すれ違う想い
その後は皆が真剣に取り組んだこともあって、座禅体験会はつつがなく終了した。他の参加者達が普通に帰るなか、スタン達だけは呼び止められ、再び休憩室へと戻る。するとそこでは今回もまたジーサンが待ち構えていた。
「お疲れ様でしたお二人とも。座禅体験会はどうでしたかな?」
「うむ、実に有意義だったぞ! まあ、多少の想定外はあったようだが……」
「アンタ、あれを多少で済ませちゃ駄目でしょ! でも、有意義だったって言うのはそうかもね。アタシも初めて身体強化が成功したし……まあ、浮けはしなかったけど」
「ははは……」
スタン達の感想に、ジーサンが微妙に引きつった笑みを浮かべる。そのまましばし雑談に興じ、そのなかでスタンにもう一度光ってもらったり、浮いた理由について話し合ってみたりしていたのだが、そんななかずっとモジモジとしていたアイシャが、控えめに手を上げた。
「あのー、ちょっといいですか?」
「ん? どうしたのだアイシャよ。催したならさっさとトイレに……ファラッ!?」
「違うわよ馬鹿! そうじゃなくて、さっき座禅してるところに入ってきた人は、結局誰だったのかなって……」
スタンの仮面を軽快にひっぱたきながら、言いづらそうにアイシャが問う。漏れ聞こえた内容から他人の家族の問題であることは理解できていたが、それでも聞かずにはいられなかったのだ。
「ぬぅ。アイシャよ、それは……」
「わかってる! わかってるわよ! でもあそこまで聞こえちゃったら、気になって仕方ないじゃない! あ、勿論、無理に聞きたいとまではいいませんけど……」
「いえいえ、構いませぬよ。そもそもお客人の前であのような話をしていたのが悪いのですからな。ただそれでも、私としてはあそこで話すしかなかったのです」
聞かれたくない家の問題なら、別室に移動してから話せばいい。だがジーサンとティーチの関係性がそれを許さず、あの場で話すしかなかった。そんな己の不明を恥じつつ、ジーサンがゆっくりと語り始める。
「あれは一七歳になった私の孫でしてな。元はこの寺院で修行する立派な僧侶だったのですが……」
「何かあったのか?」
「はい。順を追うために少し話が飛びますが……旅をしているということなら、お二人はこの町の有り様というか、この寺院の存在について何か疑問に思ったりはしませんでしたかな?」
「疑問? あー、そういえば、ここって随分とプッター教の影響が強いですよね」
ジーサンの問いに、アイシャが小首を傾げながら言う。
今まで通ってきた町にもプッター教の信者がいなかったわけではないし、寺院だって探せば存在していただろう。だがこの辺りの国で最も多く信仰されているのは間違いなく聖光教であり、事実ここに至るまでの全ての町がそうだった。
だがこの町だけが、寺院のみならず一般的な家屋に至るまでプッター教の強い影響を受けている。ここがちょうど境目で、この先に行けば行くほどこういう町が続いているという可能性もあるので流していたが、この世界の常識が欠けているスタンはともかく、アイシャはそれなりの違和感を感じていた。
そしてその答えを、ジーサンが口にする。
「ははは、でしょうな。実はこの町……というか、この地には少々曰くがありましてな。寺院のあるこの山からは、かつて強い瘴気が漏れていたのです」
「瘴気!? え、嘘、こんな綺麗な山で!?」
「瘴気? 瘴気とは何だ?」
驚くアイシャと違い、スタンは意味がわからずカクッと仮面を揺らす。するとジーサンはその問いに答えつつ、更に話を続けていく。
「瘴気というのは、命を蝕む空気ですな。通常は目に見えませぬが濃くなると黒い霧のように立ちこめ、それに触れるとまるで命を吸われたかのように体が重くなり、最後にはそのまま死んでしまうという凶悪なものです。
今からおおよそ五〇〇年前。この周囲には原因不明の病が流行っておりました。体力のある若者であれば少々体が重い程度で済み、また外から来た旅人にうつったりすることもないので当時はそれほど危険視されておりませんでしたが、ある日そこに立ち寄った旅のプッター教の僧侶が、その原因が瘴気であることに気づきました。
