その転生者は幸せな夢をみる
『その転生者は監視されている』と同じ世界なので、そちらも併せて読むとより楽しめると思います!
「はぁ……本っ当に夢の無い世界だ」
連日の睡眠不足と過労から目の下には深い隈が刻まれ、背中の真ん中まである長い髪は今や手入れが行き届かずボサボサになっている。視界がぼやけてきたため白衣の胸ポケットにしまっていた野暮ったい眼鏡を掛け長い廊下を進むと、対面から見知った顔がこちらに手を振りながら歩いてきた。
「よーお疲れー……ってお前すげー辛気臭い顔してんな。いやでもさあ確かに毎日世知辛いけど夢が無いなんてそんなこと今更だろ? ああ、でもまぁ、もっといい暮らししたいもんだよな、うんうん。あ、そうだ今日は時間あるし一杯どうよ。ヤなことは飲んで忘れようぜ」
どうやら先ほどの私の独り言が聞こえていたようだ。気を利かせた同僚からの飲みの誘いは普段ならありがたいことだが、生憎それすらも今の私にはお世辞にも乗り気にはなれなかった。
「あー、悪いけど今日は遠慮しておこうかな。ちょっと――いや、なんだか気分が良くなくてね」
「えぇ、大丈夫かよ……ってああ、そっか」
今日はあれがあったのか。なんて神妙な面持ちで言う同僚に深いため息をつきながら首肯する。こういう時だけは察しの良い彼は私を慮り「疲れたなら今日は早く寝ろよなー」と軽く肩を叩いて足早に去っていった。その気遣いに感謝し早めに帰宅しようとした私はふと足を止めた。
(――そうだ)
帰る前にもう一度だけ寄っていこうか。そう思った私は迷路のように入り組んだ廊下の端の端、おおよそ誰も来ないような場所にある厳重に閉ざされた扉に手を掛ける。
(ああ、)
「もっと幸せな世界だったら良かったのに」
***
「リリアーヌ・ド・アルベール、貴様との婚約を破棄し国外追放とする!」
その日、私は転生者になった。
王太子の冷たい声が広間に響いた瞬間、頭の中に激しい痛みが走り、次の瞬間には大量の記憶がなだれ込んできた。周囲を取り囲む貴族たちが固唾を飲んで見守る中、白い大理石の床の上に一人佇む私はドレスの裾を握りしめ、震える手を隠すように頭を垂れていた。
(は? え? どういうこと? ここどこ? 何が起きたの!?)
目が覚めたと思ったら突然見ず知らずの場所で違う人間になっていた私の混乱は大きく、声を出すこともままならない。そして徐々に人格が転生者である私のものに塗り替えられると同時に、消えゆく元の人格――リリアーヌの声が頭に響いた。
『今までの罪を償って、誰かを救えるような人間になりたい』
沢山の謝罪と共に押し殺すような声で語られた言葉。これがリリアーヌの――この体の元の持ち主の願いなのだと私は感覚的に理解した。そしてそれとともに彼女としての今までの数々の非道な行動の記憶とそれを酷く後悔する気持ちが一気に私の中に押し寄せてきたが、彼女のやらかしの内容は想像を絶するもので心の中で頭を抱えてしまった。
(うわあ……えええ!? なんでこんなことをしちゃったのリリアーヌ……こんなの絶対許されることはないと思うけれど、でも、今は私がリリアーヌなんだからどうにかしないと! うん!)
「何か弁明はあるか」
ずっと黙り込む私に対し王太子は問いを投げかける。断罪の場で取り囲む貴族たちは、私が何か言うのを待っている。一度息を整え、私は覚悟を決めゆっくりと顔を上げて王太子の目を見た。そして、
「申し訳ありませんでしたっ!」
彼に向かって深く頭を下げた。その行動に場内はざわめき始める。私が断罪の場で自分の非を認めるとは誰も想像していなかったのだろう。そのまま謝罪の言葉を続ければ周囲のざわめきは大きくなるばかりだ。
「わたくしはどのような罰を受けても構いません。すべての罪を償う覚悟はできていますわ」
周囲からのその冷たい視線には、これまでのリリアーヌの残酷な行動への怒りが込められている。許されるなんて思っていない。だからこそ私は腹をくくることにしたのだ。そんな私の態度の変化に王太子は目を見張っていた。
「本当に罪を償うつもりならば、行動で示すことだな」
王太子との婚約はそのまま破棄されたものの、これまでの行いを悔い改め皆のために尽力することを条件にその他の処罰を保留にされた私は、かけられた情けに答えるように積極的に慈善活動に取り組むようになった。貧困地域への支援に出向き、炊き出しや生活の支援を行ったり、前世で学んだ知識を使って農業などを教えたり、時には魔術で土木作業を手伝ったこともあった。
かつての私はとある世界の日本という国で生きていた。環境には恵まれていたのだろうがその人生はまるで平穏ではなかったし、何をしても全然うまくいかなかったし、もがいているうちにいつの間にか終わってしまった生涯に未練は山のようにいっぱいあった。だからこそ別の世界だけど人生をやり直せるチャンスが与えられたことはまたとない幸運だった。
(もちろん、この体をくれたリリアーヌの願いもちゃんと叶えなくちゃね!)
