表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

8/9

第5話 邪神龍だって学園生活を謳歌したい  1

 入学から二週間が経った。

 あれから〈灰の牙〉の動きはない。

 なにか良からぬことをしようとすれば、邪神龍のセンサーにビビッとくるので本当に何もしてない、はず。


 すると朝、クロエが教室の前で待っていた。

 堂々と、笑顔で。

 この人の神経がわからない。


 朝のホームルーム前の廊下に、くすんだ銀髪の男が壁にもたれていた。二年生の制服を着ている。表情はあの日と同じ——薄い笑みだ。


 周囲の生徒が「誰だ」という顔で見ている。気にした様子もなくクロエは私が近づくのを待っていた。


「おはよう」とクロエが言った。


「……おはようございます」


 「また来る」と言っていたが、朝から教室前とは思っていなかった。

 堂々としすぎている。

 工作員のリーダーがここまで表に出てきていいのか。


「授業が終わったら、少し話せる? 今夜のことで」


 今夜、という言葉に、背筋が緊張した。


「……今夜、何があるんですか」

「ここでは話せない」


 それだけ言って、クロエは廊下を歩いていった。

 周囲の生徒が「あの人誰?」とひそひそしていた。


 「次は俺が直接動く」と言っていた。


 でもわざわざ事前に声をかけてくるということは——動く前に何かを伝えようとしている?

 敵が情報をくれる。

 意味がわからない。でも無視するわけにいかない。


 ◇ ◇ ◇


 一限目は魔法実技の授業だった。

 この授業、入学以来ずっと憂鬱だった。

 理由は単純だ。私には「普通の魔法」が使えない。邪神龍の力はある。でもそれは「魔力を操作して特定の現象を起こす」ものではなく、「存在の重さで世界を歪める」ものだ。火を出せと言われて制御した炎を出すのは、私には実は難しい。


 悩んでいたら、実演の順番が来てしまった。

 どうする。

 普通の魔法が使えませんとは言えない。

 でも邪神龍パワーを出すと確実に大騒ぎになる。


 ……考えろ、澪。OL時代、できないことをできるように見せるのは得意だったはずだ。(大きな声では言えないけどね)

 邪神龍の力で「普通の魔法に見える何か」を作れないか。


「宵崎、前へ」と教師が言った。


 立ち上がった。教壇の前に出た。クラス全員の視線が集まった。フェリクスが眉を少し上げた。リュカが静かにこちらを見た。エルマが「頑張れ澪さん!」と小声で言った。


 お題は「基礎炎魔法」だ。小さな炎を手元に灯す、一年生の最初に習う魔法だ。


 私は右手を前に出して、目を閉じた。

 炎は「急激な酸化反応」だ。

 現代化学の話をすれば、燃焼には可燃物・酸素・熱の三要素が必要だ。

 邪神龍の力で空気中の酸素密度を局所的に高めて、摩擦熱でエネルギーを燃焼させれば……


 やってみよう。


 右手の指先に、意識を集中した。邪神龍の力を、今まで一番細かく、精密に絞り込んだ。空気の流れを感じて、分子の動きを想像して——ほんの一点だけ、世界を「押す」。


 橙色の炎が、指先に灯った。


 普通の炎だった。魔法の炎とも、邪神龍の黒い炎とも違う、まっとうな橙色の火だった。揺れて、揺れて、静かに燃えていた。


 教室が、しんと静まり返った。


 教師が固まっていた。


「……そ、その炎、魔術式を一切組んでいないが」

「手順を省略しました」

「魔術式なしで炎魔法を……?」

「そういう体質なんです」


 クラスがざわめいた。


 魔術式なしで魔法を発動する。この世界では理論上不可能とされていることだ。でも、「魔術式は人間が力を制御するための補助輪」なので、邪神龍的には省略できる。現代化学の発想で「現象の本質」に直接アクセスした結果がこれ。元の世界の論理的思考が役に立った。


