譲れないもの(8)
私が突然帰ってきたことに屋敷の人間は驚いていた。
「お嬢様?・・皆川様?」
「ママはどこ?」
私は客間の扉を開いたが誰もいなかった。
広い洋館の中をパパの部屋を目指して走った。
執事が私を止めようとしたけれど、その言葉を無視してパパの部屋の前で扉をノックした。
『後にしてくれ』
パパの機嫌が悪そうな声が聞こえた。それでも構わずに扉を開けると、ソファに足を組んで座っているママがいた。
「パパ?」
「利奈・・」
パパは心配そうに私を見た。パパを見ながら私はソファに歩みより、ママの近くに立った。
扉が閉まる音がして黎人が扉を閉めてくれたのを視界の端に捉えて、ずっと手の中にある兄様達のリングをもう一度握った。
「利奈!どこにいたのよ!?」
ママは私に怒った。『どこにいたの?』私がそんなふうに怒られるのは初めてだってママは気付いているのだろうか?
「ママには言いたくない」
「利奈!ママに向かってなんていう口のきき方をするの!?」
心臓が早鐘を打った。
ママの言葉には答えずに私は聞いた。
「ママ、パパに何を言いに来たの?」
ママはソファに背をもたれさせたまま、フン!と笑った
「私の娘を返してもらいにきたのよ」
『私の娘を返してもらいにきた』そう言ったママに思わず笑いたくなった。
「娘を返す?・・普段は私がどこにいようが構わないのに?」
そう言うとママは眉を吊り上げた。きっと今の私は凄く嫌味な笑いを浮かべてしまっていたと思う。
「利奈!いつも言っているでしょう!?」
ずっと私が我慢すればいいって思ってた。そうすればママの気が済むんだって思ってた。
でも、もうダメだよ?
「ママ、もうやめて欲しいの」
心臓がバクバクうるさい。
胸を手で押さえるとパパが心配そうに私を見た。また発作を起こすんじゃないか?そんな顔で私を見ている。
「利奈?」
パパを見て『大丈夫』と小さく頷いた。
「利奈!ママの言う事が聞けないの?」
ママは立ち上がって私にヒステリックに怒鳴った。ママと正面から向き合ってまっすぐにママを見た。
「私はママの玩具じゃないし道具でもない・・・ママが言っている事はおかしいよ?」
ママの顔が歪む。それを見て手が震える。
あの時の顔だ、小さい頃私を叩いたあの顔。
「もうママに利用されるのは嫌。どうしてママは私と暮らすの?ママは私を放置して・・・兄様達に会わせないで私を1人にして、ママは私をどうしたいの?」
息苦しくなってきた。『もう少しだけ待って』自分にお願いをして胸にあてた手をぎゅっと握りしめた。
「利奈に何が分かるっていうのよ」
「わからないよ。ママだって私の何が分かっているっていうの!?」
言ってから、ドクン、ドクン、と胸が強く打ち膝が震えてきた。
「黙りなさい!」
怒鳴られて、ビクッと震えるとさっきまで私を包んでいた香りと同じ匂いを感じた。“黎人”が私のすぐ後ろにいるのを感じて、その香りに後押しされるように私は思い切って今まで言い出せなかったことを言葉にした。
「ママ・・私の大切なパパと兄様達を傷つけたら許さない」
「黙りなさい!!」
ママが手を上げて頬を叩かれた。
もう、これ以上大切なものを失くすのは嫌だ。これだけは譲れない。
「叩かれたって私の大切なものは変わらないの。何回でも言うから・・パパと兄様達を傷つけるようなことを言ったら許さない!」
勢いに任せて言い切ると、もう立っていられなかった。
「利奈!」
パパが呼び私に駆け寄った。スーツの袖をぎゅっと掴むと私の手を握った
「っ!」
苦しい・・・
黎人が床に座り込んいる私の背中をさすってくれた。
「利奈、ゆっくり・・・息を吐き出せ」
耳鳴りがする。
苦しくて涙がこぼれる。
「そうだ。ゆっくりだ・・・発作は止まるから、だから安心して」
耳鳴りの中で黎人の声が頭に入ってきた。
「・・・っ」
「呼吸も落ち着いてきたぞ?もう治まる。・・・・もう大丈夫だ」
黎人にそう言われると息苦しさが消えたような気がする
「飲めるか?」
パパが差し出してくれた水を一口飲んだ。
「利奈のお母さん、あなたは彼女が怪我をしてからこの発作を起こしていたのを知っていましたか?」
黎人がママに問いかけるのをぼんやりと見ていた。
パパが私を抱き上げてソファに座らせた
「そんな事知らないわよ!」
ママのヒステリックな声が部屋に響いていた。
ヒステリックに叫ぶママをパパが見ていた。
私にはその表情から何を考えているかわからなかったけどパパは悲しそうな顔をしてママを見ていた。
目の前に靄がかかったように視界が霞み、目を閉じると身体から力が抜けてしまった。