新しい人生という宝物をくれた恩人が残したたった一つの願いだ。絶対に叶えなければと心に決めた。
ある日、国境での災害の救助に向かった私は怪我人を救護していた。なんとそこで私には『対象の生命力を一時的に大きく向上させる』という強力な能力があることが判明した。
(この力があればもっと人を助けられるかもしれない……!)
それからは振り返る間もなく一心不乱に各地の診療所などを駆け回り、たくさんの病人や怪我人を死の淵から救い上げた。きっとこれが私の使命だと信じて。
――
元の私は冷酷で横暴な性格だったようで、何をしても最初は誰も私を信じようとしなかったが、懸命に行動を重ねたおかげか次第に周囲も心を許してくれた。王太子もそんな私の変化を疑い深く観察していたが、やがて本気を認めざるを得なくなったようで、「あれ程の悪女であったお前がこれほどまでに変わるとはな」と、労いの言葉を掛けてくれた。その言葉を聞いた私は、きっと元の私もきっと喜んでくれただろうと思い涙を浮かべた。
「殿下、あの場でやり直す機会を与えてくださってありがとうございます。わたくしはこれからも皆のために力を尽くしてまいりますわ」
私の言葉に王太子は満足げに微笑んでいた。
その後、私は王族と協力して国全体の福祉向上に注力することになった。その献身は次第に人々に評価され、私はかつて断罪された残酷な令嬢ではなく皆を癒す聖女として、王太子の側近となり今後の国を支える重要な存在となったのだ。
城のバルコニーから見る城下は夕日に照らされ美しく輝いている。今はもうあの断罪から数年経っていた。私は新しい婚約者にも恵まれ近々婚姻の議を済ませる予定だ。まだまだやることは盛り沢山だが、前向きに生きていこうと思う。きっと明日もよい日になるだろう。
(ああ、なんて幸せなんだろう――あら、)
ふわりと柔らかな風が吹いた。誰かが優しく髪を撫でてくれたような気がした。
***
幾重にも魔術による封印が掛けられた部屋の中、目の前の簡易的なベッドには可憐な少女が横たわっている。この少女の名はリリアーヌ・ド・アルベール。かつてこの国の王太子の婚約者であった侯爵令嬢で、転生者だ――私と同じ。
美しかっただろう長い髪は所々切れてしまっていて、顔や手には痣や擦り傷が無数に付いている。おそらく、抵抗した際に傷になってしまったのだろう。
「相当辛かったでしょう、可哀想に」
彼女がどうしてそうなったのか話は聞いている。王太子から婚約破棄されたものの立ち直り聖女としての力が見いだされ活躍し始めた矢先に何者かによる密告により転生者であることが判明。彼女はその力が民に重宝されていたにも関わらず、転生者と判明した途端に罪人のように国に捕らえられ危うく処刑されるところだった。
武装した騎士たちに乱暴に取り押さえられ弁明の機会もなく牢に投げ込まれてしまった彼女はこれまでの努力や献身はなかったことにされてしまったという。転生した彼女が善良な人柄だったことは誰が見ても明らかだったが、我が身可愛さに誰もかれも、娘を溺愛していた親すらもあっさりと彼女を見捨ててしまった。私があの手この手で王族を口車に乗せなんとか身柄を引き取らなければ今頃命はなかったのだ。
(……生き延びたその代わり、魔術でずっと眠らされているのだけれどね)
大きなため息をつけば浅く腰かけた簡素な椅子が軋んだ。
転生者症候群。急に性格が変わり自分を転生者だと思い込む流行病。それは極度のストレスから発症すると最近の調査により判明している――ということにされている。そうして病人とされてしまった転生者たちは周囲に害をなさぬように速やかに排除される……我々が住んでいるこの国ではそういう法ができてしまったのだ。実際は転生自体が病でも何でもないため治療法など何もない、ただただ転生者を迫害するためだけの法だ。
