ミドリの暴走
(そーっとだ。そーっと歩けよ)
(わかってるわよ! ミドリちゃんも静かにねー?)
(キュー!)
三人と一匹が、息を殺して山の斜面を歩いて行く。辺りは荒涼とした荒れ地のようになっており、ゴロゴロと転がっている岩陰の間を、ゆっくりと移動している感じだ。
「……………………」
(おお、本当に気づかれねーな)
(当然だ! 余の<王の姿を見咎めるもの無し>は完璧であるからな!)
近くにいるロックスコーピオン……岩のような外殻を纏う、全長三メートルほどの巨大サソリ……は、そんなスタン達に気づかない。スタンの手に持つ人の目のような形をした魂装具により、その存在が秘匿されているからだ。
(とは言え、これはソウルパワーの消費が重いのだ。そう長くは維持できぬぞ?)
(わかってるって。もう少し……あの岩の陰くらいまでいけば、解除しても大丈夫なはずだ。気をつけて急ごうぜ)
(うむ、了解だ)
今は多少余裕のあるソウルパワーだが、当然使えば無くなる。寝る前の充填程度では<王の隠蔽見破る者無し>のような能力の消費分とはとても釣り合わないので、大きく補充するには最短でもヨースギスの町の近くにあるファラオアントの巣まで戻らなければならない。
どうしてもとなればチョイヤバダッタでも可能だが、あそこで集めているソウルパワーは瘴気を防ぐ結界を維持するためのものなので、それを私用で着服するのはファラオ的に良くない。
使いすぎれば後々困るが、必要な分までケチって危機に陥るのは本末転倒。ファラオとしての経済感覚を問われたスタンは、ひとまず安全を重視することを決断したのだった。
(何かアタシ、くしゃみが出そう……)
(おまっ、ふざけんなよアイシャ!? 俺のことからかっといて、自分でそれは洒落にならねーぞ!?)
(そんなこと言ったって……ふぁ……ふぁっ……)
「キュー!!!」
「ふぁっ……え、ミドリちゃん!?」
突如アイシャの腕の中で、ミドリが激しく暴れて鳴き声をあげた。そのままミドリが<王の隠蔽見破る者無し>の範囲から飛び出したことで、その効果が失われる。
「ギチチチチ!?」
「いかん、見つかったぞ!」
「キュー! キュー!」
「ミドリちゃん、待って!」
「くそっ、何だってんだ! ここは俺が食い止めるから、お前らはミドリを追っかけてくれ!」
「わかった! 無理せずこちらに合流を優先するのだぞ!」
その場で剣を構えるライバールを残し、走り出したミドリを追いかけてアイシャとスタンが走る。戦力的にはスタンも残るべきなのだが、アイシャがこの辺りの魔物と出くわしてしまうとほぼ一方的に殺されてしまうので、ライバールの負担が大きすぎるとわかっていてもそれは選べない。
「オラオラ、かかってきやがれサソリ野郎!」
「ギチチチチ!」
大声で挑発するライバールに対し、ロックスコーピオンが文字通り岩のような爪を振り上げ、その体に叩きつけた。
「キュー! キュー!」
「待ってミドリちゃん! 待ってったら!」
「あまり大声を出すなアイシャ! こちらにまで魔物を呼び寄せてしまったら、ライバールが残った意味がなくなってしまうぞ!」
「うぐっ!? それはそうだけど……あ!」
ライバールが囮を買って出てくれた一方で、スタン達は必死にミドリを追いかける。幸いにしてミドリの足はそれほど速くなく、幼いせいで空を飛ぶこともできないため見失うことはなかったが、それでもゴツゴツとした急な斜面を駆け抜けるのは四つ足の獣の方がずっと適している。
見えてはいるが、追いつけない。そんな微妙な距離をかけ続けていくと、程なくしてミドリがまたしても急に立ち止まり、そこで漸く追いついたスタン達は、荒い息を吐きながら同じく足を止めた。
「はぁ、はぁ……やっと追いついた……突然どうしたのミドリちゃん?」
「キュー! キュー!」
「うぅ、何言ってるかわかんない……スタン、ファティマは?」
「流石に最近は行き来をし過ぎたせいか、すぐには呼べぬ。夜まで待てばいけるとは思うが……」
