第40話 分岐点②
マンハッタン某所。廃墟ビル。
骨組みだけ残った、解体工事中の場所。
日は陰りを見せており、作業員の姿は見えない。
目の前には中腰で屈む、長い青髪に白スーツ姿の男の人。
「骨と動脈は外れてる。……これで、当分は大丈夫だろ」
怖い人は、糸で縫われた患部に、包帯を巻き終え、言った。
さっきまで、命のやり取りをしたとは思えないぐらいの献身さ。
撃ち抜かれた右太ももの傷は見事塞がり、応急処置は終わっていた。
「……ありがとうございます。でも、なんで、助けてくれたんです?」
太い柱にもたれるジェノは、感謝を告げ、尋ねた。
彼は戦いの手を止めた。だけど、助ける理由はないはず。
それなのに、ここまで親身に処置してくれるとは思わなかった。
「気が変わった。そんだけだ。お前が生きてた方が何かと都合がいいしな」
怖い人は、ソーイングセットを閉じ、懐にしまう。
顔をぷいっとそっぽを向き、ビルの外を眺めていた。
(都合がいい、か……。怖いだけじゃないのかもしれないな……)
戦っていた時の姿は、見る影もない。
今、相手にしているのは、善人そのもの。
怖い人呼ばわりするのも心苦しくなってくる。
「そういうことにしときます。えっと……」
今更ながらジェノは、それとなく名前を聞き出そうとした。
だけど、上手く言葉が浮かばない。どう切り出せばいいか分からない。
「……ラウラ・ルチアーノだ。どちらでも好きな方で呼べ」
すると、察してくれたのか、聞く前に名乗ってくれた。
さっきまで敵だったのに、なんだか朗らかな気持ちになる。
このまま自己紹介をすれば、良好な関係になりそうな気がする。
「ラウラさん……。失礼かもですけど、女の人の名前みたいですね」
それなのに、ジェノは余計なことを口走っていた。
ふと頭に浮かんだ疑問を、確かめたくなってしまったんだ。
「……は? 何言ってんだ?」
すると、ラウラは眉をひそめ、不機嫌そうに言った。
空気はピリッとして、重苦しく、嫌な緊張感が走っていく。
(まずい……。失言、だったのかな……)
もしかしたら、盛大に地雷を踏んでしまったのかもしれない。
よくよく考えたら、男なのに女みたい、って言われたら嫌だよな。
一応、自分なりに配慮して言ったつもりだけど、駄目だったみたいだ。
「………………僕は普通に女だぞ」
しかし、返ってきたのは思わぬ反応。
ラウラが発した言葉に、理解が追いつかない。
(待て、待て、嘘でしょ……)
彼、ではなく、彼女の見た目をジェノは観察していく。
凛とした顔つき、髪は長く、背が高く、白スーツが似合う。
言われてみればスタイルのいい女性で、勘違いのように思える。
ただ、どうもまだ信じられない。いくつか質問してみることにした。
「趣味は?」
「裁縫と、コスプレ」
「身長とスリーサイズは?」
「身長は180センチ。スリーサイズは、上からB80・W62・H89」
「将来の夢は?」
「お嫁さん」
ジェノが質問し、ラウラはそれに答える。
質問は三回。どれも、他愛もない内容だった。
「嘘でしょ……。ちゃんと、女の人だ……」
ただそれは、男女を確定させるという目的にハマっていた。
趣味がコスプレなら、スリーサイズを知っていてもおかしくない。
裁縫もできるなら、傷口を縫った道具と技術を持っていたことも納得だ。
「あのなぁ……男の死刑囚だったら、基本坊主だ。覚えとけ」
すると、ラウラは、呆れたように別の解き方を教えてくれる。
死刑囚なのに、髪が長いのが、そもそもおかしかったみたいだ。
知識があれば、いちいち質問しなくても分かったかもしれないな。
「……知らなかった。いや、知りませんでした。勘違いしてごめんなさい」
何はともあれ、ジェノは敬語で謝意を述べる。
敵だった人とはいえ、最低限の礼儀ぐらいは必要だ。
こっちが悪かったし、謝っておくのは当然のように思えた。
「謝意は受けてやるよ。後ついでに、その下手な敬語やめろ。聞き飽きてる」
ラウラは、顔を背けながら、気恥ずかしそうに言った。
怒られるのも考慮に入れてたけど、素直に許してくれたみたい。
この調子だったら、場の勢いで、色んなこと聞けちゃうかもしれないな。
「うん分かったよ、ラウラ。だったら、ついでに大統領の目的教えてよ」
そこでジェノは、機を見計らい、懐に踏み込んだ。
ラウラの人となりは知れた。聞けば教えてくれるはずだ。
「どのついでだよ……。まぁいい。白き神がどうとか言ってたっけな」
聞き覚えのあるワードに言葉が詰まってしまう。
(白き神……。儀式と関係あることなんだろうな……)
思い出すのは、ジャンク屋での騒動。
扉の向こうで、リーチェと大統領は対談した。
その時に聞こえたのが、儀式のことと生贄のことだった。
(無関係じゃない……。でも、これ以上、深掘りしていいのか?)
今まで、リーチェには怖くて聞けなかった。
知っていたけど、今までは知らない振りをしていた。
儀式の生贄要因として、生かされてる可能性があったからだ。
だからこそ、慎重になるべきだった。聞けば、戻れないかもしれない。
「……っ!?」
そう悩んでいるとバタンと倒れる音が響く。
突然、横にいたラウラは膝を崩し、苦しんでいた。
髑髏の刺青がある左手の甲を押さえ、痛がってるように見える。
「……やら、かした。逃げろ、ジェノ!! このままじゃ、お前を……っ!!!」
顔を歪め、歯を食いしばりながら、ラウラは叫ぶよう言った。
何が何やら分からない。言葉足らず過ぎて、状況が理解できない。
「逃げろって、急にそんなこと言われても、できないよ!」
ラウラには、傷を手当てしてもらった恩がある。
はい、そうですか。と逃げられるほど薄情じゃない。
せめて、体に異常はないかどうか見届ける責任はあった。
気付けば、その場で立ち上がり、ラウラのそばに寄っていく。
「……いいから、はや、く」
余計なお世話だと言わんばかりにラウラは手を振り払う。
さっきから様子がおかしい。血の気が引いて、顔は真っ白だ。
だらだらと額から脂汗をかいていて、死人のように見えてしまう。
(何か、起こる……っ)
確信できる根拠はない。だけど、そんな気がしていた。
そう思えるだけの条件は揃ってしまっている感じがしたんだ。
「禁則事項に抵触。沈黙の掟発動。自動処刑モード」
突如、ラウラはヘンテコな言葉を並べ出した。
さっきまでと雰囲気が違う。まるで『別の人』だ。
悪霊に取り憑かれてしまった人のようにも思えてくる。
(どうしよう。どうしよう。こんな時、どうしたら……)
悪魔祓いの知り合いはいない。
一人でどうにかできる範疇を超えてる。
その間にも、別の人は、辺りを見渡していた。
(この展開って、まさか……)
今の別の人と、目が合ってしまえば最後。
死ぬまで終わらない戦いが始まる気がする。
今度こそ避けられない殺し合いの予感がする。
「……処刑開始」
別の人は、悪い予想を裏打ちするように、不穏な言葉を言い放つ。
その青色の瞳は、緋色の瞳へと変容し、それが戦闘開始の合図となった。




