ファラオアント
緩やかな下り坂の通路を、スタン達はゆっくりと歩いていく。幾度かの折り返しを経て予想より大分長い距離を進んだ先に待ち構えていたのは、一片五メートルほどのアリの巣としては規格外に大きな部屋と、その中央に鎮座する巨大なアリの姿であった。
「うわ、おっきー! ねえねえミムラ、ひょっとしてあれが女王様?」
「あれで違ったら、むしろびっくり」
土を削って作られた椅子に見えなくもない台座に腰掛けているのは、体長三メートルほどの女王アリ。もっともその体躯を占めるのはほとんどがでっぷりと膨れ上がった下半身であり、上半身はローズとさして変わらない細身である。
「あれは……っ」
だがシーナやミムラが女王アリの威容に驚く隣で、ローズだけは女王の側に控える二匹のアリに意識を向ける。他のアリ達は全て黒いというのに、その二匹だけは真っ赤な体を持っており、背中には羽が生え、しかも二本の足で直立しているその身長は一八〇センチほどと、女王を除いたこの場の誰よりも高い。
「ナイトアント……っ!」
カチカチカチカチ!
「ふむん? なるほど、女王を守る近衛兵か。確かに勇壮な出で立ちだな」
ガチッ!
案内してきたホーンドアント達の意思をくみ取ったスタンがそう褒めると、赤い羽アリ……ナイトアントがガチンと力強く顎を打ち鳴らす。だがそれを聞かされたローズの額には、知らず冷たい汗がしたたる。
「ローズさん? 大丈夫ですか?」
「ああ、大丈夫だエミリー。だが……」
ナイトアントの討伐難度はC級上位。クイーンよりは下だが、クイーンの難度は事実上巣を丸ごと潰す時の難易度なので、個体としてはナイトアントがアント系の魔物のなかでは最も強いことになる。
加えてローズ自身はC級冒険者。同格か下手をすれば格上の相手が二匹となると、パーティ全員と万全で挑んでも勝てるかは怪しいところであり、ましてや相手の巣の中となれば、生きて外に出ることすらほぼ不可能だとわかってしまう。
(これはいよいよもって、襲われれば生還は難しいな……)
「お初にお目にかかる、女王殿。余はサンプーン王国二八代ファラオ、イン・スタン・トゥ・ラーメン・サンプーンである!」
カチカチカチカチッ!
そんなローズの内心を慮ることもなく、スタンは対面したクイーンアントに堂々と名乗る。するとクイーンもまたカチカチと顎を打ち鳴らし、何かを答えた。
「ねえスタン、女王様は何て言ってるの?」
「うむ、一応は歓迎してくれているようだが……む?」
アイシャに問われて通訳するスタンを前に、真っ赤な羽アリ、ナイトアントの片割れが動く。スタンに対して詰め寄ろうとしたようだが、それをもう一匹のナイトアントが制した。
ガチガチガチ!
ガチガチガチガチ!
「……な、何? 何か揉めてる感じ?」
「どうやら余が思ったよりも強くなさそうなので、何故このような者に仕えねばならぬのかと言っているようだな」
「えー、それは酷くない? スタン君は呼ばれたから来たんだよ?」
「でもスタンが強そうに見えないのは、同意せざるを得ない」
スタンの説明に、シーナが抗議しミムラが頷く。だがスタンはそれを気にした様子もなく、スタンは軽く笑い声をあげた。
「ハッハッハ、構わぬよ。余は招かれたから来ただけであって、どうするかはそち達が己の目で見極め、決めればよいだけのことだ。それで、どうするのだ女王よ。数百の民を束ねるそちは、余に何を求めるのだ?」
カチ…………
スタンの問いかけに、クイーンアントは一度顎を打ち鳴らしてから黙り込む。誰もが固唾をのんで次の言葉というか音を待つなか、一匹のアリが静寂を崩した。
カチカチカチカチッ!
ガチッ!? ガチガチガチッ!
カチッ!? カチカチカチッ! カチカチカチッ!
「え、今度は何?」
「どうやら余達を案内してきたホーンドアント達が、余に仕えるべきだと進言し、それを近衛であるあの赤い……ナイトアントだったか? が不敬だと咎めたのだ。だがこの者が一歩も引かずに食い下がり……ん?」
カチカチカチッ!
