第5話 邪神龍だって学園生活を謳歌したい 2
深夜、中庭に出た。
月が出ていた。噴水の水が月光を受けて白く光っている。花壇の花が夜風に揺れていた。昼間は生徒の声が溢れているこの場所が、今は静かすぎるほど静かだ。
フェリクスとガウェインとリュカが、中庭の三方を押さえて立っていた。打ち合わせ通りだ。
私が中央に立った。
0時を過ぎた頃、正門の方角から気配が来た。
二つ。
どちらも工作員たちとは比べ物にならない魔力だ。ゲームでも名前の設定があるキャラたちだ。〈灰の牙〉の現役幹部——剣士の男レーベンと、魔法使いの女ルーズ。二人とも実戦経験が豊富で結構強かった覚えがある。
正門を越えて、中庭に入ってきた。
月明かりの中で二人が立ち止まった。中庭に四人がいることを確認して、表情が変わった。
フェリクス、ガウェイン、リュカが私を中心に集まる。
「あいつらが聖女を狙う敵組織の幹部か」
フェリクスが鋭い目つきで剣を構える。
ガウェインとリュカも私を守ろうとしてくれている。
「……迎えがいるとは思わなかった」
レーベンはこちらを警戒しながら、しかし余裕のある表情をしている。
「予告されていたので」
「誰に」
「ご想像にお任せします」
レーベンが目を細めた。ルーズが静かに魔力を解放し始める。
「邪神龍を確認した。これほど密度が高いとは——しかし所詮は人の身。排除できる」
「試してみますか?」
「笑止」
二人が同時に動いた。
本部の幹部クラスだ。動きが速い。魔法の展開が早い。リュカが結界を張ったが、ルーズがそれを一撃で割った。ガウェインが踏み込んでレーベンと切り結んだ。フェリクスがそこに切りかかる。
乱戦になった。
強い。
工作員とは明確に格が違う。
でも——私の本気とはまだ、比べ物にならない。
ガウェインがレーベンの剣を弾いた。でも押され始めていた。リュカが二枚目の結界を展開しながら「澪さん!」と声をあげた。
ルーズが私に向かって放った魔法が、肩をかすめた。
熱い、とは思わなかった。ただ、服が焦げた。
フェリクスが「澪!」と叫んだ。
私は右手を上げた。
今まで、邪神龍の力はずっと抑えていた。
脅しに使う分だけ。威圧に使う分だけ。
でも今夜は——
解放した。
黒い炎が両手から溢れて、空に向かって立ち昇った。噴水の水が沸騰して蒸気になった。花壇の花が霜を纏った。月が一瞬、陰った。
空気が変わった。音が消えた。ガウェインも、フェリクスも、リュカも、動きを止めた。
邪神龍ヴォルグ・ナーシア。数百年前に世界が封印した存在の「重さ」が、夜の中庭に満ちた。
二人の幹部の顔から、表情が消えた。
「……っ」
レーベンが一歩後退した。ルーズが魔法の展開を止めた。
体が動かせない、ということではなかった。体を動かす「必要性」が、脳から消えた、という顔だった。
邪神龍の本質は「力」ではない。「存在の重さ」だ。近くにいると、それだけで全てが無意味に思えてくる。戦う理由が消える。逃げる理由も消える。ただ、圧倒されて、立ち尽くす。
「めっ!」
邪神龍の口から言った。
黒い炎が二本の柱になって、二人の幹部をそれぞれ包んだ。壁に縫いつけるのではない。ただ、足元の地面に固定した。動けない。でも傷はない。
「この学園から、今夜出ていってください。あなたたちの部下も全員連れて。二度と戻らないでください」
「この力……まがい物ではない」
「……本当に、邪神龍なのか」
二人が絞り出すような声で言った。
「そうです」
「なぜ、学園に……」
「楽しいので」
レーベンは沈黙。ルーズがぎこちなく声を出す。
「……それだけの理由で」
「それだけで十分な理由です」
黒い炎を引いた。二人の幹部が地面に崩れた。
しばらく誰も動かなかった。
それから、二人は立ち上がった。互いに目を合わせて、無言で正門の方角へ歩き始めた。足がわずかに震えていた。
その背中を見ながら、私は思った。
今夜のことは本部に報告される。〈灰の牙〉は邪神龍の力を実際に見た。
これで動きが変わってくれるはず。
少なくとも、この学園から出ていく。
落ち着きを取り戻したが、四人でしばらく沈黙していた。
リュカが最初に口を開いた。
「……澪さん、今のは」
「邪神龍の力です。今まで抑えていました」
リュカが少し間を置いた。
「……記録していいですか」
「後でお願いします」
「わかりました」
フェリクスが疑うような目をして聞いてくる。
「邪神龍……なるほど、いままでのことに合点がいった」
「はい、そういうことです」
「危険な力に見えるが、お前のことは本当に信用していいんだな?」
「大丈夫です。私はみんなのことを守りたいだけなので」
「そうか、ならいい」
フェリクスは納得はしてくれたけど、まだ私のことを完全に信頼してはないみたい。
