第1話 邪神龍(ラスボス)召喚!
第1部を毎日投稿します。
気づいたら、冥界にいた。
しかも邪神龍として召喚されていた。
——これ、めちゃくちゃチャンスじゃないか!?
少し前の話から始めよう。
宵崎澪、三十歳、独身OL。特技は残業と乙女ゲーの全ルートコンプリート。彼氏いない歴は年齢と完全に一致している。世間的には「やや残念な人生」に分類されるかもしれないが、本人は割と元気にやっていた。乙女ゲーさえあれば生きていけた。
その夜、十二年追いかけ続けた『聖女と』シリーズの最新作『聖女と黄昏の龍』を何回目かの全ルートクリアしたところだった。
やっぱり泣いた。エンディングで号泣して、目が腫れるほど泣いて、それでも感動の余韻が抜けなくて、枕を抱えながら天井を見上げていた。
「邪神龍……かわいそうすぎる……」
しみじみとつぶやいた。
このゲームのラスボス、邪神龍ヴォルグ・ナーシア。数百年前にただ世界に存在していただけなのに、危険だと判断されて封印されて、悪の組織〈灰の牙〉に利用されて、最後は聖女に討伐されて、エンドロールで「龍よ安らかに眠れ」とか言われる。
かわいそうすぎる。
邪神龍なんて名前まで付けられて……。
せめて好き放題やってから逝けよ、と心から思った。
その想いが天に届いたのか、次の瞬間、部屋が光に爆発した。
目が覚めたら石造りの祭壇の上だった。
空気が冷たい。湿っている。硫黄と腐葉土と、なにか焦げたような匂いが混ざっている。頭上には天井がなく、どこまでも続く暗い空がある。松明の炎がオレンジ色に揺れて、その光の中に黒いローブを着た人間が十数人、ひざまずいていた。
待って、ここ……。
冥界の召喚陣——ゲームで見たことあるシーンだ、とすぐにわかった。
〈灰の牙〉が邪神龍復活の儀式をやる場所じゃないか。
ということは私、邪神龍の魂として召喚された……?
恐る恐る自分の手を見た。細い。白い。私の手じゃない。身につけている衣装からもわかる。これはまさしく、邪神龍ヴォルグ・ナーシアの人間態。
やっぱり、私の魂は邪神龍の身体に入ってしまっているみたいだ。
指先に黒い靄がまとわりついていて、全身に得体の知れない力が満ちている。邪神龍の魔力だ。ゲームの設定を読んで「かっけえぜ、邪神龍」と思っていたものが、今、自分の体の中で呼吸をしている。
怖い?
……いや、全然怖くない。
むしろ気持ちいい。
これ、すごい力だ。
朝、布団から出られなかったあの体と同じ体とは思えない。
「龍の魂よ、目覚めよ!」
ローブの男が両手を広げて叫んだ。〈灰の牙〉の幹部・ゼーグルだ。四十代、細目、傲慢、最終的に聖女にボコられて退場する人。実物はゲームより顔の皺が多くて、髭が濃い。リアルだ。
「偉大なる邪神龍ヴォルグ・ナーシアよ! 我ら〈灰の牙〉の覇道のために、その絶大なる力を——」
「あー、はいはいはい」
遮った。
ゼーグルが止まった。ローブ軍団も止まった。松明だけがぱちぱちと燃え続けた。
「知ってます、その台詞。何回も聞いたので」
「……聞いた? 何回も?」
「あなたたちが邪神龍を復活させて世界征服の道具に使おうとしていることも、最終的にあなたたちが聖女にボコられることも、全部知ってます」
ゼーグルが目を丸くする。
「な……どういうことだ……!」
「あなたたちの組織の内部情報も、幹部全員の名前も、それぞれの弱点も、裏切り者が誰かも、全部知ってます」
ゼーグルさん、右腕を聖女にやられて三ヶ月は動けなくなるんだよな。ゲームの第二章のシーン、ちょっと笑えるんだよな。「わ、私の右腕が……!」って叫んで退場するやつ。
「あ……貴女は……一体……邪神龍ではないのか……?」
「そんなことより! ひとついいですか」
「な、なんだ」
ゼーグルが引きつった顔で答えた。
「私のこと、世界征服の駒として使うつもりでしょ」
「そ、それは……汝は我らが儀式によって復活した邪神龍であり……」
「嫌です」
即答した。
「え?」
「断ります。そういう契約を結んだ覚えはありません。しかも中身は私なので、そもそも邪神龍の意志は関係ないですし」
「中身……? それはどういう意味だ」
「邪神龍の器に別の魂が入ってるっていう意味です。で、その魂の意志は——あなたたちの言うことを聞く気がない」
三十年間、理不尽な上司と残業と薄給に耐えてきた。
ここに来てまで誰かの命令を聞く気はない。
邪神龍だぞ私は。
ラスボスだぞ。
好き放題やって何が悪い。
ゼーグルが「捕らえろ!」と叫んだ。
手下たちが一斉に飛びかかってきた。剣を抜いた者、魔法の詠唱を始めた者、「邪神龍様、大変失礼ながら——」とか言いながら向かってくる礼儀正しい者まで混在している。
私は右手をそっと持ち上げた。
指先から、黒い炎が滲み出た。
炎というより圧——光でも熱でもない、存在そのものの重さが空間に放射された。
飛びかかってきた全員が、まるでゆっくり再生した映像のように宙に浮いて、そのまま石室の壁に向かって吹き飛んだ。
全員、気絶している。死んでいない。加減した。