ブルブルと体を震わせながらも顎を鳴らし続けるアリとは別に、もう一匹のアリがスタンの足下に縋り付いてくる。
カチカチカチ! カチカチカチカチ!
「それは構わんが……いいのか? あれの影響は大分大きいぞ?」
カチッ!
「そうか……わかった」
その切なる申し出に、スタンはカクッと仮面を揺らして大きく頷く。だがその態度に、アイシャが慌ててスタンに声をかけた。
「ちょっとスタン、何する気!? まさかゴブリンジェネラルを倒した時みたいなのを、こんな地下でやるわけじゃないわよね!?」
「当たり前だ。あの日見た王の輝きをもう一度見せて欲しいというので、やってやろうと思ってな」
「輝きって……あ、あのピカッとしたやつ? まあそれならいいけど……じゃあちょっと下がるわね」
光るだけなら実害はない。そう思ったアイシャは、まぶしさを少しでも和らげるためにローズ達のいるところまで下がった。それを確認したスタンは一度小さく頷いてから、改めてクイーンアントの方に向き直る。
「ではゆくぞ……刮目せよ、これぞ余の『王の威光』なり!」
足を揃えてまっすぐに立ち、胸の前で両手を交差させてポーズを取りつつ、スタンが宣言した瞬間、スタンの仮面が黄金の光を放った。
それこそまさにファラオの光。数多の民の夢、希望、未来の集約にして、国土を照らす王の威光。それは昨日のうっかり漏れ出た時とは比較にならない輝きを持って、ホーンドアント達の巣を余すことなく照らしていく。
「「「……………………」」」
人もアリも、その光を前に全てを失う。ファラオに対する尊い想いだけが魂を満たし、ただ静かに頭を垂れるのみ。
「えっ……?」
そんななか、アイシャだけはその目から知らずに涙をこぼした。そっと手で拭ってみたが、どういうわけか涙が止まらない。
眩しすぎるからか? それなら目をそらせばいい。だというのに輝くスタンからアイシャは目をそらせない。弱くか細く、それでも繋がっている何かが、その涙を止めてはくれない。
「何なのよもう……っ! スタン! 眩しいからそのくらいにしときなさい!」
「む、そうか? わかった」
そんなアイシャの呼びかけに、スタンは仮面の輝きを抑え込んだ。仮面を被りし者の王たる資質を輝きに変える機能が停止し、巣の中に宵闇の如き穏やかな明るさが戻ると、どこからともなく音が響いてくる。
カチ……カチ……
カチカチカチカチ……
カチカチカチカチカチカチカチカチ!
それはファラオの光に触れたホーンドアント達が、感動に顎を打ち鳴らす音。津波のように押し寄せる歓喜の響きが巣全体を揺らし、スタン達のいる女王の間まで届いてくる。
ガチンッ!
その音に、力強い音が混じる。ファラオの光を間近で浴びたナイトアント達は、己の不明を恥じるように全力で顎を打ち鳴らす。スタン達を案内してきたホーンドアント達もそれを聞いて嬉しそうに触覚を揺らし、カチカチと歌うように顎を鳴らす。
カチーン!
そうして眷属全ての音を聞いた女王が、最後にひときわ大きくその顎を鳴らした。
偉大なる王に下るは、降伏ではなく幸福である。皆一様に言祝ぎ鳴らし、我らの繁栄をファラオに捧げよ! その一打ちに巣に響く音がひときわ大きくなると、スタンはそっとクイーンアントに近づいていった。
「決まったようだな。ではこれは、余からの祝福だ。これを以て正式にそち達を余の配下とし、その証としてこれを進ぜよう。ファラオープン!」
クイーンアントの体をよじ登り、その額に生えた立派な角に<王の宝庫に入らぬもの無し>から取り出したミニファラオ君をそっと被せる。するとクイーンアントの角が激しい光を放ち……そして次の瞬間。
ポンッ!
「「「えっ!?」」」
スタン以外が驚きの声を上げる前で、クイーンアントの頭部にスタンの仮面とよく似た飾りが出現する。それと同時にクイーンアントの全身が淡い金色に染まり、辺りに青リンゴのような甘く清涼な香りが漂い始めた。
「今日よりそち達はホーンドアントに非ず! 偉大なるサンプーン王国の民、ファラオアントなり!」
カチーン!
スタンの宣言に、女王は魂を震わせてその顎を打ち鳴らした。





