第37話
――沖つ風 吹けばまたゝく 蝋の灯に 志づく散るなり 江の島の洞
与謝野晶子の歌碑である。
言うまでもなく、この歌碑は江の島にあり、そしてわたしたちはそこにいる。
江の島大橋を渡って裏側、江の島岩屋という洞窟の最奥だ。
江の島岩屋は波が削った洞窟で、その岩肌は全体的に丸みを帯びている。
古くは弘法大師や日蓮上人が修行してたり、源頼朝が戦勝祈願に訪れたとも云う歴史あるパワースポットで、無数の支道のひとつをたどると富士山まで繋がってるなんて都市伝説つきだ。
んで、どうしてそんなところにいるのかと言えば。
「すみません、そこのお嬢さんたち、詰めてもらえますかー」
「あ、はーい」
「正午になりましたらダンジョンにつながりますのでー。お怪我がないよう、姿勢には気をつけてくださいー。体育座りで、頭は膝の間に入るようにー」
「はーい」
そう、ダンジョンである。
係員さんのメガホンに従い、お尻をずらして間隔を詰める。
歌碑のある場所は広々とした空間になっていて、そこに大量の女性客がすし詰めになっている。女天王祭――これが目的のイベントだ。いや、イベントと言ったら失礼か。伝統ある祭事だな。
天王祭とは、一年の半ばに半年分の厄落としを祈念するお祭りだ。
ここ江の島でも盛大に行われるそうで、地上では百人以上の半裸の男がふんどし一枚でお神輿を担いでいた。江島神社の境内には大きな茅の輪が設けられ、茅の輪くぐりの大行列が続いているらしいがそちらは見ていない。江の島岩屋に来るには寄り道になってしまうからだ。
で、男が主役の祭りがそれなら、女が主役の祭りがこれだ。
ダンジョンが談女誣と呼ばれていた頃からのもので、女たちが一斉にこの江の島ダンジョンに潜るのである。
「帰りはたこせん買って帰ろうか?」
「あ、あのきゅーーーーって鳴ってたやつです?」
「そうそう、おいしいんだよね、あれ」
観光チャンスを逃したわたしに気を使ってか、キリ先輩がそんな提案をしてくれる。
「生しらす丼も美味えぞ。ただ、島ン中は観光地価格だから、出てから店を探した方が安いぜ。味は変わんねー」
「ほほう。……でも生しらすかあ」
「あ、おまえ回転寿司とかの想像しただろ? とれたてはあんなべちゃっとしてねーぞ。ぷちぷちしてて、ぜんぜん生臭くないんだぜ」
「ほうほう」
そして鬼嶋も地元民(というほど地元ではないらしいが)らしい情報を教えてくれる。
生しらす、個人的にはあんまり好きじゃないんだけど、そこまで言うなら試してみようかなあ。
しかし鬼嶋、食べ物の話になると妙に食いつくな。
あれか、お料理上手で食いしん坊キャラか。属性を生やすのもそのへんにしておきなさい。
「もうすぐ正午ですー。姿勢に気をつけてくださーい」
「はーい」
「カウントダウン入りますー。ごーお、よーん、さーん……」
閃光が瞬いて、洞窟が真っ白に染まった。
* * *
真っ先に感じたのは、肌にまとわりつくような熱気だった。
大きな水堀に石造りの通路。その向こうには白亜の尖塔をいくつも備えた巨大な宮殿――いや、寺院か。見た目で言うと、カンボジアのアンコールワットなのだが。
「これが祇園精舎かあ」
「あくまで想像上の、ね」
ダンジョンのイメージは出入りする人間に影響される。
この江ノ島の天然ダンジョンは、古くから仏法の聖地とされたため、仏教的なイメージが刷り込まれたのだ。そしてアンコールワットなのは、江戸時代あたりに広まった誤解が原因らしい。徳川家光の命で視察した幕府の役人が、祇園精舎だと勘違いしてアンコールワットを視察し、それが日本に広まったという次第だ。
「ここの守護神がミノタウロスねえ」
「正確には牛頭天王、ね」
鬼嶋のつぶやきにも、キリ先輩が律儀に訂正を入れる。
「あの牛がそんなありがてえもんとは思えねえけどな」
「あくまでイメージの話だからね。うちの部室のミノタウロスに直接関係するわけじゃないし」
「関係ねえのに依代にはなんのかね」
「あくまでイメージの話だから、理屈とかじゃないじゃない?」
「いい加減だなあ」
「ダンジョンだしね」
そう、ここへやってきた理由はミノタウロスの依代とやらを手に入れるためだ。
あの怪しげ関西弁の話によれば、日本のダンジョンにいるミノタウロスは、西洋的なイメージで上書きされる前は、もともと牛頭天王という仏教の神様だったらしい。そして牛頭天王は祇園精舎の守護神とされていたため、ダンジョンのデザインもそれに準拠しているというわけだった。
なお、牛頭天王と言われてもピンとこないわたしたちに、ミノタウロスは「牛頭天王は素戔嗚尊とも同一視されとるんやで。スサノオなら知っとるやろ、スサノオ」となんかよくわからないアピールをしてきた。いや、モチーフがスサノオだったとして、君が偉くなるわけでもあるまいに……。
「そんじゃ、ぼちぼち探索を開始するかね」
鬼嶋がバイクを復号し、どるるんとエンジンを吹かした。
すると、辺りにいた他のダンジョン客たちの視線が一斉に集まる。
「ねえねえ、あれ……」
「わ、お寺でバイクって……」
「いくらダンジョンでも、ねえ……」
ひそひそ話と冷たい視線。
鬼嶋は「うぐっ」と呻いて、素知らぬ顔でバイクをカードに戻した。
さすがにお寺の境内でバイクはなあ。
「Waouh! バイクの人! おひさしぶりデース! おお、アカリさんもいるデスか!」
そこに、がしゃんがしゃんと重い足音が駆け寄ってきた。
腰まで伸びたプラチナブランド、アクアマリンの瞳、そしてバイクなみに場違いな西洋甲冑に、漫画みたいな巨大ハンマー――
「ブランっ!?」
我が宿敵、ブランシュ・ド・セレスティエがそこにいた。
「やあ、私もいるよ」
「剣城も!?」
ブランの後ろから、王子系長身女子――剣城勇奈も現れた。
白い歯を爽やかに輝かせながら、片手にハルバードを担ぎ、空いた手をひらひらと振っている。
「どうして――いや、どうやってここに?」
どうして、はさすがに愚問だ。
お祭りなんだから、彼女らが来たって何もおかしくはない。
それより気になるのは「どうやって」である。
この江ノ島は、彼女たちには難しい土地のはずなのだが――
「車椅子なら、ぶちょーが担いでくれました!」
「ははは、胸を張って言うことじゃないと思うんだけどな」
「トンデモナイ! 堂々胸を張ってくだサイ! 車椅子を担いであの道を歩ける女子はそんなにいないデス!」
「そういう意味じゃないんだけどなあ」
そう、江ノ島はバリアフリーには程遠い土地なのだ。
上りも下りも急坂続き、道はボコボコでバリアだらけなのである。
そんな道のりを車椅子を担いで歩くなんて、真似できないとは言わないが、わたしでも相当しんどいぞ。剣城勇奈、わたしは直接手合わせしていないが、こちらもやはりブランに劣らぬ怪物である。