スタンの<王の宝庫に入らぬもの無し>を経由した移動には、ファラオマザーアントとなったホーンドアント達の女王の権能を利用している。だがそれは無制限に使えるというものではなく、また消耗するのがマザーアント側のため、スタンの方ではどうすることもできない。
無論本当に緊急であれば無理をして……それこそ命を削ってでもファティマを送り届けさせることはできるだろうが、流石に今はそこまでの状況とは思えなかったし、アイシャもまたそこまで無理をさせるつもりはなかった。
「うぅ、そっか。なら何とかアタシ達で理解してあげないとね」
「うむ。幸いにしてこちらの言葉はしっかり理解しているのだから、そこまで難しくもあるまい……ということでミドリよ、一体どうしたのだ?」
「キュー!」
スタンの言葉に、ミドリが正面にある、少し大きくせり出した岩の斜面に向かって鳴き声をあげる。
「そこに何かあるの? 見た感じは何もないけど……どうするスタン、触ってみる?」
「そうだな。ただできればライバールと合流してからにしたいところだが……お?」
もし何かあった場合、ライバールと分断されてしまうことは避けたい。そう考え仮面を傾けるスタンの耳に、こちらに近づいてくる喧噪が届く。
「うぉぉぉぉ! 何処だスターン!」
「ライバール!? こっちだ! アイシャ、ミドリを!」
「わかったわ! さ、ミドリちゃん」
「キュー!」
大人しくミドリがアイシャに抱き上げられるのを確認すると、スタンはすぐに正面に意識を向ける。するとガタガタと大きな音を立てながら、ロックスコーピオンに追われてこちらに走ってくるライバールの姿が目に入った。
「我が呼び声に応え、現れよ<空泳ぐ王の三角錐>!」
その言葉に、スタンの背後に開いた黒い穴から五つの三角錐が飛び出しふわりと浮かぶ。それらはスタンが伸ばした手の前に一つ留まり、残り四つは二つが二組となって中央、奥と並ぶと、それぞれが右と左に回転し始める。
『ソウルパワー充填開始。ホロバレル形成。ターゲット、ロック完了』
「カウント五! 四……三……」
「うぉぉぉぉぉぉぉぉ!!!」
雄叫びを上げながらまっすぐ走ってくるライバール……その背後にいる巨大な標的に向け、スタンが照準を合わせる。それに気づいたライバールが更に速度をあげ……
「二……一……」
「ここだっ!」
「ファラオショット、発射!」
スタンの声にタイミングを合わせて飛び退いたライバールの横を、光り輝く弾丸が抜けていく。人の頭ほどの大きさがある光球がロックスコーピオンの頭に命中すると、その岩の巨体に大きな風穴が開いた。
ズズーン!
如何に強靱な生命を誇る魔物とて、綺麗に頭が吹き飛んではひとたまりも無い。地響きと共に地に倒れ、走る勢いのまま一メートルほど岩肌を滑ったロックスコーピオンの体がビクビクと痙攣してから動かなくなったのを確認すると、スタンはゆっくりと息を吐いてから歩み寄ってくるライバールに声をかけた。
「ふぅ……大事ないか、ライバールよ」
「ああ、助かったぜ。てか、やっぱスタンはスゲーなぁ。俺の剣は固くって全然通じなかったのによぉ」
「それはまあ、相性の問題であろう。どう見ても剣や槍の類いが有効な相手には見えぬからな」
「ははは、そりゃそうだ」
スタンの言葉に、ライバールが軽く笑って答える。実際ロックスコーピオンを討伐しようと思うなら、ひたすら鈍器で叩いて岩の甲殻を割るのが一般的だ。一応間接を狙えば斬ることもできるが、ソロでそれをやれるのは本当の達人だけであり、いくらライバールに天性の才能があるとはいえ、そこまでの技術はまだ身についていなかった。
「で、結局ミドリは何で走り出したんだよ?」
「ああ、それなんだけど……ミドリちゃん?」
「キュッ!」
状況が落ち着いたのを感じたのか、ミドリが再び身をよじり、アイシャの腕から逃れる。そうしてテコテコと先ほどの斜面のところに近づいていくと、そっとその鼻先を触れさせ……
「キュー!」
「えっ!?」
「なっ!?」
「うぉぉ!?」
その瞬間、ただの石壁にしか見えなかった場所に、ぽっかりと黒い穴が出現した。





