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閑話 ノルノーラの悪夢

 わたしの名前はノルノーラ・トルサード。

 一年前から、亡き父に代わりトルサード領を任されている新米領主だ。


 父の遺した多大な借金の為にいつ爵位を剥奪されて奴隷に落とされるかも分からない木っ端貴族だけれど、十歳の時に神様から授かった錬金術士というジョブのおかげでどうにか今日(こんにち)まで持ち堪えている。


 その支えとなっている領主館の工房も、錬金術の師も、他ならぬ父が一人娘であるわたしの為に用意したものだというのは皮肉なことだろう。


 寝る間も惜しんでマナポーションを作っては、御用商人に卸す日々。

 そうしなければ家を守れないから、そう自分に言い聞かせてわたしは辛い現実から逃げ続けていた。



 わたしには一人だけ親友がいた。

 彼女の名前はサウスモニカ・ファランドール。

 わたしと彼女の出会いは、十五歳の時まで遡る。


 王立学園に入学した当時、わたしは初めての学生生活に四苦八苦していた。

 人見知りで引っ込み思案な性格が足を引っ張って、上級生から差し出される助けの手も上手く取ることが出来ずに学園内で孤立していたのだ。


 本来であれば、寄親のリヴァーレ公爵家に連なる西方貴族のグループに入れて貰うのが筋なのだろう。

 しかしタイミングの悪いことに、わたしの同年代は男子生徒しかいなかった。


 寮に帰ればメイアがいたから辛くはなかったけれど、少し寂しさは感じていた。

 そんな時に現れたのが、サウスモニカ様だ。


 学園内の廊下でわたしが顔見知りのリーロン・デジールに嫌がらせを受けていたのを助けて貰ったのがきっかけで、わたしは彼女と仲良くなった。


 派閥の違いもあって学園内でともに行動することはなかったものの、サウスモニカ様は夜になるたびに学生寮のわたしの部屋に訪ねてくるようになった。

 チビで無口なわたしのどこを気に入ったのかは、よく分からない。


 王太子の婚約者として、女生徒に囲まれて華やかな学生生活を送っているサウスモニカ様とただの田舎者が友達になれるなんてとても幸運なことだと思った。


 サウスモニカ様はわたしに沢山のことを話してくれた。

 それは学園内で上手く立ち回る方法であったり、彼女が過ごしたファランドール領の話だったり、過去に恋した相手の話だったりした。


 二人だけの秘密よ、と言われて大きな鳥に変身したサウスモニカ様と夜の空を旅したことさえあった。

 きっとそれは、母の訃報を受けて落ち込んだわたしを励ます為だったのだろう。


 それがサウスモニカ様の破滅に繋がるなんて、あの頃は考えもしなかった。

 わたしは自分の弱さにも気付かず、彼女の秘密を抱え過ぎてしまった。

 だからこれは、赦されざる罪を犯したわたしへの罰なのだろう。





 目を開けると、わたしは広い執務室に立っていた。

 ここは王立学園の学園長室。


 サウスモニカ様が王太子の不興を買って奴隷刑に処されたことを知ってから頻繁に見るようになった、悪夢の始まりの場所。


「授業中に呼び出して済まないね、ノルノーラ・トルサード君。心苦しいが、どうしても君に伝えなければならないことがあるんだ」


 執務机を挟んで向かいに座っている痩せぎすな老齢の男性は、だんまりを決め込んだわたしに構わず言葉を繋いだ。


「君の父――ジルベール・トルサード男爵が亡くなったと連絡があった。鉱山を視察中の事故だそうだ。トルサード男爵家の第一継承権を持つ者として、君はこれより王宮に向かい叙任を受けなければならない」


 わたしの表情を窺った学園長は、沈痛な面持ちを浮かべた。

 この時のわたしは、突然の父の訃報に大きなショックを受けていたから。


 夢だと理解して冷静に受け止めている心の中とは裏腹に、自由にならないわたしの身体は頬から伝った涙を何度もブレザーの袖で拭い取っていた。


「立て続けに親族を失って辛い気持ちはよく分かる。ノルノーラ君、心を強く持ちなさい。これからは寄親のリヴァーレ公を父母と仰ぎ、困ったことがあれば頼るんだ。いいね?」


