第4話 ジョセフィン。
「…アイリーン、大丈夫か?」
「…大丈夫なわけ…ないじゃない。バカなの?」
そう言ったきり、アイリーンは何も話さなくなった。彼女のトークハットのレースに隠された顔色は良くはわからないが。
先ほどから降り出したそぼ降る雨の中、教会の鐘の音が響く。
喪服姿のアイリーンの隣に立った俺にも、雨が降り注いでいる。
俺はシヴァ国の視察旅行を終えて、港に着いたばかりだった。
珍しく出迎えに来てくれた、かつての学友のブルーが、ジョセフィンが亡くなったことを知らせてくれた。
「出産時にな。子供もだめだったらしい。行ってやれよ。参っているぞ、あいつ。」
学生時代には一方的にアルフレットをライバル視してケンカを売ってはやんわりとかわされていたブルー。もちろんジョセフィンのことも知っている。俺たちが仲が良かったことも。
泣きそうな顔で、そう教えてくれた。
予定されていたヴィヴィアンヌ女王陛下への謁見を済ませ、アルフレットのサーウィン領に急ぐ。
葬式は終わっており、墓地でジョセフィンが横たわっているのであろう棺が掘った真新しい穴に降ろされているところだった。
すすり泣く声の中、花と土が棺に振りかけられる。
アルフレットの姿も見つけたが、とてもじゃないが…声は掛けれなかった。
離れたところから祈りをささげて…間違いなく来ているであろうアイリーンを探すと、墓地を守るように並ぶ木の陰に、その姿を見つけた。
雨が降っている。
二人で黙ったまま、家族に抱きかかえられるように連れられて行くアルフレットを見送った。
「送っていくよ。馬車を待たせてある」
手を差し伸べると、珍しく素直にアイリーンが黒い手袋をした手をのせてきた。
馬車に乗ってからも、彼女は一言も話さなかった。泣きもしなかった。ただぼーっと、流れていく車窓からの風景を眺めているようだった。
*****
ジョセフィンの葬儀から2年ほどたったころ、アルフレットから久しぶりに飲まないか、と、誘いを受けた。アイリーンも呼んでいるらしい。
俺は外務省に入り、シヴァ国担当部署に配属になって、毎日をあわただしく送っていた。
女王陛下はシヴァ国を王室直轄にすべく動いているところだった。あちこちで起きる内乱が多すぎて、今任せている管理組織では軍の出動に時間がかかるのと、組織内の不正が多く利益が阻害されている、あたりが主な原因だ。王室直轄の指導官と官僚を送り込む準備が進められていた。
訪ねて行くと、アルフレットの屋敷の彼の私室に通される。
仕事終わりでまっすぐに来たので、タイを緩める。何本かワインも買ってきた。
アイリーンは花を用意して来たらしく、メイドが大きな花瓶に飾っていた。真っ白なバラだった。
3人で酒を飲みながら、近況を語り合ったり、昔話をしたり…学生時代に返った様だった。いつもにこやかに微笑んで話を聞いていた人はいなかったが。
途中、思い出したようにアルフレットが、隣の部屋から風景画を一枚持ってきた。
「覚えているかい?夏の初めに4人でピクニックに行ったね。あの時ジョセが描いた絵だよ。アイリーン、君が持っていてくれないか?」
俺も覚えている。
木陰に敷いた敷物に寝転がりながら見た、初夏の透き通るような青空と、煌めいていた湖と、葉の色が濃くなった木々…4人でいろんなことを論じ合った。笑ったり、怒ったり…続くのかと思った。
今の今まで笑いながら昔話をしていたアイリーンが、静かに泣いていた。
つられるようにアルフレットが…こらえきれずに泣き出した。
こいつも…泣くに泣けなかったんだろう。そう思った。
グラスを傾けながら、二人が気が済むまで泣くのを待つことにした。
一番酒が弱いアルフレットが泣きながらソファーで寝てしまった。
鼻の先を真っ赤にしたアイリーンが、毛布を引っ張り出してきて、アルフレットにかけた。
「…お前、好きだったんだろう?」
「え?ああ…好き、というより、愛していたかなあ。この世で私のことを理解してくれるのはこの人しかいない、って思っていたから。」
ん、とアイリーンが空になったグラスを差し出してくるので、赤ワインを注ぐ。
「あの子はね…私にとっては特別な子だった。家に何度も呼ばれたけどね、家族に愛されて、すくすく育って、疑うことも羨むこともなく…このまま、愛する王子様と幸せな結婚をして、子供をたくさん産んで、かわいい子供たちに囲まれて、幸せな余生を送るはずだった。私の考え得るすべての幸せを詰め込んだような…」
「……」
「いつか言っていたのよ。私の子供は私が教育するから、偏見も女性蔑視なんて言葉も知らないくらい、フラットな人間になるわよ。待ってって。アイリーンの力になるから、って…私は私の方法でこの国を変えていくからね、って。」
「……」
「強い人でしょう?あんなに強い人はいないわ。多分…これからも…」
「……」
「私は、あまり家族に恵まれなかったから。ジョセは…ジョセの生き方自体?あの子の環境も、来るだろう未来も含めて…あこがれだった。本当に愛していた。できれば、あの子の子供に生まれたいと望むくらいにね。」
そう言うとアイリーンは、テーブルに立てかけたジョセの描いた風景画を眺めて、薄っすらと笑っている。いつも…こいつはこうして、彼女を眩しそうに眺めていたな…そんなことを思った。