なんてことのない苦戦
「では、次は君達の番だな!」
そう言っていい笑顔をするローズの言葉に、一同は次の目撃地点へと移動していった。そうしてしばらくすると、今回もまた遠くにいるホーンドアントの斥候部隊を先に発見することに成功する。
「今回もこちらが先に発見したが、二人には奇襲ではなく、あえてここで立ち上がって向こうが襲ってくるのを待つ形にしてもらう。その際私達は少し離れたところで待機していて、万が一君達が危険な状況に陥ったならば戦闘に介入しよう。
だが、逆に言えばちょっとした怪我や苦戦程度では手を出さないから、そのつもりでいてくれ」
「わかった。では行くか、アイシャよ」
「いいわよ、やってやるわよ!」
ローズの言葉に、スタンとアイシャがその場で立ち上がり、ゆっくりと前に歩き出す。すると程なくしてホーンドアント達もまたスタン達に気づき、シャカシャカと高速で近寄り始めた。
それは先ほどと同じ光景。だがあの時は外から見ているだけだったが、今回は自分たちこそが当事者だ。
「やはり他人が襲われるのを見るのと、自分が襲われつつあるというのは違うな」
「当たり前じゃない、何よ今更」
スタンの漏らした感想に、アイシャが呆れたように言う。見学という休憩を挟んだとはいえ未だに気力体力共に疲弊したままだが、それでも剣を構えて戦えないと言うほどではなくなっている。
「ま、やれるだけやってみましょ。頼りにしてるわよ、スタン!」
「任せよ! ファラオの力を見せてやろう!」
ガサガサガサガサッ!
気合いを入れる二人の足下に、遂にホーンドアント達がたどり着く。敵の数は七匹と、さっきよりも一匹少ない。が、自分達の人数は二人……つまりさっきの半分だ。数の優位は端から望めず、スタンは素早く足を引っ込めてホーンドアントのかみつきを回避する。だが……
「くっ、的が小さいというのは狙いづらいな!」
「いきなり斬るより、まずは踏みつけるの!」
アリとしては超巨大だが、魔物としてはかなりの小型であるホーンドアントに翻弄されるスタンに対し、アイシャが自らも動き回りながら助言を飛ばす。
ホーンドアントは、単体であればそう強くはない。適当に頑丈な棒にでもわざと噛みつかせてから胴体を踏みつけて固定し、棒を倒して首をねじ切れば簡単に殺すことができる。
だが、ホーンドアントが単体で行動することはない。巣から出るときは最低でも五匹組となっているため、誰かの討ち漏らしが巣に逃げ帰るのを見つけた時くらいしかその戦法は使えないのだ。
ならばどうするか? それが踏みつけだ。高速で動く上に堅く弾力のある甲殻に包まれたホーンドアントの背を踏みつけ、首の付け根に剣を突き刺して仕留めるのが一般的なホーンドアントの倒し方であり、スタンもそれを狙っているのだが……これがなかなか上手くいかない。
「このっ! っと!?」
ドスンと踏みつけようとするも、ホーンドアントの体が素早くその場を離脱する。しかも踏み下ろして一瞬動きの止まった足に、別のホーンドアントが噛みつこうとしてくるから始末が悪い。スタンが慌てて足を引き戻すと、さっきまで足首のあった場所にガチンとホーンドアントの顎が空振りする。
「これは思ったよりずっと厄介だな」
強さというのであれば、ホーンドアントは決して強くない。少し前の戦ったゴブリンの方がよっぽど強いくらいだ。だが小さく、素早く、それでいて顎という一撃必殺の武器を持ち、なおかつ数がいるというのは予想を超える脅威。なるほどこれならE級の依頼にならないはずだと関心してみるものの、スタンの足はなかなかホーンドアントを捉えられない。
「このっ! くそっ! えいっ、えいっ!」
そしてそれはアイシャも同じだ。なかなか踏みつけることができないだけでなく、仮に踏みつけられたとしても、残した軸足の足首を囓られてはたまらない。かといって闇雲に剣を振っても体高の低いホーンドアントには有効打にならず、時間と体力だけがじりじりと消費されていく。
「あーもう! これなら三倍くらいでっかい方がよっぽど戦いやすいわよ!」
