもりはないけど・・
家に帰ることにして玄関に向かっているとホールに利奈の母親がいた。帰るところだったらしい
「まだいたのか…」
漣が低い声で言うと、その声が聞こえたのか母親がこちらを向いた
「何か用かしら?」
母親は鼻で笑い漣を見ていた。
「用なんかない。利奈はオレ達と暮らすからイタリアでもどこにでも行けよ」
漣らしくない、冷たく厳しい口調で目の前の母親にキツイ言葉を投げかける。利奈の言葉を思い出した『ママは兄様達をあの子としか呼ばないの。自分の息子なのに絶対に名前を呼ばない』漣も自分の母親の事を話すときは『あの女』と言っていた・・利奈はどんな思いで見ていたのか・・
「可愛気のない子・・」
「あんたに愛想笑いする必要は無い」
「漣、やめろ」
史明さんは漣を制して、母親に向き合った。
「利奈が泣くのはもう見たくない。父さんから親権を取り戻す手続きをすると聞いた。自分に勝ち目がないのはわかっているはずだ」
「憎たらしい子ね、言われなくたってわかってるわよ。可愛がって甘やかせばいいでしょ」
言い捨てて出て行った・・哀しそうに見えたのは気のせいだろうか?
父親達が大切、でも母親を切り捨てることができない。そう言っていた利奈が選んだのは父親達だ。充分苦しんできたはずだ、これからはこの家で笑って暮らせればいい。