 学園長が話を終えた途端、周囲の光景は豪華な大広間に切り替わった。



 王宮に存在する謁見の間。

 玉座の前に一人(かしず)くわたしに、王冠を被った壮年の男性が語り掛ける。


「セントフリード・ララライの名の下に、ノルノーラ・トルサードを男爵に任ずる」


 玉座から立ち上がったセントフリード様は、宰相のサウスパパス様から受け取った儀礼剣を、(かしず)いたままぴくりとも動けないわたしの肩にそっと当てた。


 粛々と儀式を受けるわたしをじっと見つめるサウスパパス様。

 感情の乗らない能面のような表情とその暗い瞳がわたしを責めているかのようで、胸の奥がじくじくと痛む。


 夢の中でいくら謝っても意味はないのに。

 わたしは何度も何度も、心の中で謝罪の言葉を口にしていた。



 再び場面は切り替わる。



 そこは色とりどりの華やかな庭木に囲まれた庭園。

 わたしは離宮の中庭でガーデンチェアに座り、目の前に置かれた湯気の立つティーカップを見つめていた。


「どうかしましたか、ノルノーラ様。紅茶が冷めてしまいますよ」


 美しいドレスで着飾った赤毛の婦人の声が、わたしの蚤の心臓を縛り上げる。 

 叙任式を終えたわたしは、王宮の廊下で第二王妃のノースラウラ様に捕まった。

 わたしは立場上断ることが出来ず、このような事態に陥っていた。


 きっと彼女は、最初からわたしのことを狙っていたのだと思う。

 そうでなければ、このような恐ろしい体験を忘れられるわけがない。


 ……本当は分かっている。

 この記憶に蓋をしたのはわたし自身だということくらい。

 でも認めたら、彼女に拒絶されたらと思うと、怖くて切り出せなかった。


「さあ、お飲みなさい」


 操られるようにゆっくりと伸びた震える手が、ティーカップを掴んだ。

 紅茶とは名ばかりの、心を蝕む錬金薬がわたしの口に含まれる。

 白砂糖の甘さの中に巧妙に隠された、独特のケミカルな風味。


 わたしは師であるモリー様から教わって、この味のことを知っていた。

 だから不敬であろうと何だろうと、吐き出してしまえばそれでよかった。

 なのに、なのにわたしは命惜しさにその毒を飲み込んでしまった。


 わたしを見つめるノースラウラ様の姿がぐにゃぐにゃと歪んでいく。

 認知の狂ったマーブル模様の世界に、悪魔の囁く声が響く。


「小さな小さなノルノーラ、サウスモニカの秘密を話すのです」


 嫌だ。

 

