8.真実
何を言われているのか、良く分からなかった。
逃げ出す事も出来ず、問い返すことも出来ず、ただ目を見開いて彼を見つめ続ける少女に向かって、美しい青年の形をしたモノが、ただ優しく眼差しを送り続けていた。
いつまで、そうして見つめ合っていただろうか。
ようやっと、掠れた声が出た。
「お願い、本当のことを全て話して――貴方は何? ここは、一体どういう所なの」
セルスは、変わらぬ優しい声で、分かりました、と答えた。
「ここが、何であるか、何故人間が居ないのか、あなた方はとても知りたがっていましたね。――それに答える為には、幾つかのことを知って貰わなくてはならない」
白く華奢な指が、窓の外、遥か上空の薄茶色の大地を指さした。
「ここが、どういう形をしているか知っていますか?」
「ここって――世界のこと? 」
「そう。あなた方にとっての世界の姿」
イサは弱々しく頭を振った。
「あそこに見えている大地と、今あなたが居るこの大地とが、繋がっていることは解りますね。3つある大陸は河で分断されてはいるものの、全てお互いに繋がっている。
有り体に言えば、世界は丸いのですよ。
例えれば巨大な水筒の内側に、私達はいるのです。そして、この水筒を造ったのは、人間なんです」
「人間……」
「あなた達の先祖にあたる方々です。彼らがこの三つの大陸を持った世界を、そして私達番人を作り上げたのです。
3つの大陸には昔、それぞれの役割がありました。一つは、人間が居住し、生活を営む場。そしてもう一つが農園。そしてもう一つ私達が居るここ、通称『森』は、主に娯楽の為のものでした。人間は高度に発達した科学技術を駆使して、それは豊かに、何不自由無く暮らしていたのです。
ある時、破壊が起こるまでは。
たった100年余り前の事です。
たった5代か6代、たったそれだけの間に、あなた方人間は本当に無力な存在になってしまった。
頼りにしていたコンピューターに発生したウィルス――ああ、機械の伝染病みたいなものです。それがあっと言う間に人間社会の全てを蝕み、台無しにし始めた。
私達番人の第一の使命は、あくまで管轄の森や農園を護ることです。
何としても、破壊は阻止しなければならなかった。人間の居住区から繋がっているケーブルは、橋の中を通ってこちらに繋がっていました。
破壊の伝播を防ぐためには、即座にこれを爆破するしか方法はなかった。
そして、その時たまたまここに来ていた人間と、我々番人の主人である管理者を残して、人間と2つの大陸は隔離されました」
「じゃあ、その時には此処にはあなた達番人以外の人間達がいたのね」
「そうです。しかし、全ての生活を高度に細分化して生きてきた彼らの繊細な心と体を維持するには、娯楽を目的とした此処や農園の設備だけでは貧弱すぎました。
破壊の対処方法が見つからず手をこまねいているうちに、此処に残された人々も一人、また一人と死んで逝き、新しく生まれた子供達もその殆どは生まれて数年と生きずに死んで逝きました。最後の子供が死んだ時に、私達番人の主人であった最後の管理者は死の床にありました。
私はあの方にこう尋ねたのです。
『誰か呼んで来ましょうか』と。
主人の最後の言葉はこうでした『いや、その必要はない。ここには誰も呼ぶな』」
「それで――それっきり、私達をあの乾いた大陸に置き去りにしたの?」
「ええ、それが私の主人の最期の言葉でした。そして主人の死後も私達番人は此の大陸を護り続けていたのです。
それにしても皮肉な話です。管理システムがきちんと動いている此の大陸と隣の大陸では人々が死に絶え、逆にあれほどの火災や爆発に見舞われたにも関わらず、居住区ではあなた達が生き残った。
でも、それもあと1、2世代の間です。もう遅いのですよ。あの時システムが狂ってしまった為に、あなた方の大陸では徐々に降雨量が減り続けています。そのうち日照も当たらなくなるでしょう」
