第2話
「入ります! 入ります! で、入部届はどこですか!? あっ、部室……ですよ……ね…………」
勢い込んで入部の意思を示したものの、喉から発する声は尻すぼみになった。
だって……目の前に……バリケードがそびえているのですもの。
それは赤鬼を食い止めるためのものであり、紛れもなくわたしへの対抗策なのだ。
「大丈夫……って言っていのかはわからないけど。ついて来て」
はきはきと歩く少女を追って、部室棟を出る。
歩きながら、あ、自己紹介もまだだったと名前を名乗る。
「わたし、1年の火ノ坂朱莉です」
少女が立ち止まって振り返り、えくぼも眩しく微笑んだ。
「ボクは2年の切光桐子。桐箪笥とかの桐だから、キリとか、キリキリとか呼ばれてるよ」
「えっと、キリ……先輩」
さすがに呼び捨てでいいってわけじゃないだろう。
あわてて「先輩」をつけ加える。
「それで、どこ向かってるんです?」
「すぐ着くよ」
部室棟を出て体育館をぐるっと周り、着いたのは体育館裏。
日当たりの悪い地面は軽く湿気を含んで少し濃い。塀に沿った花壇には、半陰性のミヤコワスレやセイヨウオダマキが色とりどりの花を咲かせ、ほのかに甘い香りを漂わせていた。
その一角に、異物があった。
巨大なダンボールハウスである。
一辺が5メートルほどもあろうか。ほぼ立方体のそれには正面に二つの切り抜きがあり、どうやら出入り口のようだった。
「えっとね、ダンジョン部はいまはここで練習してて……」
キリ先輩が目を伏せて言った。
「ごめん、やっぱ入部の件はなしで。こんなので練習なんかしたくないよね」
「別に気にしないですけど」
「そうだよね。急に声かけてごめん……えっ?」
「むしろ秘密基地みたいでアガるまであります」
「えっ?」
ダンボールハウスなら埼玉時代に何度か作ったことがある。
不良どもの襲撃が激しくなったときに、実家から離れる必要があったのだ。
家族の身の安全を考えて……ではなく、襲撃する不良どもの安全のためだ。
うちのじいちゃんが襲撃されたら、嬉々として正当防衛をするだろう。
そして事故に見せかけて……やめようやめよう。怖いことを考えるのは。
結果として実家に襲撃はなく、無益な殺生も起こらなかったのだから万々歳だ。
「わたしの経験から言っても、すごい出来だと思います。へえ、角には細く折ったダンボールを使って柱にしているんですね。いい仕事してますね~」
「経験? う、うん。ありがとう。結構がんばったんだよね」
キリ先輩のほっぺがほんのり赤く染まった。かわいい。
「それで、他の部員は……」
「ごめん。いまはわたししかいないんだよね……」
「あっ、えっ、えっと、これってどうやって使うんですか? 中がダンジョンになってるとか!?」
キリ先輩の表情がまた暗くなりかけたので、慌ててフォローする。
部活っていうか、同好会なのかな?
ふふふ、いいじゃないか。たった二人の弱小同好会から始まって、仲間を集めて全国大会を目指す! 青春だねえ。青春そのものだねえ。わたしが求める高校生活がここにあるっ! 暗黒の中学時代を利息付きで取り戻すのだ! もちろん複利マシマシでなあ!!
