第1話
いのち短し潜れよ乙女 たかぶる血潮 さめぬ間に
――与謝野晶子
与謝野晶子がダンジョン道を創設して100年あまりの時が過ぎた。
オリンピック正式競技にも採用されたダンジョン道は、女子スポーツの花形としてますます隆盛を極めていた。
* * *
それは葉桜の緑も初々しい4月半ばの出来事だった。
わたし――火ノ坂朱莉は、私立桜吹雪高等学校の校舎裏に立っていた。
周囲の地面には、苦痛に呻く男子高校生が五人ばかり倒れている。
一見したところ、いずれも不良あるいはヤンキーと呼ばれる人種。
白目をむいたり泡を吹いたりしているが、手加減はしたので命に別状はないはずである。
よしんば何かあったとしても、不良に人権はないので問題は生じない。
そして、呆然と立ち尽くすひとりの男子高校生がいる。
こちらは不良でもヤンキーでもない。
線の細い長身。顎のラインがしゅっとしている。
眼鏡に透ける切れ長の瞳は、常ならば穏やかな知的輝きを湛えている――
――のだが、いまはなぜか瞳孔が小刻みに震え、視線が定まらない。なんで生まれたての子鹿みたいになってるんですかね?
そんな疑問はさておき。
わたしは血に濡れた両手を胸の前でもじもじと絡み合わせながら、ほっぺたを上気させ、しなやかな柳腰を軽くくねらせて、精一杯の上目遣いに振り絞った勇気をのせて、言った。言ったのだ。
「す、好きです! 入学したときから好きでした! 付き合ってください!!」
「ひっ、ひぃっ、たっ、助けて!」
男子高校生は悲鳴を上げて逃げ出した――
これが、わたしの身にたったいま起きた出来事である。
なんという理不尽。吊り橋効果とは嘘だったのか、危機的な状況に置かれた男女は高鳴る鼓動を恋と勘違いするのではなかったのか。
入学時から「いいな……」と想っていた男の子が、不良に絡まれているのを助けたのである。最初は陰から見守っていたのだが、不良が男の子の襟首を掴んだところでぷっちんキレてしまった。
手刀で襟を掴んだ手を落とし、返す弧拳で顎をかち上げ、次のひとりは回し蹴り。回転の余勢を活かして次に肘打ち。うろたえて一歩下がった次の前足を払って踏みつけ、最後のひとりは山突きで顔面とみぞおちに痛打を浴びせた。
かかった時間は五秒ジャスト。
このひと月あまり封印していた拳にしては、そこそこのキレだったのではなかろうか。
そんな勇姿も見せたところで、吊り橋効果に期待して流れで告白。
精一杯の乙女仕草をまぶしたので、つい先程の殺伐ぶりとは大いに落差があるはずだ。
男はギャップに弱い――これもインターネットの恋愛情報サイトから得た確実な知識である。
その結果が、あたふたと転げるように駆け、校舎の角に消えていく想い人の後ろ姿であるとは理不尽としか言いようがない。
地元で広まった悪評から逃げるように(というか実際に逃げたのだが)、寮付きの高校に入学し、暴力を封印して精一杯の乙女キャラを演じてきたのに、一切の目論見がおじゃんになった。きっと明日にも噂になっていることだろう。
こうなれば破れかぶれだ。
部活動ルートに行こう。
まだ入部先を決めていなかったのがここで役立つとは。
文化系はダメだ。自慢じゃないが、わたしは絵も描けなければ文章も苦手だ。
中学の読書感想文ではWikipediaをコピペしたら速攻でバレて先生にガンヅメされた。
なぜバレた。
いやちゃんと課題図書は読んだんだよ。
読んだけど感想文が書けなかっただけなんだ。
わたしの感じたパッションがとても文字などでは表せきれなかっただけなのだ。
音楽系もダメだ。
音痴なうえにリズム感もない。
よって合唱部、ダンス部、軽音楽部等も選択肢から除外される。
というわけで、部活動の選択は自然と運動系となる。
知的で儚げな文系タイプが第一志望のわたしだが、細マッチョならば体育会系でも否とは言わない。性格が暑苦しいのは苦手だが、男子の草食化が叫ばれる昨今、そんな時代錯誤はそれほどいないだろう。
というわけで、男女混交の部活を順番に巡っていくことにする。
――空手部にて。