邪神龍パワー、やっばい。何これ気持ちよすぎる。OL時代に理不尽な残業を押しつけてきた上司に一回使いたかった。
石室がしんと静まり返った。
吹き飛ばされなかったのはゼーグルだけだ。わざと残した。話があるから。
「ゼーグルさん」
「ひ……っ」
ゼーグルが後退りした。
「安心してください、殺しません。ただ質問があるので答えてほしいんです」
「し、質問……」
「ちゃんと答えてくれたら、あなたもそこに飛ばします」
気絶した手下たちが折り重なっている場所を示すと、ゼーグルが「そこに飛ばされて嬉しい者がいるか!!」と叫んだ。ごもっともだが表現が悪かった。
「では、ちゃんと答えてくれたら解放します」
「……何が聞きたい」
「アルカナ学園への入学手続きはどうすればいいですか」
ゼーグルが「は?」という顔をした。
「……入学、手続き……?」
「春から入学したいんです。今年の新入生として」
「邪神龍が……学園に……入学……?」
「聖女たちと同じ年に入学できますよね。同級生として三年間を一緒に過ごす、あの学園に」
「なぜ!!」
ゼーグルが叫んだ。
「なぜ邪神龍が学園に入学するんだ! 世界の覇者たるべき存在が何故学び舎に!!」
「楽しそうだからです」
「楽しそう……」
ゼーグルが遠い目をした。
「邪神龍が……楽しそうだから……学園に……」
ゼーグルさん、魂抜けてる顔してる。でもゲームでも結構コミカルなシーンが多かったし、実物もそういうキャラなのかもしれない。
「あと……」
私は続ける。
「余計なことをするつもりはないです。ただ、聖女たちを利用して悪いことをしようとする連中には対処します。あなたたちの組織も含めて」
「……対処、とは」
「めっします」
「め……滅っ?」
「めっ。です。めっ!」
ゼーグルが「め……めっ……」と繰り返したまま固まった。
めっ、という言葉の響きが邪神龍の口から出ると、なんか迫力があるな。
我ながらいい言葉を選んだ。
「わ、わかった」
ゼーグルがようやく口を開いた。
「〈灰の牙〉には学園への潜入工作員がいる。その者を通じれば偽の戸籍書類は用意できる。それで満足か」
「十分です。ありがとうございます」
「礼を言うでない、釈然としない」
「ゼーグルさんはいい人ですね」
「いい人ではない! 私は悪の組織の幹部だ!!」
でもゲーム中盤で子猫を拾って大事に育ててたシーンがあったよ。ちょっとしたシーンだったけど、あれ好きだった。
こうして私は邪神龍のパワーと乙女ゲーの知識とOL時代に培った交渉術で、「宵崎澪」という名の一般市民としての書類一式を〈灰の牙〉から巻き上げた。
冥界を出るとき、振り返ったらゼーグルが放心した顔で立っていた。
「ゼーグルさん」
「……なんだ」
「おとなしくしてれば手出しはしません。でも聖女たちに手を出したら——」
「め、めっ! だな」
「そうです。めっ! です」
ゼーグルが「は、はい……」と消えそうな声で言った。
冥界最強格の幹部を前に、邪神龍の中身(OL)が「めっ!」と宣言して終わる儀式シーン。ゲームではたぶんこういう展開は想定されていなかっただろう。
冥界の出口を抜けると、春の野原に出た。
夜の空気が柔らかい。草の匂いと、風の重さと、遠くで鳴く虫の音。邪神龍の体は感覚が鋭くて、夜露の冷たさが足の裏からくっきりと伝わってくる。黒い長い髪が、夜風に流れた。
見上げると、星が驚くほどあった。
ゲームのグラフィックで何百回も見た星空が、今は全身で受け取れる。
綺麗だ。
この一言以外に、今は言葉がなかった。
しばらく星を見上げてから、整理した。
現在はゲームの冒頭。春から聖女エルマと攻略キャラたちがアルカナ学園に入学する。私は同年代の器に入っているので、同じタイミングで入学できる。同級生として三年間を過ごし、ゲームの終盤——三年生の秋——に邪神龍討伐の本番が来る。
シナリオ通りなら、私はそこで消える。
嫌だ。
三年後に消えるのは嫌だ。せっかく邪神龍になって、この世界に来て、推しキャラたちと同じ学園に通えるのに、三年で終わりとか納得できない。
でも逆に言えば、三年間ある。
ゲームのシナリオを全部知っているのは私だけだ。
誰より有利な立場で、三年かけて生存ルートを探せばいい。
その間に、冥界側の連中が聖女たちに手を出そうとしたら——
めっ! する。全員。容赦なく。
邪神龍なんだから、それくらいの特権はある。
右手の指先で、黒い炎を小さく灯した。消した。また灯した。消した。
普通に楽しい。
「よし」と私は声に出した。
誰もいない春の野原で、邪神龍の体を持ったOLは、一人でこぶしを握った。
「アルカナ学園、入学します」
聞いている者は誰もいないが、宣言した。
こうして邪神龍ヴォルグ・ナーシア——中身・宵崎澪、三十歳、彼氏いない歴=年齢——の学園生活が、春とともに始まることになった。
ゲームのシナリオを全部知っている私が隣の席に座るとき、聖女も攻略キャラも、冥界の連中も、まだ誰も知らない。
最強のラスボスが、同級生として乗り込んでくることを。