「サウスモニカ様の……本当のジョブは……」


 嫌だ嫌だ嫌だ。


「詐欺――」


 わたしが目覚めの鍵を開こうとしたその時。

 ぱりん、とガラスの割れるような音を立てて夢の世界が壊れた。

 真っ暗な闇の中から現れたのは、この場にいるはずのない第三の人物。


「おーほっほっほ! わたくし登場ですわ!」

「サウスモニカ、さま……」


 そこに立っていたのは、わたしのよく知るサウスモニカ様ではなかった。

 彼女は身動きの取りやすそうなシンプルなドレスに身を包み、その首には永年奴隷の証である複雑に絡み合った特有の奴隷紋が浮かんでいる。


「ノルノーラ、二人きりの時はモニカちゃんとお呼びなさいと普段から言っているではありませんか!」

「でも、だって……」

「だってではありません! まったく、わたくしが見ていないといつもこうなんですから……」


 ブツブツと文句を口にしながらしゃがみ込んだサウスモニカ様は、小さく縮こまるわたしの身体をぎゅっと抱き締めた。


「ごめんなさい、モニカちゃん……」

「よく出来ました。いい子いい子してあげますわ」


 彼女に優しく頭を撫でられただけで、わたしの心は舞い上がってしまっていた。

 例え夢の中であっても、絶対に赦されないはずなのに。


「それはそうと、これは秘密をバラした罰ですからね?」

「え……?」


 わたしを抱き締める力がどんどん強くなっていく。

 メキメキと音を立てて、身体中の骨が悲鳴を上げる。


「痛い、痛いよモニカちゃん……」

「地獄で反省なさい!」


 そして、わたしは悪夢から目覚めた。





 なぜだろう、まるで雷魔法を受けたかのように動けない。

 わたしはカーテンの隙間から差し込む朝日を頼りに、現状を把握しようと顔を横に向けた。


「むにゃむにゃ……反省なさい……」


 わたしを抱きまくらのように両手両足でがっしりと拘束してブツブツと寝言を言っているのは、パジャマ姿のサウスモニカ様だった。

 道理で全身がギシギシと痛むわけだ。


「そうだ、わたし……」


 久方ぶりにスッキリとした頭に浮かび上がったのは、昼間にわたしの工房を訪ねてきたサウスモニカ様の記憶だった。

 あの後、泣き疲れたわたしはそのまま眠ってしまったのだろうか。


 夕飯を抜いたにしては、ものすごくお腹が空いている。

 お腹と背中がくっついてしまいそうだ。


「んん……あら、ノルノーラ。おはようございます」


 相変わらず身動きも取れない状態で空腹に耐えていると、ぱちりと目を開けたサウスモニカ様と視線が合った。


「おはよう、ございます……」

「ちょっとだけ添い寝をするつもりが、一緒に眠ってしまいましたわ。やっぱり冒険の疲れが残っていましたのね」


 サウスモニカ様はわたしを解放すると、起き上がってぐーんと伸びをした。

 それから、遅れて起き上がったわたしの手を取って語り掛ける。


「ノルノーラ、あなた丸二日も眠っていましたのよ。いくらお金が足りないといっても、無理をするのはいけませんわ」

「うん……」


 どうやら二日も眠っていたらしい。

 お腹が減るのも当然だ。


 と、そこでわたしはマナポーションの調合を途中で放り出してしまったことを思い出して青ざめた。


「あ、ポーション……」


 納期もそうだけれど、材料を台無しにしてしまったことをモリー様に知られたら二度とマナマッシュルームを譲って貰えなくなるかもしれない。


「それはわたくしとサブローの方で片付けておきました。御用商人も完璧な仕上がりとおっしゃっておりましたことよ。わたくしは自分の才能が恐ろしいですわ」


 サウスモニカ様の言葉に、わたしはホッとして胸を撫でおろした。

 サブロー……そういえば、冒険者っぽい男の人が一緒に居たような気がする。

 それに、どこかでその名前を聞いたことがあるような。


「もしかして、1000万イェンの人……?」

「その人ですわ。そうそう、聞いてくださいノルノーラ。わたくしは昨日、彼と二人でカイデン鉱山のエルダーリッチを退治してきましたのよ!」


 自慢気な笑みを浮かべたサウスモニカ様がわたしに渡してきたのは、古ぼけた雫型のペンダントだった。

 見覚えのあるそれは、亡き父が肌身離さず身に着けていた最愛の妻からの贈り物。


「あ……」


 手のひらの上に乗ったペンダントを見つめていると、自然に涙が零れ落ちてきた。

 これではまた泣き虫だって言われてしまう。


「わたし、絶対お返しするから……だから……」

「気にせずとも良いですわ。わたくし達は親友ではありませんか」

「そうじゃ、なくて……」

「大変なことはありましたけれど、わたくし達は生きておりますもの」


 サウスモニカ様は窓際まで行って、閉め切られたカーテンを勢いよく開いた。

 部屋に差し込んだ日光を受けたわたしは眩しさに目を細める。


「これからはもっともっと、楽しい人生が待っているに違いありませんわ。ですからノルノーラ、あなたも前を向いて」


 逆光を背に微笑むサウスモニカ様は、まるで絵物語で見た聖女様のようだった。

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