「セルス、お願い、向こうの人々をこちらへ導いて! この『森』と『農園』が有れば、人は生き延びることが出来るわ」
「先程も言いましたよね。出来ないとは言わないが、そうするつもりはありません」
「どうして?」
「私の使命はこの森を護ることです。今となっては向こうの大陸の人間は危険すぎます。自分たちの手元に残った文明を破壊し、忘れ去った様に、この森の環境を破壊し、私の管理に支障をきたすでしょう」
「貴方は優しい人よ。私達を助けてくれたわ」
「目の前の危機的状況にある人間を見殺しにする事は、私には禁止されています。
しかし、目の届かないところでならば人類の滅亡ですら容認してしまえるのです。
全てがもう遅いのですよ。イサ、貴方とムルトがこの森で暮らすことは容認できます。でも、それ以上はだめです。さあ、もう向こうの大陸の事は忘れて下さい」
この絶望的な答えを口にする間にも、セルスの声は優しげであった。
イサは先程自分が愛を告白したばかりの青年が、自分に差し出した手をきっぱりと拒絶した。 「嫌よ。私は確かに逃げてばかりいた。けれど、ラルダ師、ロルダ、わたしを受け入れてくれた邑のみんな――子供の頃、疎ましく思っていたあの人達でさえ、みんなが居なければ私は今日まで生きて来れなかった。みんなが何時か滅び行く宿命なのだとしたら、そんな世界なんて消えて無くなればいいのよ――もう今度こそ、逃げるのは嫌!!」
イサは叫んで、扉の方へ駆け出した。
「イサ、何をする気なのです?」
「貴方が言ってた銀色の塔にあるそのシステムと言うものを壊しに行くの。あなたが教えてくれたのよ、システムを壊せばその大陸はゆっくりと滅んでいくってね。
止めても無駄よ。貴方には私達人間に直接危害は加えられないんでしょ!」
「馬鹿なことはおやめなさい。確かに私には暴力に訴えて貴女を止めることは出来ない。でもシステムの中で働いているプロテクターは貴女を実力で排除することが出来る」
「いいわ、やれる物ならやってみなさい」
そう言い残すとイサは部屋を飛び出し、クゥルウに飛び乗って銀色にそびえ立つ塔へと急いだ。
外見とは裏腹に、中は真っ暗で冷たい感じの建物だった。
途中で拾った金属の棒切れで扉をこじ開けると、けたたましい耳障りな音に混じって、非人間的な乾いた声が出迎えた。
「名前ト、IDヲ表示シテクダサイ。名前ト、IDヲ表示シテクダサイ」
「私はイサよ」
そう言うと彼女は棒を振り上げ、辺りの物を手当たり次第に叩きつけた。
鈍い手応えだけが伝わった。流石に100年以上に渡って大陸を護り続けているというそれは、容易には壊れそうに無かった。
「警告シマス。スグニ 破壊行為ヲ 中止シテ 係員ノ指示ニ 従イナサイ。30秒後ニ ぷろてくたーヲ行使シマス。警告シマス。30秒後ニ ぷろてくたーヲ行使シマス」
未知の恐怖がイサの背筋を冷たくした。
しかし、セルスと理不尽なこのシステムと言う物への怒りはその恐怖に打ち勝った。イサは尚も手当たり次第に棒を振り回した。
「警告シマス。コレヨリ ぷろてくたーヲ 行使シマス」
イサの背後で何か小さな作動音が響いた。思わず身を臥せるイサの頭の上を、一瞬煌めく閃光の様な物が走り、空気から焦げたような鼻を突く匂いが伝わってきた。右手を見ると、握っていた棒の手元から10cmばかり上が燃えて無くなっていた。
イサの耳に更に小さな作動音が響く。
「――殺される。セルス、ムルト、さよなら」
イサが目を瞑ろうとしたその時、目の前で放たれた閃光は、しかしイサのすぐ手前で何かに遮られた。
何かが焦げる嫌な臭いに顔を開けたイサは、そこに変わらぬ優しい瞳で佇むセルスの姿を見つけた。
青年の胸元に焼け焦げた穴が穿たれている。
「セルス、どうして此処に?」