そりゃそうだよね、邪神龍だもん。
「澪、学園を、エルマを守ってくれてありがとう」
「え、あ、うん……」
急なデレに驚いていると、そこにガウェインが静かに近づいてきた。
「肩を見せろ」
「え?」
「さっき魔法がかすった。服が焦げている」
ガウェインさんが気づいていた。
乱戦の中で、私の肩に魔法がかすったのを。
自分も戦いながら、見ていた。
「大丈夫です。邪神龍の体は頑丈なので」
「見せろ」
ガウェインが、有無を言わせない声で言った。
肩の焦げた部分を見せると、ガウェインが静かに確認した。皮膚は無事だった。服が少し焦げただけだ。
「確かに傷はない。だが……」
「だが?」
「次は俺たちが守る」
“次は俺たちが守る”
邪神龍を。
この世界で一番強い存在かもしれない私を。
それでも守ると言う。
はっきり言って、一人の女性として扱ってくれてうれしい。
フェリクスが静かに言った。
「同意だ」
「……ありがとうございます」
「礼はいい」
「いいえ、言わせてください」
フェリクスが短く鼻を鳴らした。口元が緩んでいた。
◇ ◇ ◇
学園への報告は明日することになり、今夜はこれで解散となった。
中庭を出ようとしたとき、石塀の陰に人影があった。
クロエだった。
壁にもたれて、腕を組んでいた。今夜はずっとここにいたのか、中庭の攻防を全部見ていたのかもしれない。表情は、いつもの薄い笑みではなかった。何かを決めた後の顔だった。
私が近づくと、クロエが口を開いた。
「学園にいる全ての工作員に、今夜限りで引き上げるよう連絡した」
私は止まった。
「……全員ですか」
「全員。派閥も関係ない」
クロエが、自分の配下の工作員を全員引き上げさせた。
つまり——学園に残る〈灰の牙〉の人間は、今夜でいなくなる。
「君は邪神龍の力を示した。そして、『学園が楽しい』と言った」
「はい」
「邪神龍が、数百年封印されていた化け物が、『学園が楽しい』」
「そうです」
クロエがしばらく黙った。
「……俺は今まで、目的のために動いてきた、組織のために。上の命令に従って。それ以外の理由で動いたことがなかった」
「クロエさん……」
「今夜の情報を渡したのは——理由なんてなかった。いや、お前のことを邪魔したくなかった。それだけだ」
敵が、敵であることをやめた瞬間だ。
ゲームのシナリオより、ずっと早く。
でも——これはゲームの話じゃない。
今夜、ここにいる、本物のクロエが言った言葉だ。
「クロエさんはこれから、どうするつもりですか?」
クロエが少し笑った。でも今夜の笑みは、最初に見た薄い笑みではなかった。
「まだわからない。組織を離れるのは簡単じゃない。でも——今夜みたいな仕事は、もうしたくない」
「……そうですか」
「お前に言っても仕方のない話だけどな」
「仕方なくないです。聞けてよかったです」
クロエが私を見た。
「……お前、本当に変わってるな」
「よく言われます」
「ふふっ」
クロエが今夜一番、声に出して笑った。短い笑いだったが、初めて聞く種類の声だった。
「……また来るよ。今度は敵としてじゃなく」
「待っています」
クロエが夜の中に消えた。今夜は後ろを見なかった。迷いのない足取りで、真っ直ぐに。
◇ ◇ ◇
朝になった。
学園の空気が、少し変わっていた。うまく説明できないが、澄んでいた。邪神龍の感覚で確認しても——冥界の魔力が、学園の中にない。どこにも。
工作員が全員、いなくなっていた。
本当に引き上げた。
クロエは約束を守った。
朝のホームルームで、エルマが曇りのない笑顔で言った。
「なんか今日、空気がきれいな気がします!」
「そうですね」
「なんかすっきりした感じ!」
「はい」
エルマは理由を知らない。でも感じている。聖女の感覚は鋭い。
リュカが静かに言った。
「あの後、何かありましたか」
「少し後片付けを」
「……そうですか」
リュカが頷いた。
それ以上は聞かなかった。
フェリクスが斜め前から、ちらりと私を見た。目が合った。何も言わなかった。でも、頷いた。
ガウェインが後ろから静かに言った。
「……よくやった」
ちゃんと聞こえた。
……邪神龍の耳は、いい。
こういうときだけ鋭くてよかったと思う。
外は晴れていた。
アルカナ学園の中庭に、朝の光が真っ直ぐ降りていた。噴水の水が光を弾いて、石畳の上に白い模様を作っていた。昨夜の痕跡は、もうどこにも残っていない。
二週間でこんなに色々あった。
でも今日から、ようやく——ただの学園生活が始まる。
ゲームのシナリオを知っている私が、ここに来た本来の目的のために。
推しキャラたちと、毎日、この学園で過ごすために。
邪神龍、学園生活、本番です。




