1.はじまり
8月24日。じめじめとした雨が降り続き、陰湿な湿気が身体中にまとわりつくような日。君は僕の世界から消えた。雨による視界の悪さ、それが原因だった。皮肉なことに、3年後の今日は、雲ひとつない快晴が広がっている。同じなのはまとわりつく空気だけだ。君の名前をそっとなぞる指にじんわりと暑さが伝い、まるで君が生きているみたいだと、ありえない妄想に視界が歪んだ。
「今日も暑いね、葉子。君はわたげみたいな人だったよね。ふわっと軽くて、暖かくて、急にいなくなった。……寂しいなあ」
おぼつかない視界の中、葉子の笑顔だけがはっきりと見える。いつも休日は乙女ゲームをして、推しについて語ってくれた。きっと今も天国で楽しんでるんだろうな、オタクライフを。
「やばくない!?これめっちゃ好きなシーンなの!ライターさんと解釈一致すぎて握手したい!」
「このイラスト神すぎんか!このイラストレーターさん起用した運営を崇め奉りたい」
「ひゃぁぁぁぁぁ!ファンディスク発売!?嬉しすぎる!やばいやばいどうしよう死んじゃいそう……」
……容易に想像できる。多分周りの人も巻き込んで元気に乙女ゲームやってるよ、あの子は。
「もう一回だけ、葉子の笑顔が見たい。神様なんてものがいるなら、この寂しい独り身の願いを叶えてくれよ…..」
暑さで靄がかかる視界を素直に受け入れながら、力の抜ける体を地面に投げ出した。あとの記憶は真っ暗だった。
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「なんか呼ばれた?私」
「呼んでいません。大人しく勉強を進めてくださいお嬢様」
「えぇ~?だってつまらないんだもの」
簡単すぎて。
この世界の勉強レベルはせいぜい日本の中学生くらい。腐っても全国模試5位の実力を舐めないでもらいたいわ。
私は、リリス・ラベリア、の容貌をした坂井葉子。教育ママとパパのいる家庭で育って色々とボロボロだった頃に愛しのかれぴと推しと出会って、どんどんオタク街道を突っ走っていった女です。今はかつてプレイした乙女ゲームの悪役令嬢ではなく、その従姉妹として生活しています。
破滅フラグはないから気楽ではあるけど、今世のママパパもかなり教育に力を入れているから少しつまらない。話し相手になってくれるのは庭に植えてあるホワイトリリーと小言が多いメイドのサシャだけ。ママパパは私に興味がないから、すでに王立アカデミー入試の全ての問題が解けるどころか、卒業テストの問題すら解けることに気づいていない。
「一応公爵だけど、殿下の婚約者には従姉妹のエリスがなってるし、完璧を求めなくてもいいと思うんだよね。聞いてる?サシャ」
「聞いていますよ。お嬢様は数学には強いですが、歴史には偏りがあります。アカデミー入試では、歴史はかなり細かいところまで聞かれるのでやっておいた方がよろしいかと。入試まであと1年ほどですし」
そう、私は今14歳。15歳からは貴族の義務として、王立アカデミーに3年間通うことが決められている。入学時のクラスは入試の成績ごとに、上からS、A、B、C、Dへと分けられる。公爵家としてはSクラスに入ることが求められるのだが、まあいけるだろう。
「まだ大丈夫だよ。歴史の知識が足りないだけだし、勉強より遊びたい」
(息抜きに遊ぼっか、なんて言ってくれる彼はいないけど、つい甘えてしまう)
優しく頭を撫でてくれた彼を思い出し、すこし感傷的な気分になった。両親から愛情を受けずに育った私を可哀想に思っているサシャは、浅く息を吐いたあと私の手をとって
「少しだけですよ?」
街まで連れて行ってくれた。サシャ最高ありがとう!




