第14話 アニル。
「リシュはどう思う?」
旦那様と奥様は、先ほどから御長男、アニル様の進路について、何時ものように激論を交わしていた。
ワインとつまみをいくつか用意して、退室しようとしたら、奥様に呼び止められた。
旦那様は私と同じように、シヴァの大学まで進んでから、イングの大学院に通わせるべきだと。
「あいつにシヴァの良いところも悪いところも良く見聞きしてから、本国と比較させて、問題点を再考するのがいい。」
まあ。それもそうでございますね。
「あら。シヴァにいるうちはどこに行っても、あの子は一人の少年である前に、シヴァ帝国総督の息子よ。ためにならないわ。いっそ身分を隠して本国のサウス校に入れたいの。総督の息子の友人、ではなくて、アニル自身の友人を作る機会を与えたいのよ。ここにいたら、恋もできないじゃない。」
まあ。奥様のおっしゃることもよくわかります。
お二方の言い合いにも聞こえる、議論、を聞きながら、うんうんとうなずいていると、いきなり話を振られた。
「リシュはどう思う?」
…どう思うかと言われても…。
「正直に言っていいわ。」
「そうだ。意見を聞かせてくれないか。」
この二人は…変なところは息ぴったりだ。
お二人にキラキラした目で見つめられる…。
「そうですね…正直なところ…お坊ちゃまはこの国にいる限りは、少し日に焼けた白人、くらいに見えるかもしれませんが、イング国に行くと、シヴァ人とみられるでしょう。皮膚の色が、まったく違いますから。」
「……」
「私は何度か行き来する機会がありましたので知ってはいましたが、お店などは有色人は一人では入れないところもあります。シヴァの上流階級の子供がたくさん留学するようになりましたが、出来がよかったりすると面白くないと思うイング人も間々います。安全を考えるなら、大学院からがいいと思います。ただ…。」
「…なに?」
「ただ…どうもお坊ちゃまには、この国は狭すぎるようです。あ、面積ではないですよ?」
「あら。リシュでも冗談は言うのね。ふふっ。よくわかったわ。じゃ、リスクを承知の上ならいいわけね。」
奥様がうんうんとうなずきながらこともなげに言うと、旦那様が眉間にしわを寄せながら低い声で唸った。
「おい。」
「なに?親としてはいつまでも守ってあげたいと思うわよ。でも、あの子の人生よ。それに…あなたがいつまでもシヴァの総督でいる保証もないわよね?そうしたら、イングに帰ることになるでしょう?」
「まあ…そうだな。」
「その時に、あの子が井の中の蛙では困ると思わないの?」
「…まあ、そうだな。あいつに直接聞いてみよう。」
「それもそうね。」
盛り上がった議論のわりにあっけない幕引き?
お二人が飲み始めたので、そっと部屋を出る。
いつも思う。このお二人は本当に不思議だ。
子供たちの良き親であり、お互いを信頼しあっている。相談し、意見を交わし、時には大激論しながら…こうして時折、酒を酌み交わしている。
ふふっ。
*****
アニル様はサウス校に入学を決めた。
奥様はシヴァの北部の新しい工業科学系の大学の新設に忙しく、旦那様は北の大国が隣国、華国に侵攻しようとしている情報を得て、それを阻止するべく華国に出向いている。お二人に頼まれて、私がイング国までアニル様をお送りするよう申し付かった。この度もイング国での後見人はアルフレット様が申し出て下さっている。
長い船旅になる。
「部屋に戻りましょう、お坊ちゃま。」
甲板に出て先ほどから海を眺めているお坊ちゃまに声をかける。
もうとうに、シヴァの大地は見えない。広がるのは海だけ。深いブルーだ。
「ねえ、リシュ。君はユーラシアンなんでしょう?」
振り返らず、海を眺めたまま、アニル様がぽつりと言った。
「え?はい。そうですよ。父親がイング人だったそうです。顔も知りませんが。」
「僕は…僕は何者なんだろう?」
「え?」
「お父様に聞いても、お母様に聞いても、自分たちの子供だ、としか言わないんだ。僕は、ユーラシアンだろう?さすがに気が付くよ。肌の色が違うから。お父様がほかの人に産ませた子供なのかな?」
「…いえ。違いますよ。」
「じゃあ、お母様が?」
「違います。」
「じゃあ…僕は、いったい何者なんだい?」
振り返ったアニル様の瞳が、まっすぐに私を見ている。
まだ15歳だが、賢くお育ちになった。褐色の肌に黒髪、深いブルーの瞳。この広い海のようだ。
「お坊ちゃまは、間違いなく、あのお二人の子供ですよ。この私が一番よく存じ上げております。お坊ちゃまがお生まれになる前、奥様は産着を縫っておられました。何でもできそうな方ですが、意外と不器用で、ハリカが呆れておりました。ふふっ。」
「……」
「お名前を付けたのは旦那様です。アニル、風のように自由に、と。胸をお張りなさい。ご両親があのお二人で何かご不満ですか?」
「リシュ?」
「愛されてお育ちになったでしょう?ご両親も、私も、ハリカも、使用人のみんなもあなたを愛しておりますよ。」
「……」
「それでも、どうしても、本当のご両親のことが知りたいのであれば、アニル様が18歳になったらお教えするように、お二人にお願いしておきますから。」
「…わかった。ありがとう、リシュ。」
お坊ちゃまの背中にそっと手を当てて、船室に向かう。