「だな! せめてもう一人いれば違うのだろうが……」
どちらかが囮になって敵の攻撃を引きつけられれば違うのだろうが、生憎とスタンもアイシャもローズの持っていた<挑発>のような魔導具は持っていない。無論ファラオの秘宝を使ってしまえば一瞬で片がつくが、今回は自分を鍛えるという目的がある以上、その手は最後まで選べない。
となれば、必要なのは手数である。二対七だと一人で三から四匹を相手にしなければならないが、一人味方が増えれば均等に数がばらけても二、三匹、場合によっては一対一で戦える状況も十分あり得るので、そうなれば簡単に数を減らすことができる。
圧倒的な力を前にすれば数など無力だが、そうでないのであれば数は即ち力。今まさにそれを味わわされているからこそ、スタンは思わず歯がみをしてしまう。
「スタン君! アイシャ! さっきの訓練を思い出すんだ!」
と、そこでローズが大きな声で呼びかけてくる。そんなことをして大丈夫なのかとスタンはわずかに訝しんだが、魔物だろうとアリは所詮アリなのか、実害がない声には反応せずにスタン達から狙いが逸れることはないらしい。
「魔力による身体強化だ! 極限の戦闘中にこそ、あの感覚が生きるものだぞ!」
「まあ、極限とはほど遠いけどねー」
「二人とも頑張れ!」
「ファイトです!」
「そんなこと言われても……」
ローズ達からの助言というか応援の言葉を受け取ったアイシャは、しかし困ったような顔つきのまま。今回は初めてだったこともあり、単純に気持ち悪かったという印象の方が強すぎて、正直体の中を蠢く魔力の動きにはピンときていないのだ。
「むぅ……」
そしてそれは、スタンも似たようなものだ。生まれたときから常に体の中を巡っているのだと言われても、血液の流れを感じられないように、魔力の流れも感じられない。何らかの外的要因なしでそれを理解する境地は、まだまだ遠そうに思えてならない。
(これはどうしたものか。もっと深く集中してみるべきだろうか? だがこの状況でそんなことをすれば――っ!?)
「おい、アイシャ! 後ろだ!」
「えっ!? あぐっ!?」
必要に駆られて意識を分けた結果、注意力が緩んでしまったアイシャ。その足首に背後に回り込んだホーンドアントがガチリと噛みついた。すぐにアイシャは足を引いたが、いくらか歯の食い込んだ足首の肉が避け、辺りに血の臭いが漂う。
「きゃあ!?」
その結果、痛みで足の踏ん張りを奪われたアイシャが地面に転がる。姿勢が低くなるということは、腕も腹も首も、その全てがホーンドアントの攻撃射程に入るということで……ザザッとアイシャに集まるホーンドアントに対し、スタンもまた素早くそちらに駆け寄ろうとする。だが……
「しまっ!?」
ここに来て、今までずっと蓄積していた疲れが出た。わずかな疲労と焦りがほんの少しだけ踏み出す足の位置を間違え、小石を踏んでしまったことでスタンの体制が崩れる。
無論、だからといって無様に転んだりはしない。二、三秒かけて蹈鞴を踏んだ体を起こせば再び駆け出せる。
だが鉄をもかみ砕くホーンドアントの顎が、柔らかな人肉を囓るのに一秒だってかかるはずもない。故にスタンは反射的に<空泳ぐ王の三角錐>を飛ばそうとし……しかしその瞬間、スタンの目の前に現実とは違う光景が広がった。
『早く火を消せ!』
『医療班は何処だ!?』
舌なめずりをするように広がる炎は宮殿を真っ赤に染め上げ、周囲には兵士達の怒号が飛び交う。そんな地獄を覆い隠すかのように、一人の女性が顔を近づけてくる。
『貴方は我ら全ての希望、だからどうか生き延びてください』
ぎゅっと首に抱きついた感触が、火傷しそうなほどに熱い。夜の闇よりなお蒼い髪の毛がスタンの仮面にかかり、琥珀色の瞳から涙があふれてこぼれ落ちる。
(アーイシャ)
『さようならスタン……愛しております、我が王よ』
瞬きほどの時を経て、幻が幻と消え現実に戻る。そうして婚約者の姿が、名前以外は特に似ているところもない娘の姿と重なったその時……スタンの仮面から黄金の輝きが迸った。