きっかけはとある転生者だった。この国の辺境に転生したその人物は自分を『世界に選ばれた主人公』だと疑わず、幸か不幸かよりによって『対象を洗脳する』力を得てしまった。そしてその力で成り上がり、気に入らない人間を陥れ、見目麗しい者を侍らせ、大量の贅沢品を貢がせるなどして一地方を大いに混乱させたのだ。ただ詰めが甘かったようで最終的には杜撰に扱った民から恨みを買い、取り巻き諸共殺害されてしまったらしいが。そしてこの騒ぎを目の当たりにした王族や貴族たちから『転生者を排除すべき』という声が上がったのだ。
それはさすがに早計過ぎだという冷静な意見によりその場は収まったものの、ほとぼりの冷めぬ間にそれを後押しする事件が起こってしまった。生き物を殺せば殺すほど、物を壊せば壊すほど際限なく強くなるという力を得た転生者の少年が、その力を悪用し虐殺や破壊行動を始めたのだ。戯れに我が国を含む複数の国に多大なる被害を出した彼は、天災として人々に恐れられた。それはもちろん、この国の王族も例外ではない。
(ああでもそいつは『魔王の討伐』に向かったきり行方不明なんだっけ)
魔王に殺されたか、道中で何かあったか。もうこの世にいないにせよそれまでの彼の行動はこの国の有り様を変えるには十分であった。転生者による度重なる悪行を酷く恐れ、困りに困った国がとった最善策が転生者を流行病として扱い排除するそれだった。
この世界は時折現れる転生者の強力な能力を利用することで発展してきたという一面もある。そのためほとんどの国はやらかす転生者には困らされているものの、問題を起こさない転生者とはうまく共生する道を選んでいる。
しかしこの国は違った。転生者のメリットを捨てる代わりにデメリットをなくそうとした。つまり使役すれば極めて役に立つがたまに人間に危害を与えることもある生き物がいたとして、臆病な王族はそれを絶滅させる道を選んだのだ。人間は手に入れることよりも失うことをより大きく感じる生き物だというし、自らの安寧を守りたいといった心理もあったのだろう。
小国であるこの国で転生者が見つかるのは数年に一人程度だ。法が制定されてからは元から暮らしていた転生者の大半が迫害を受け良くて国外逃亡、最悪の場合発覚したその場で周囲の者たちに殺害されてしまうこともあったらしい。
(まったく、恐ろしい話だよ)
もしかしたら自分もそうなっていたかもしれないなんて思ったらそう気分良くもいられないだろう。先ほどの同僚には申し訳ないが今は酒なんて飲む気にもなれなかった。
私にも実際に異世界で生きていた前世の記憶がある。『病からきた嘘の記憶』だと決めつけられてしまうのかもしれないが、私にとってはこれも一つの記憶なのだ。偶然にも元の人格と転生してきた私の人格は瓜二つだった。そのため周囲は変化に気がつくことなく、私が自分から言うこともなかったため、私が転生者であることは誰にも知られてはいない。運が良かった。
転生者故の前世の知識や手に入れた能力は役に立ち、おかげで大した家柄でもない一介の貴族令嬢だった私だが望み通り国属の魔術医師としてそれなりに高い地位に若くしてつくことができた。加えて周囲には努力だけで得たものだと思われているのは幸運だった……本当に幸運だったのか。
(『一度記憶したものは絶対に忘れない』なんて力、正直辛いことの方が多いと思うのだけどね)
勉学や社交の場ではありがたいものだったが、酷い陰口や病の苦しみや誰かの絶望の表情や苦痛に呻く声など、忘れたくても忘れられない。ふとした瞬間に鮮明に思い出してしまうのだ。ついでに見たもの聞いたこと触れた感覚、食べたものの味までも記憶しているせいで変な虫を触ったり腐ったものを食べてしまったりしたことなんてのも――
「あー、やだやだ」
気を反らすために傍らの机に乱雑に投げた報告書を手に取る。その内容は『転生者の力の利用法について』。この少女は名目上、研究目的で保護している。浅ましくも王族は転生者を迫害する癖にその力だけを利用できないかと考えているようで、今日は実験から得られた結果を奴らに報告してきたのだ。ちなみにこの保護の条件として彼女は自ら行動をしないようにずっと私に眠らされている。
(ま、今日話した内容はほとんどダミーなんだけどさ)