「私は人間を助けるようにプログラムされています。さあ、こうなってしまったらプロテクターは危険対象を排除しない限り停止しません。早く逃げて下さい」
更に閃光。セルスは肩から胸を焼かれながらイサを表に向かって送り出す。
「セルス!」
また閃光。
腰を焼かれたセルスは、ついに力尽きてその場に崩れ落ちた。
悲しげにこちらを見つめる顔に、一瞬イサの動きが止まる。プロテクターはその一瞬の隙を逃さず今度こそイサに向かって狙いを定めた。
そして更に閃光が――しかし、その閃光が届くよりも早く、銀色の触手がイサを扉の外に救い出した。
「イサ、大丈夫か。一体中で何があったんだ」
見上げるイサの目の前にT-103の鈍く光る体と、褐色の髪の青年が並んで立っていた。 「ムルト!」
イサは思わずムルトに抱きついていた。
「――そうだったのか」
イサの説明を聞いたムルトは考え深げに頷いた。
「ところでムルトはどうしたの?」
「いや、森の中でふてくされていたら、こいつが迎えに来たんだ。何だか馬鹿馬鹿しくなってきて帰ろうと思っていたんだが、喉が乾いているのに気がついて、駄目もとでこいつに『何か飲み物を持ってこい』って言ってみたんだ。そしたらこいつ、あっと言う間に飲み物を持ってきやがった。
それで色々試してみたんだけど、大体俺の言うことを何でも聞くんだ。こいつも、他の連中も。それでイサには顔が会わせ辛いし、色々試してみたくなって、この銀の塔に来てみたんだ。するとこの騒ぎだから、俺思わず『イサを助けろ』って命令したんだ」
「そうだったの。じゃあ、T-103だけじゃなくて森の中で見かけた他のも、私達の言うことを聞くのかしら。みんなを味方に付けたら、番人達と戦ってでも、他の人達をこっちに呼ぶことが出来るんじゃないかしら?」
「そのことなんだけれど、セルスの仲間たち『番人』だっけか、時間はかかるかも知れないけれど俺達の仲間になって貰えるんじゃないだろうか」
「えっ?」
「だって、セルスだって最後はイサの事を護ろうとしてくれたんだし。きっと時間は掛かるかも知れないけれど、説得できる気がするんだ」
「――ムルト、貴方って馬鹿みたいに楽観的」
「いや、そうすればシステムの塔を開いて貰って、セルスを治す事だって出来るかも知れ無いじゃないか。いや、絶対にそうしてみせるさ」
「本当にそんなことを考えているの? ――貴方って本当に馬鹿」
「そうさ、おれは何だって自分のやろうと思ったことはやり遂げる……」
ムルトが最後まで言う前に、イサの唇がムルトの口を塞いでいた。
※
T-103が運転する浮遊する車に乗って、河を元来た方向へ渡ることから、新しい旅は始まった。
今度は二人と一匹。心弾む旅だ。
「一つ訊いていい? どうして私を好きになったの」
「それは、だなぁ」
ムルトは、照れたように頭をぼりぼり掻きながら口の中でぼそぼそと言った。
「ガキの頃、占ってもらったんだよ。将来の嫁さんについて。そしたら、寂しがり屋で、夢見がちで、そのせいで一生旅をし続けるけど、多くの人間を救う娘でもある、と出た。俺は、お前が村に来たとき、一目でこの娘だと判った」
青年は、頬を上気させて、少女の肩を抱き寄せた。
これからは二人の旅。この人だけは、自分を見捨てないと確信できた。
もう寂しくは無い。
逃げる必要も無い。
見上げる天空には、これから共に歩むべき人々の住む土地と――
希望の地、豊穣の大地が、両側に翼を広げる様にして、広がっていた。
(完)
ここまで読んで頂き、有難うございました。
昔書いた話です。
当時は、ラグランジュポイントとか、コロニーのサイズとか、色々考えながら書いていたのですが……つたないですね。
甘酸っぱいです。
若いっていいなぁ。
イサちゃん、もう本当に逃げないよね、等と突っ込みつつ。
また機会がございましたら。
他の拙作も読んで頂けましたら、幸いです。