第9話 シヴァ国。
散々な船旅ののち、シヴァ国に入る。正確にはイング帝国領シヴァ帝国。
船なんかもう二度と乗らない、と心に誓うほど船酔いがひどかった。
私の夫になったローランドは、大地に降り立つと、ちゃんと副総督の顔になった。
晴れの日の少ない母国と比べるとすこし暑い。からりと晴れ渡った空はとても広く見える。船のついた港もそこから延びる街道も、きちんと整備され、まるで母国のようだ。船からはにぎやかに荷下ろしが始まっている。作業している人たちの髪色や皮膚の色が、異国に来たことを教えてくれる。倉庫街が並び、荷馬車が待機しているのも見える。
案内されたローランドの所有する大きな屋敷も、まんま母国様式で建てられており、開け放たれた窓から心地いい風が入ってくる。
「俺は領事館に顔を出してくる。くつろいでいてくれ。」
そう言って、ローランドが慌ただしく秘書官と出かけて行った。
荷物を積んだ馬車から、次々に荷物が運び込まれ、使用人が段取り良く片づけて行くのを、お茶を頂きながら眺める。
私は…未だかつてないほどの人数の使用人に囲まれている。ほとんどが現地の人。髪の色が黒っぽい人が多い。たまに金髪の子もいるが、ローランドが地元の雇用拡大のために積極的に地元の人を雇用していると聞いたので、ユーラシアン、と呼ばれる、イング人と現地人の混血の子供なのかもしれない。
「…みんな、イング語が上手ですね?」
お茶のお代わりを持ってきてくれた子にそう聞いてみると、金髪の女の子がにっこり笑って教えてくれた。皮膚の色はよく日に焼けたような褐色。
「旦那様が言葉とマナーの教師を雇ってくださいまして、一から教えていただけるんです。ここで仕事ができた者は、どこの屋敷に行っても優遇されるのです。この屋敷で働けるのは幸いです、奥様。」
…なるほどね。あいつもなかなかやるな。
久しぶりに揺れない床の上でのんびりとお茶を頂き、案内されるがままにお風呂に入り、香油を塗ってもらってマッサージをうけ…自分にあてがわれた部屋でゴロゴロした。
部屋の家具や調度品も、母国から運び込んだものなのか、同じ仕様でこちらで生産しているのか…そのまま母国での部屋とそう大差ない。入ってくる風が湿気が少なくさわやかな他は、今、どこだっけ?と思うくらいだ。
大きなベッドに、シヴァ風のベッドカバーがかかっている。それだって、イング国内でもここ何年の流行だったし。
ソファーのセット、中庭に向かったお茶用のテーブル。
控室かな、と覗いてみたら、隣は私用の執務室みたいだ。使い勝手のよさそうな執務机が用意されていた。私の持ってきた本や資料などが運び込まれている。
…働かせる気、満々だな?
私の部屋と同じような造りで中ドア一枚向こうはローランドの部屋。まあ、このドアのお世話になるようなことはない。
衣装室に何度も侍女が荷物を運び込んでいたが、私はゴロゴロしているうちに眠ってしまった。
「奥様?」
私付きの侍女と紹介されたハリカに揺り起こされたときは、陽が傾いていた。
驚いたことに、もう?まだ?夜の八時?明るいわよね??
「奥様、夕食のお着替えをいたしましょう」
いつの間に用意されたのか、シヴァ風の着やすそうなドレスが出されている。
ハリカにお任せして、着替えをし、不要だと言ったが笑って無視されて薄化粧までされた。
メインダイニングに降りていくと、いつ帰ってきたのか、ローランドがもう着席していた。後ろに秘書官が控えている。椅子を引いてもらって、私も座る。
「奥さん、長旅ご苦労様。」
「あら、旦那様、長旅もだけど、苦労したのはあんたにプロポーズされてからずっとよ。」
あはははっ、と、珍しく声をあげてローランドが笑う。こんな顔もするのね?シヴァの方が気候があっているのかしら?随分とリラックスしているように見える。
食事中も夫婦の会話、というよりは業務の説明があった。明日一日休んで、明後日から出勤になるらしい。
「明後日、シヴァの総督に挨拶に行ってから、仕事だ。期待している、奥さん。」
「はいはい。精いっぱい務めさせていただくわ。私の老後がかかっていますから。」
「そうだな」
食後は例によって、席を変えてから、ワインになった。本国から持ち込んでいるらしい。
シヴァで作られているワインもあるらしく、ぜひ飲んでみたい。長居するようなので、そのうち飲む機会はあるに違いない。
使用人を下がらせて、何時ものように二人で飲みだす。
「何か話があるんでしょう?」
「…ん。あのな…もし、アイリーンに情夫ができても構わない。なんなら、子供ができたらうちの子として育てるつもりだから。遠慮するな。」
「……」
あら、まあ…そんなこと?遠慮するなって言われてもなあ…。
そうねえ…この人は爵位持ちだから、跡取りは欲しいわよね…。この人とあの秘書官との間には子供は望めないだろうし…。