善意の大木
明けて翌日。スタン達は約束通り、もう一度山の中腹にある寺院を訪れていた。今回も階段で軽く息を切らせながら上ってきたスタン達を見つけ、近くにいたショーサンが声をかけてくる。その流れで寺院の中に案内されると、今回は広間ではなく、昨日も通された休憩室にてジーサンが出迎えてくれた。
「ようこそおいでくださいました、スタン殿、アイシャ殿。ですが本日は御堂の方を別の催しで使っておりましてな。このような場所で申し訳ない」
「いやいや、そのような忙しい時にわざわざ対応していただき、こちらこそ感謝する」
「そうよね。あの、忙しかったら少しくらい待ってても平気ですけど……」
「ははは、お気遣い無く。そちらは弟子の一人が修行の一環として対応しておりますので。それにプッター教に興味をもってくださる方の対応も、住職としての大事な仕事ですからな」
感謝と遠慮を口にするスタン達に、ジーサンが笑顔でそう答える。無論これだけの対応をしてくれるのは、昨日スタンが金貨を喜捨したというのが大きな理由だ。
寺院の経営や弟子達の生活費など、俗世で生きる以上どうしても金は必要になるのだから、気前のいい客にサービスするのは神に仕える者とて例外ではないのだ。
「それで、本日の御用向きは、ショーサンから伝え聞いたことでよろしいですかな? 何でもプッター教の歴史資料などを見たいとか……」
「うむ、そうだ。プッター教というものに興味が湧いたというのも間違いないのだが……ジーサン殿には正直に伝えた方がよかろう。真に余が求めているのは、プッター教の長い歴史……その中にサンプーン王国の記述があるのではないかと期待しているのだ」
「ほう? それは一体?」
自身の宗教をついでのように言われたというのに、ジーサンはピクリと眉を動かしただけで続きを促す。その懐の深さに感謝しつつ、スタンは偽ることなく言葉を続けた。
「昨日も話した通り、余はサンプーン王国のファラオだ。だがこの世界の何処を探しても、サンプーン王国の記録が残っておらぬ。然りとて全てが余の妄想であるなどとかたづけられるはずもなく、その痕跡を追って旅をしているのだが……そこでプッター教の話を聞いてな。長い歴史のある宗教であれば、その何処かでサンプーン王国と関わりがあることもあったのではないかと考えたのだ」
「なるほど。確かにプッター教は、おおよそ二五〇〇年ほどの歴史があるとされています。対して国というのは数百年程度で生まれたり潰えたりを重ねるものが多いですし、政治的な理由で滅びた国の名が隠匿されたり、あるいは単純に語り継ぐ者がいなくて風化してしまったりしますからな。
ですが。うーん……」
「……やはり難しいだろうか?」
考え込んでしまったジーサンに、スタンが仮面を傾けて問うた。するとジーサンは眉間に深いしわをよせたまま言葉をそれに答える。
「そうですなぁ。まず本殿書庫への直接の立ち入りは、流石にご遠慮いただきたい。これはお二人がどうという話ではなく、純粋にプッター教の僧侶以外の立ち入りを禁止しているからとなります。
修行の一環として写本したものであれば、自由に見ていただいて構わないのですが、そちらは外部の方に見ていただくことを前提としたものを選んで写本しておりますので、スタン殿が知りたい情報は記載されていないでしょう。少なくともサンプーン王国なる国の名前が記されたものは、私が知る限りではありません。
ただ、昨日もお話しした通り、プッター教における悟りへの修行の一つ、録の門において、我らは自分の活動を記録することとしております。なので個人の残した活動記録のなかには、その国のことが残されている可能性はあります」
「おお、それは――」
「ですが」
にわかに喜ぶスタンの声を遮り、ジーサンが渋い表情で軽く首を横に振る。
「その記録はあまりに膨大です。全ての記録は総本山に集められますが、私の一存でその全てを調べてくれとは、とても申せません」
「む、それは確かに……」
ジーサンはこのチョイヤバダッタ寺院の住職ではあるが、決してプッター教の一番上……大僧正というわけではない。二五〇〇年かけて総本山に積み上げられた記録を全て調べあげろなどというとんでもない指示を出すほどの権限などないのだ。
「とはいえ、六門を開けて悟りを目指す者として、ただわからぬと突っぱねるなど恥です。幸いにしてこの寺院にも五〇〇年分ほどの記録がありますので、弟子の何人かでそちらを当たらせてみましょう。それでいかがでしょうか?」
「勿論それで構わぬ。ジーサン殿とプッター教の者達の善意の協力に、ファラオとして心からの感謝を贈らせてもらいたい。無論、形あるものでもな」
ジーサンの申し出に、スタンはキラリと仮面を輝かせながらそう告げつつ、腰の鞄に手を入れる。そうして取り出したのは、金色に輝く硬貨が三枚だ。
「スタン殿!? それは流石に多すぎますぞ!?」
「いいのだジーサン殿。善意とは木と同じだ。多くの者がただ縋り付くだけでいれば、どれほどの大木でもいずれは折れてしまう。だがその恩恵を受けた者がしっかりと支えてやれば、その幹はより太く強くなり、長きに渡って人々の拠り所となることができる。
余はファラオ……持つ者だ。ならば受けた善意にはそれ以上で返す。もしも多いと思うのであれば、それを次に縋ってきた者を助けるためのよすがとしてもらえれば十分だ」
「スタン殿……そうまで言われては、お返しするほうが無礼ですな。ではありがたく頂戴致します」
堂々たるスタンの言葉に、ジーサンは深く一礼する。そこに込められているのは単なる金持ちの気まぐれに対する感謝ではなく、真に誇りある者に対する敬意だ。
「では、早速弟子達に仕事を頼んでおきましょう。とはいえすぐに終わるような作業ではありませんので、できれば五日ほどはいただければと思いますが……」
「その程度であれば、何の問題もない。無理に急がせる必要もないので、そちらの日常に支障が出ない範囲で頑張ってくれればよいぞ」
「畏まりました……時にお二人は、この後は何かご予定はありますかな?」
受け取った金貨を大事に懐にしまい込むと、ジーサンがそう問うてくる。その言葉にスタンはアイシャと顔を合わせてから、改めてジーサンの方に向き直って答えた。
「いや、特に決まっている予定があるわけではないが……それがどうかしたのか?」
「実は今、本堂の方で座禅の体験会をやっておりまして。もしよろしければ、お二人も参加していかれませんか?」
「座禅?」
「はい。静かに座り込み、心を落ち着けることで己と向き合う、プッター教の修行の一つですな。ごちゃごちゃとした悩み事を纏めたり、集中力を向上させたりする効果がありますので、一般の方にも人気の催しですぞ」
「ほう。それもまた興味深いな。余はやっていきたい感じだが、アイシャはどうだ?」
「アタシもいいわよ。てか、結局アタシここまできて何もしてないし、このまままたすぐ階段降りて帰るんじゃ、それこそ疲れただけで終わっちゃうじゃない!」
「ははは、であればそちらもすぐに手配いたしましょう。少々こちらでお待ちいただけますか?」
「うむ、よろしく頼むぞ、ジーサン殿」
「集中力……ひょっとして身体強化の訓練とかにならないかしら?」
「む? 言われてみれば、確かにそちらの役にも立ちそうだな」
一礼して部屋を出て行くジーサンを見送りつつ、スタンとアイシャがそんな会話を交わす。そうしてしばし待つとショーサンがやってきて、二人は今日もまた広い御堂へと案内されていった。