「ど、道場破りかっ!? ひっ、あ、赤鬼!? い、命だけはご容赦を……」
「なにとぞ、なにとぞぉー!」
と、一同が土下座し……
――柔道部にて。
「俺に任せて逃げるんだ! ここは俺が食い止める!」
「先輩の犠牲は忘れません……!」
と、むくつけき大男が立ちはだかり……
――剣道部にて。
「やつを人間と思うなっ! やつの正体は埼玉の半グレや暴走族をたったひとりで壊滅させた赤鬼だ!」
「ち、血染めの赤鬼!? と、都市伝説じゃなかったのか!?」
と、槍衾の如く竹刀が迎え……
部室棟の廊下にバリケードが築かれ、もはや進行不能になった。
理不尽がすぎるだろ。
たしかに、わたしは中学時代にちょっとしたやんちゃをした。
といっても自分から仕掛けたわけではない。
きっかけは何だったかもう忘れてしまったが、いわゆる不良連中からやたらと絡まれるようになり、そのたびに正当防衛をしただけなのだ。
結果として、県内の不良グループは壊滅し、ケツモチのヤクザの事務所に殴り込んだりもすることになったのだが――どれも正当防衛だ。正当防衛ったら正当防衛だ。
にもかかわらず、人里に降りてきたヒグマ以上に恐れられ、「赤鬼」なる二つ名までつけられるとはなんたることか。
交番に落とし物を届けに行ったときなんか、お巡りさんがのけぞって冷や汗を垂らしていた。震える右手が拳銃のホルスターにかかっていたことは勘違いだと思いたい。
そんなわけで、じいちゃんに頼み込んで県外の寮付きの高校を選んだのである。
神奈川県の西寄りに位置するこの私立桜吹雪高校は、実家の道場まで電車を乗り継いで約4時間。本音を言えばもっと遠くにしたかったのだが、じいちゃんが「月に一度は道場に顔を出せ」と条件をつけたので、このあたりが限界だった。
それにしても、正体を表してから噂が浸透するのが早すぎるだろ……あ、まさか。
不意に湧き上がった不安が命じるまま、スクールバッグからスマホを取り出し、LINEのクラスグループチャットを開く。この30分ほど、誰も何も投稿していない。静寂だ。無だ。いつもは誰かが何かしら取るに足りない雑談をしているグループチャットなのに、である。
ちょっとメッセージを送信してみる。
「今日の数学の小テスト、マジ難しかった~」
反応無し。
「三角関数って人生の役に立つの?って感じだよねw」
反応無し。
「ねえ誰かいるー?」
反応無し。
めちゃくちゃにスタンプを連打して、グループチャットを退室した。
いや、退室の必要すらもなかったのだろう。
間違いなく、もうわたし抜きのグループチャットが出来上がっている。
デジタルネイティブの現代っ子はこんなときに関わりたくない相手をチャットから追い出したりはしない。刺激をするのも関わりだからだ。それを置き去りにしたまま、すっと別の世界に移るのである。そして大気を伝わり光ファイバーを駆け抜けた情報は、すでに全校生徒の知るところとなっているのだろう。
「ふふっ……」
思わず笑いが漏れる。
もちろん、自嘲である。自分を憐れんだのである。
クラスからは孤立し、部活にも入れない。
高校生活も残すところあと2年11ヵ月強。
華のぼっち生活確定だ! ひゃっはー! ぼっちは最高だぜー!!
「――――あの」
何か人の声が聞こえた。
「――あのう!」
女の子の声だ。
しかし、部活棟の廊下にそびえ立つバリケードの前に佇む赤鬼に話しかけるものなどいるはずがない。
孤独を恐れるわたしの心が生み出した幻聴だろう。
「あの! 聞こえますか! 部活! 探してるんですか!」
「えっ?」
幻聴じゃなかった。
目の前には、学校指定のジャージにショートカットの女の子が立っていた。
ボーイッシュな雰囲気で、溌剌とした瞳がなんとなくリスを連想させる。
目をゴシゴシとこするが、たしかにそこに立っていた。
どうやら幻覚ではないらしい。
「あの! よかったら! ダンジョン部! 入りませんか!」
「えっ」
も、もしかして、ぶ、部活の誘いってやつですかーっ!?
「もちろんです!! おなしゃす!!!!」
「ひえっ!?」
わたしの必死の大声に、小柄な身体がびくんと跳ねた。