元より人間を眠らせ続けるなんて私にしか扱えない術だし、この部屋は私以外入れないようにしてある。検証のしようもないため何を言おうがどうせ真偽は誰もわかりはしない。向こうは向こうで自分たちに都合のいい結果を求めているのだし、こちらとしても彼女の身を守るために都合よく利用してもいいだろう。ボロが出ないように細心の注意を払う必要があるのは骨が折れるが。この対応で数日間ほぼ不眠不休だったし、転生者を都合のよい道具のように扱う王族たちは不愉快でたまらなかった。
(本心では早く処刑してしまいたいのだろうね。おぞましいものだ。まあ私も私で、転生者を眠らせて人体実験をするマッドサイエンティストみたいだけどな)
実際はバイタルの確認と維持くらいしかしてないが、はたから見たらどう思われているのか。とはいえ私にはほかの功績も数多くあるためか国には重宝されており、今のところ待遇もよく信用もされているようだが。
(前世も酷いものだったけれど、まさか異世界転生した先のほうがろくでもない世界だとは思わなかったなあ)
他国ならこんなことはないだろうと国を出る覚悟はしているが、それがまだできないのは未だに幸福な未来を夢見てしまっているからだろうか。物語の異世界転生のように恵まれた力を持って努力すれば最終的に上手くいき皆に愛され楽しく生きる素晴らしい結末を。
(私にそれこそ勇者みたいな力があったら良かったのだけどね)
転生者というだけで至って善良な人間までも排除するこの国をその力を以って正すことができたのならなんて幸福なのだろうか。だけどそんな夢のような話はここにはない。
(勇者といえば……国外逃亡した転生者が何かしでかすつもりらしいと風の噂で聞いているけれど……)
王族を倒し革命を起こそうとしているのだろうか。成功すればよいのだが、もし失敗すれば転生者に対する風当たりは格段に強くなる。それをわかっての計画的な行動か、それともヒーロー気取りの無鉄砲か。後者であれば迷惑極まりないが、どちらにせよいずれまたこの国に現れるだろう転生者を守るためにも私はまだ出ていくわけにはいかない。
(そういえば、)
最近、『どうしようもなくなった転生者』が次々と消えている、消されているという話を耳にしたが、もしかしたら私やこの子もいつか消えるのだろうか。
(どうだろな。ある意味どうしようもなくなったともいえるからなあ……でもま、その時はその時だ。もっと平和な場所に生まれたかったものだからね。私も、この子も)
眠り続ける少女を見る。辛い現実から逃れて死ぬまで二度と目覚めないのは幸せなのか不幸せなのか。それは私にはわからない。もちろん術を解けば目を覚ますこともできるが、そうしたところでもうこの国で普通に生きることは不可能なのだ。かといって私に国や法を変えるだけの力はないし、与えられてもいない。どうにか国外に逃してあげることはできるかもしれないが貴族として暮らしてきた彼女がそこから一人で生き延びられるのだろうか。
何のためにこんなことをしているのだろうかと漠然と思う。私も元の私も『目の前で苦しむ人を救いたかった』のだ。その結果はこの通りだ。でも、
(少なくとも……できるだけ苦しまないようにしてあげられるだけ私の存在にも意義があるのかもしれない)
この国に転生者にとっての安息はない。大量の魔術結界に守られたこの部屋はともかく、ここから一歩でも出ればたとえ一人でいる時でさえも油断は文字通りの命取りだ。気付かれてはいけない。今までも、そしてこれからも。
「……いい加減帰りますか」
椅子から立ち上がりそっと少女の顔を覗き見れば、その表情は不思議と少しだけ笑ってるように見えた。
(ふふ、どんな夢を見ているのだろう)
いつか彼女が虐げられずに暮らせる時が来ることを祈って、穏やかな表情で眠り続ける少女の髪をそっと撫でた。
「せめて今だけは幸せな夢を見れますように」
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