閑話:護るべきもの
「ふーっ、ふーっ…………あっちか」
一気に階段を駆け上がったティーチは、荒い息を吐きながら手にした護符を握りしめ、その力の流れを感じ取った方向へと走っていく。途中で何人もの僧侶とすれ違い、何やら声をかけられた気もするが、ティーチはその全てを無視してひたすらに寺院を駆け……そうして辿り着いたのは、寺院の最奥にある分厚い扉の前であった。
「……やっぱりここか」
そこは昔から、「危険な物がしまってあるから絶対に立ち入ってはいけない」と教えられていた部屋だった。重く大きな木の閂を外し、自分より遙かに大きな両開きの扉を、渾身の力を込めて押し開ける。
だが、その先にあったのは無数の棚と、箱にしまわれた何か。一見すればただの物置でしかないが、人が立ち入ることなど滅多にないはずのそこには何故か埃の一つも積もっておらず、ティーチは壁に据え付けられた魔導具を起動して明かりを確保すると、鋭い目で内部を見回していく。
「ここがただの物置のはずがねぇ。どっかに必ず何かあるはず…………ん?」
棚を押したり箱を動かしたりしていると、不意に壁の方から、音とも言えない何かを感じた。直感に従いティーチが壁を撫でていくと、突然チリッとした刺激が手に走り、同時に壁面に光の枠が生まれると、そこが開いて通路が現れる。
「隠し通路!? 触っただけで開くとか、ちょっと不用心じゃねーか? ま、今は都合がいいけどよぉ」
割とあっさり行くべき道を見つけてしまったことで、ティーチが思わず悪態をつく。実際には寺院の管理者の元で事前に登録した魔力の持ち主以外は反応すらしないという高度な隠し扉なのだが、ティーチはこの寺院の正式な跡取りなので、その魔力は両親が人柱となると決まった時に、こっそり登録されていたのだ。
勿論、そんな偶然……あるいは因果にティーチが気づくことはない。岩肌が向きだしとなった緩い下り坂を、ティーチは慎重に進んでいく。すると程なくして、通路の先から光と共に人の話し声が聞こえてきた。
「そうだバースィラ、その辺をもう少し削るのだ。サハルはファティマのいる辺りを照らしてくれ」
カチカチカチッ!
(魔物!? それに、あの仮面……!?)
黄金の仮面を被った怪しい男が、魔物を使役して洞窟の壁を削っている。更にその奥には、巨大な魔導具と思わしき物体が設置されている。
(間違いねぇ、こいつから吸い出した力は、あの魔導具に流れてる……でも、どういうことだ? 間違いなくここが結界の場所なんだろうに、何でジジイはあんな奴らの好きにさせて…………あっ!?)
瞬間、ティーチの頭の中で全ての線が繋がった。だがそれとほぼ同時に、仮面の男がティーチに向かって声をかけてくる。
「で、そちはいつまでそこに隠れているつもりだ?」
「……チッ、気づいてやがったのか」
「当然だ。ファラオは全てを見通しておるからな」
警戒しながら身をさらすティーチに、仮面の男は悠然と答える。その背後では三匹の角アリが作業を続けており、壁の側には若い女の姿もある。
「あれ? アンタどっかで……あ、座禅してた時、広間に来た人!」
「ふむ。ということは、そちがティーチか。余は……」
「いらねーよ! 悪党の名前なんて聞く気はねぇ!」
ティーチの言葉に、仮面男がカクッと首を傾ける。表情は見えないが、どこか拍子抜けしたという様子だ。
「あ、悪党!? 何故余が悪党なのだ!?」
「しらばっくれるんじゃねー! こっちは全部わかってんだ!」
「??? な、何がわかっておるのだ?」
「ハッ! 御堂での光景を見たときに、気づくべきだった……テメー、その仮面の魔導具で人を洗脳できるんだな? それでジジイを操って、この人の魂を食らう魔導具を町中にばらまいた。
なら目的は、その力を使って結界をぶっ壊すことか? そんなこと、この俺が絶対にさせねぇ!」
「待て待て待て! 何だそれは!? 何一つわかっておらんではないか!」
「問答無用だ! 覚悟しやがれ!」
「いや、問答はすべきであろう!? ぬおっ!?」
一気に距離を詰めたティーチの拳が、男の仮面をかすめる。そのまま続けて殴りかかったが、その拳は命中どころかかすりすらしない。
「くそっ、逃げるんじゃねーよ!」
「話を聞かぬか! 言葉が通じるのだから、暴力を振るう前に会話をするべきであろう!?」
「それで俺も洗脳すんのか? 引っかかるわけねーだろ!」
カチカチカチッ!