瘴気の出所を探るべく僧侶は山を登り、そうして山の中腹に瘴気を吹き出す大穴を見つけました。外に直接吹き出しているため今は少々危険なくらいだが、放置すればいずれは周囲を死の大地へと変えてしまうかも知れない……そう考えた僧侶は大穴の前で座禅を組み、自分自身を楔として張った結界により、その穴を塞ぎました。
その功績に感動した時の領主様が封印の維持と管理のために立派な寺院を建立し、そこに住まう者達が不自由しないように山の裾野を切り開いて町を作って……そうしてできあがったのが、このチョイヤバダッタの町なのです」
「ほう! そのような曰くのある地であったのか!」
ジーサンのその説明に、スタンは大いに納得する。何故わざわざ山の中腹などという場所に、莫大な金と時間をかけてこれほど立派な寺院を建てたのかと疑問だったが、その理由がわかったからだ。
「そっか。元々寺院ありきで町を作ったから、この町だけプッター教の影響が出まくってるわけね」
「そういうことですな。ただその安寧も、永遠というわけではありませぬ。神ならぬ人の技だけに、結界の力は年を追うごとに弱ってしまうのです。
あるいはダイ・プッター様なら違うのかも知れませぬが、結界を張ったハッサン様は、偉大な僧侶ではあっても神ではありませんでしたのでな」
「えっ!? ちょっ、それ、大丈夫なんですか!?」
思いがけないジーサンの告白に、アイシャが驚きの声をあげる。そんなアイシャに、ジーサンは何処か冷たい笑顔を浮かべて頷く。
「ええ、大丈夫ですよ。ほんの一〇年程前に、結界に力を追加したばかりですから」
「あ、そうなんだ。よかった」
「待て。ジーサン殿、結界に力を追加したというのは……」
ほっと胸をなで下ろすアイシャとは裏腹に、スタンが厳しい声を出す。偉大な僧侶が自分自身を犠牲にして張った結界……そんなものに追加できる力が、そう簡単に手に入るとは思えない。
そしてその予感は、悪い意味で的中してしまう。隠すことも誤魔化すこともなく、ジーサンはただ寂しげに頷く。
「……ええ。スタン殿のお察しの通り。弟子であったトールとカーミラが、その身を町のために捧げたのです」
「……………………」
「身を、捧げた……? え、何それ、待って、聞きたくない……っ!」
言葉に詰まるスタンと、顔を真っ青に染めるアイシャ。しかしジーサンの言葉は止まらない。
「……本来なら、私がその役目を負うべきだったのです。ですが大分終わりに近づいてしまっていた私の命では、結界を張り直すには足りませんでした。かといって私と息子の二人が逝ってしまえば、この寺院を守る者がいなくなってしまう。そして私と義娘ではやはり力が足りず……
だからこそ、あの二人が……この寺院を継ぐ者として、尊い犠牲となったのです」
「……………………っ」
ジッと床に視線を落とすジーサンを前に、アイシャが泣きそうな顔になる。然りとて「他に方法はなかったんですか?」などと問い詰めることなどできるはずもない。誰よりも目の前の老人こそが、息子夫婦のためにそれを血眼になって探したに決まっているのだ。
「では、あのティーチという若者が憤っていたのは……」
「……恨んで、おるのでしょうな。あの子はわずか七歳にして、両親を一度に失ってしまった。その心の傷は深い悲しみだけでは埋め切れず、何かを恨まねば生きていけなかったのでしょう。
その結果、あの子は私を、寺院を、プッター教を、その全てを恨むことしかできなくなってしまった。元は心の優しい子で、私などより遙かに才覚に恵まれた見習い僧侶として将来を嘱望されておったのですが……今となっては…………」
「で、でも! お父さんとお母さんが犠牲になったから、この町とかティーチさんも助かったわけでしょ? だったら……」
「私もいつか、元に戻れたらと思っております。ですがもう、私の声はあの子には届かないのです。それでもいつか……いつかあの子が、両親の守ったものの尊さに気づいてくれればと願ってはおりますが……」
「そんな……そんなのって…………」
「ままならぬものだな……」
誰もが最善を目指した結果、最小限の犠牲で多くの人々が救われた。だがその「最小限」は、幼い子供にとって世界の全てに等しい。それを黙って受け入れろなど、仮面が割れてもスタンには口にできない。
子を思う親の心と、親を思う子の心。受け取り手のいない思いはむなしく宙を漂い続け、室内にはパチパチと炭の爆ぜる音だけが響いていた。





