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「天空に見ゆるは豊穣の大地」  作者: 秋月レイ
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6.果ての正体


 彼女が指し示す方向には、何もなかった。

 ――いや、何処までも続くかに見える薄靄の下に、それは存在した。

 硝子の様なのっぺりとした物質に覆われている地面。いや、それを地面と呼んで良い物かどうかさえ判らない。


 ただ判っているのは、その上を人は渡って行けないと言うこと。

 その表面は、朝になると徐々に輝き出す。そして昼になる頃には、強烈な光の本流と灼熱の地獄と化して、上に乗った者を焼き尽くすのだ。

 夜になるとその現象は止むが、一日や二日で渡り切れる様な代物では、それはなかった。


「朝、あそこから立ち登る光の柱……あれはもしかして、空にある光の帯と同じものなんじゃない?」

 イサが問うと、ロルダは目を細めた。

「それに気付くとは、流石兄貴の弟子だ」

「えっ、じゃぁ……」

「まてまて。その研究をしているのが、俺達の学院なのさ。判っている事は少ないし、いろんな説があるが。そうだな、この世には大陸を分断する光の帯、つまりあんた達の言う「果て」だな、それが3つあるという説が一番有力だ」

「は?」

「つまりだな。あの空の大地に走ってる光の帯と、俺達が見ているこれ、それとずっと東にもある筈の河は、実は同じものなんだ。全ての大地は、この河で分断されているものの、表面的には一つに繋がっていると考えられている。この説は俺達が子供の頃に立てられた説なんだが、確かにそう考えることで、いろんなことにつじつまが合うんだよ。だから、俺はあそこへ行くのも絶対に夢とは言い切れない……と信じている」

 ロルダは片方の眉をひょいと上げて、天空を指し示した。

「……」

「ま、急にこんなこと言っても混乱するだけだよな。でも、この意見は親父には内緒だぜ。兄貴の奴がそれを確かめるって家を飛び出してから親父の奴、偏屈に磨きがかかっちまって。あそこへ行こうだなんて、最低の馬鹿が考える事だ、とか言うようになってよ」

「でも……行ける方法があると?」

 イサが、呆然としながらも問い返すと、ロルダは黒い目をきらきら光らせて、ずい、と身を乗り出した。

「それなんだがな、俺はあんたなら……」


 ロルダがイサの細い肩を揺さぶるようにして話し掛けた時、学院から走ってきた使いの者の、間延びした声が響いてきた。

「お~い、イサぁ、東から客人が来たぞ――」


 イサとロルダは顔を見合わせた。


 客人と言うのは、イサがこれまでの人生で一番酷い仕打ちをしてしまった相手、つまり置き去りにしてきた花婿だった。

 青年は埃にまみれた顔をにっこりと微笑ませて言った。

「イサ、おめぇは酷い奴だよな」

 イサは思わず2、3歩後ずさった。

「ム、ムルト……どうして此処へ」

「どうしてって、それはつれないぞ。花嫁を捜しに来た、に決まってるじゃないか」

「どうやって……」

「うーん。それは親父のラダを無断で拝借して来ちまったことを言ってるのか。それとも、どうして此処が判ったかってことか? それなら、お前のお師匠さんに丁寧に訊いたら、ちゃんと教えてくれたぜ」

 青年は旅で真っ黒に日焼けした鼻の頭をぽりぽりと掻きながら、悪びれもせずに言った。

 イサを見て言った第一声とは裏腹に、その声には責める響きがない。

「何故……」

「そうだな、あの時もちゃんと言わなかったのがいけなかったんだな。――イサ、お前が好きだからだ」

 明るい褐色の目に見つめられて、イサは更に2、3歩後ずさった。

「ど、どうして私なんか。みそっかすだし、女らしい所なんか全然無いし、あなたを放って空へ行きたくて、邑を飛び出したとんでもない娘で……」


 自分でも、しどろもどろで何を言って良いのか分からない。

「多分そういう所だ、と思う」

 ムルトはまた、にっと微笑んだ。

 側で見ていたロルダが、当てられたように溜息をついた。

「いかん、こいつはマジで惚れてやがるぜ……」

 

   ※

 ムルトはいつでもイサの後をついて回った。

 イサも、まさか追い返す訳にも行かず、困惑しながらも成すに任せていた。

 彼は、意外にも良い助手だった。

 イサと一緒に採集して来た物を手際よく保存容器に分別し、擂り鉢でつぶした粉も、僅かな説明だけで分量通り正確に配合出来る様になった。

 元々が好奇心旺盛な質らしく、新しいことを覚えるのを楽しんでいる様子だった。

 クゥルウの世話も、つっつかれながらも果敢に挑んでいる内に、随分仲良くなった様でもあった。

 傍らの少女より頭1つ分高い長身の、すらりと均整の取れた体つきの青年。

 確か歳は3つ上だったろうか。何も言わねば、華奢なイサと揃って歩いている姿など似合いの二人に見え無くもなかったが、イサは内心怯えていた。

 何より、彼の邪気のない笑顔が恐ろしかった。


そんな様子を見かねてか、ロルダがある日声を掛けた。

「おい、イサ。どうするんだ。あの坊や、このままだと一生魚の糞みたいにお前にくっついてくぜ。その気がねぇんなら、態度をはっきりさせとかにゃ」

 

 婚礼を目前に逃げ出す以上に、どんな意思表示があると言うのだろう。

 イサが躊躇っているのを見て、ロルダは更につけ加えた。

「また、逃げ出しゃいいじゃないか。どうだ、憧れの地へ行ってみたいだろ?」

 イサははっとして目の前の男を見つめた。本気で言っているのだろうか。


「このあいだは話の腰を折られちまったからな。いいか、俺はあんたなら、きっとあの河を渡ることが出来ると思っている。お前には、クゥルウがいるからな」

 

 ロルダの話はこうだった。

 渡れないと言われている河は、かつては渡ることが出来た。

 それを証拠に、北へ10km程行った所に橋があるのだ、と。

 ただ、途中でまっぷたつに裂けていて、これまで誰もその先へ行ける者はいなかった。

 何故なら、途切れた所で下へ降りて先を目指しても、一晩では向こうへたどり着くことが出木ず、非情な硝子の鍋の上で、試みた者は暁光の到来と共にみな丸焼けになってしまったのだから、と。

 だが、クゥルウならば、一晩で駆け抜ける事が出来る。

 向こう側の橋にたどり着き、その上を一気に渡り切れば、そこはもう憧れの大地なのだ。

「どうだ」

 語りかける黒い目は熱っぽく光っていた。誰もな成し得なかった偉業を、彼は少女に託そうとしていた。

 イサは我知らず、釣り込まれる様にこくん、と一つ頷いていた。


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