「いかん! そち達は手を出すな!」
主が攻められているのを見て、角アリ達が顎を鳴らす。だが仮面男は魔物達を制し、その際に一瞬だけ生まれた隙にティーチが拳をねじ込んだが……
「くそっ、これでも当たんねーのか」
「だから話を聞くのだ! 余達にそちを傷つける意図はない!」
「随分余裕だな。何でそこまで俺と話をしたい?」
「それは勿論――」
「っ!? そうか、結界! そいつを破るのに、引退間近のジジイの力じゃ足りなかったのか。だから俺の命を……なるほど、納得いったぜ」
「何が『なるほど』なのだ!? 勝手に納得するでない!」
「……待て。ってことは、ひょっとしてもうジジイは……っ!? テメー、テメーだけは絶対に許さねぇ!」
「ファラッ!?」
怒りに燃えたティーチの拳が雨あられと降り注ぐが、それでも仮面男には届かない。その事実を痛感させられ、ティーチは後ろに飛び退いて距離をとる。
「ふーっ、ふーっ……」
「……気が済んだか? ならそろそろ余の話を聞いてみるのも悪くはないのではないか? 今ならほれ、ファラオ焼きもつけるぞ? ミニファラオ君が普及した暁には、こちらも土産物として売る予定なのだ!」
(駄目だ。今の俺じゃコイツに届かねぇ……もっとだ、もっと力を……)
仮面男の戯言を右から左に流しながら、ティーチは己の内に意識を沈めていく。強く、激しく、全ての敵を打ち倒す破壊の力を……そう求めたティーチの脳裏に、不意に父と母の顔が浮かんだ。
『ティーチ、お前には凄い才能がある。父さんどころか、お祖父ちゃんだって及ばないくらい、凄い力だ。だからこそ、その力の使い方を間違っちゃいけないよ』
『私達は先にいってしまうけれど……でも貴方なら平気よ。私達と違って、貴方なら誰かを犠牲にしたりすることなく、大切なものを守れる人になれる。だから私達は、安心して身を捧げることができるわ』
(親父……お袋…………)
これから何が起こるのか、まだ何も知らなかったあの日。ティーチを抱きしめて言う両親の言葉が、今鮮明に蘇ってくる。
(壊す? 違うだろ。俺の力は守るためのもんだ。親父とお袋が守った大事なもんを、俺もこの手で守るんだ!)
『頑張れ、ティー兄ちゃん!』
『負けないで、ティーチお兄ちゃん!』
次いで浮かんできたのは、孤児院の子供達の姿。すさんだ自分の心の中に遠慮無しにズケズケと入ってきて、いつだって元気を満たしてくれた。それは両親が守った未来そのもの。
『どうか私のこの想いが、貴方の大切なものを護ってくれますように……』
「マリアさん……」
そして最後に浮かんだのは、祈りを捧げるマリアの姿。その純粋な愛の力が、ティーチに眠る力に最後の火をつける。
「やってやる……やってみせる! 偉大なるダイ・プッターよ、今こそ俺に、『悟り』の境地を!」
「……なあ、聞いておるか? 悟りも悪いとは言わぬが、己の内なる声とかの前に、まずは目の前にいる人間の声に耳を傾けてみる方が賢明だと思うのだが?」
性懲りも無く自分の心を惑わそうとする金仮面の声を完全に無視し、ティーチは深く静かに心の無明へと魂を沈めていった。