「じゃあ、ちょっと中を案内するね。アカリさんはダンジョン経験はどれくらいある? 遊びでもいいんだけど」
「いえ、ないですね」
わたしの返事に、キリ先輩がきょとんとした。
「えっ、まったく?」
「はい、完全未経験です! 動画でちょろっとしか見たことがありません!」
「そ、そう」
胸を張るわたしに、キリ先輩は一瞬だけ珍獣を見るような視線を向けた。
まあ、いまどきまったくダンジョン経験がない子が珍しいのはわたしにだってわかっている。
うちの場合、家庭環境が特殊だったからな……主にじいちゃんが。
じいちゃん曰く「ダンジョンなど女子供の軟弱な遊び」とのことで、一切やらせてもらえなかったのだ。いや、わたしはまさに女子供だったんだけどな……。じいちゃんのダンジョン嫌いは筋金入りで、テレビで大会の番宣CMが入るだけでも即座にチャンネルを変えるレベルだった。
わたしとしてもじいちゃんに逆らってまでダンジョンをやりたいという気はしなかったし、中学に入ってからはまことに迷惑なことに、血で血を洗う抗争に巻き込まれたからなあ。そんなことをしている暇はなかったのだ。
「えっと、じゃあ簡単に中を案内するね。まずはここが入口で――」
ダンボールダンジョンの通路は、まっすぐ歩くと両肩がこすりそうなほど狭かった。
「本物はこれよりは広いから安心して。いや、これくらい狭いこともなくはないんだけど」
などと言いながら、キリ先輩の背中を追ってダンボールダンジョンを進む。
右に左に曲がっていくと、ダンジョンの壁や床にはちらほらと色付きのパネルが貼られていて、「これはトラップ。緑は毒で、赤は仕掛け矢……みたいに設定して練習するの。マジックテープだから場所も変えられるよ。ほら、避けて」と説明してくれる。
なるほど、ダンジョンには罠もあるのか。
それにしてもマジックテープとは芸が細かい。
ほんの5メートル四方のダンジョンだったのに、出るまでにはたっぷり10分近くかかった。説明を聞きながらというのもあったが、道のりが複雑で、トラップや他の仕掛けも盛り沢山だったのが大きい。忍者屋敷を彷彿とさせる隠し扉まであった。よくこんなものを自作したものだと心の底から感心した。
「新入生の部活勧誘会用に作ったんだけどね。怪我の功名っていうか、部室が使えなくなっちゃったから……」
「使えなくなった?」
一瞬、バリケードが脳裏をよぎったが、あれができたのはついさっきのことだから関係あるまい。
キリ先輩は気まずそうな顔で口を濁した。
「おいおい、今日もこんなところでサボってんのかよー」
そこに、知らない声が聞こえた。
目を向けると、金髪に黒マスクをした三白眼の女がこちらに歩いてくるところだった。服はなんと、特攻服である。昭和の暴走族やヤンキーが着ていたアレだ。やたらに裾の長い学ランを羽織り、ボンタンと言ったか、やたらとゆったりした太股の布をばさりばさりと揺らした大股だ。
「ニコちゃ……鬼嶋さん!」
キリ先輩の顔が厳しくなった。いや、これは固くなったと言うべきか。
わたしをかばうように鬼嶋の前に立ち、小さな胸を精一杯に反らしている。
「そいつは新入部員希望かあ? へへ、せっかくダンジョン部に入ろうってのに、こんな玩具で遊ぶしかないんじゃがっかりだよなあ」
「ちょっと、アカリちゃんに手を出したら承知しないから!」
「おーおー、こわいこわい。せっかく出来た後輩ちゃんの前でカッコつけちゃってさあ。ま、安心しろよ。後輩に手を出すほどオレはシャバくねーからな」
鬼嶋は片頬を歪めた笑いを浮かべ、わたしを舐め回すように見ながらダンボールダンジョンの前まで歩を進めた。
そして――
「よっこいしょっと」
鬼嶋の前蹴りが、ダンボールダンジョンの外壁を貫いた。
「あーらら、脆いねえ。これがホンモノのダンジョンなら、壁をぶち抜いてゴールまで一直線だよ。本当にそうだったら楽チンでいいねえ」
鬼嶋がケタケタと笑う。
「何してくれてんだ、コラ」
そしてわたしの手は、鬼嶋の襟首を掴んでいた。
それはほとんど無意識の行動だった。
「何すんだコラ? オレは先輩だぞ!」
「頭が高いと申し訳ないんでねえ。先輩の頭の方を高くさせていただこうと思って」
両手に力を込め、鬼嶋を持ち上げる。
宙に浮いた足がバタバタと暴れる。
何度も蹴られるが、文字通り地に足がついていないのでまるで効きはしない。
「や、やめろっ! 離せっ! コラッ!」
「はいはい、仰せのとおりに」
ぱっと手を離すと、鬼嶋はようやく地についた足でたたらを踏んだ。
尻餅をつかなかったのは大したものだと褒めてやろう。
「げほっげほっ……、生意気な野郎だな! こんなダンジョンもどきにムキになりやがって!」
「もどきなもんか! キリ先輩が手塩にかけて作ったんだ。本物のダンジョンにだって負けない出来だよ」
本物ダンジョンなんてこれっぽっちも知らないが、こうなれば売り言葉に買い言葉だ。
頭にくると考える前に手も口も動く。わたしはそういう人間なのである。
「へえ、これが本物のダンジョンにも負けないとはねえ」
鬼嶋は馬鹿にしたようににやりと嗤った。
「じゃあ、練習とやらの成果を見てやるよ。本物のダンジョンでオレと勝負だ」
「ええ、受けて立ちますよ」
「ただ試合うだけじゃつまらねえ。負けた方は勝った方の言うことをなんでも聞く。いいな?」
「いいっすよ。鬼嶋先輩こそ、負けてから『聞くだけ』だったなんて小学生みたいな屁理屈言わないでくださいね」
鬼嶋のこめかみに一瞬血管が浮く。
だが、それはすぐに獰猛な笑みにかき消され、唇からのぞいた八重歯が牙のように光った。