 リュカが静かにノートを開いた。


「記録していいですか」

「どうぞ」

「……ありがとうございます。正直、驚きました。これは歴史的な瞬間です」


 リュカが「驚いた」と言った。

 真顔で、淡々と。

 この人が感情を表に出すとき、言葉が直球すぎる。


 フェリクスが静かに言った。


「……お前は毎回、何かをやってのけるな」

「たまたまです」

「嘘だ」

「……ご想像にお任せします」


 フェリクスが鼻で笑った。口元が緩んでいる。いつもの癖だ。

 エルマが「すごい! すごいです澪さん!」と両手を合わせていた。ガウェインが短く頷いた。それだけだったが、ガウェインの頷きには妙な重みがある。毎回そう感じる。


 ◇ ◇ ◇


 放課後、中庭の隅の木陰でクロエが待っていた。

 昼間の学園は生徒が多い。木陰は人目から少し外れているが、完全に隠れているわけでもない。クロエはベンチに腰を下ろして、空を見上げていた。

 私が近づくと、視線を下ろした。

「座って」と彼は言った。


「立ったままでいいです」

「……そう」


 クロエが少し間を置いた。表情が読みにくい。昼間の光の中では、目の隈が深いのがよくわかった。あまり眠れていないのかもしれない。


「今夜、上が動く」

「上、というのは?」


「〈灰の牙〉の本部から、直接人が来る。幹部クラスが二人。目的は邪神龍の排除と、それに付随する聖女の確保だ」


 幹部クラスが二人。

 これまでの工作員とはレベルが違う。

 ゲームのシナリオで幹部クラスと戦闘するイベントは存在していた。でもそれは第二部、二年生のときの話だ。

 これも前倒しになっている。


「なぜ私に教えるんですか」


 クロエが少し目を伏せた。


「……俺の指示じゃない。本部が勝手に動いた。俺が動くはずだったのに、上が介入してくる。そういう話だ」

「だからといって、敵に情報を流す理由にはならないです」

「そう、ならない」


 クロエが認めた。あっさりと。


「でも——」


 クロエが木の幹を見上げた。葉の隙間から午後の光が落ちていた。


「今夜、あの幹部連中がここに来て、学園の生徒を巻き込んだら。誰かが傷ついたら。それは俺の作戦ではない。でも俺の管轄の中で起きることだ」


 “誰かが傷ついたら”


 この人は——本当に、疑問を持っている。

 どこかで線を引こうとしている。

 まだ踏み越えていない線が、この人にはある。


「クロエさん、あなたが今夜ここを離れれば、幹部に関わらずに済みます」

「逃げろということ?」

「戦わなくていいという意味です」


 クロエが少し間を置いた。それから、薄く笑った。


「俺に選ばせてくれるんだ」

「そう、選ぶのはあなたです。私がどうこうできることじゃない」


 クロエがまた少し黙った。


「今夜0時を過ぎたあたりに来る。場所は中庭だ。正門から入ってくる」

「……ありがとうございます」

「礼はいらない」


 それだけ言って、木陰を出ていった。

 ゲームでクロエが改心するのは第二部の後半だった。

 でも今、この人の中で何かが動いている。

 ゲームのシナリオよりずっと早く。


 ◇ ◇ ◇


 フェリクスに話した。


「今夜、エルマちゃんを狙う敵組織の幹部が来る」と告げると、フェリクスは三秒黙った。それから「情報源は」と聞いた。


「言えません」

「……信頼できる情報か」

「はい」


 フェリクスがまた黙った。王太子として動くべきか、個人として動くべきか、両方を瞬時に計算しているのだろう。


「ガウェインとリュカを集める。エルマは寮から出さない」

「お願いします」

「お前は?」

「中庭で迎えます」


 フェリクスが私を見た。何か言いかけて、止めた。


「……一人でなんでもしようとするな」


 命令口調なのに、心配している声だった。

 フェリクスはこういう人だ。

 直接「心配だ」とは言わない。でも言葉の裏に全部ある。


「任せてください。私、強いので」

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