実力と巡り合わせ
その後三〇分ほど移動を続けると、やがて平原の向こうに、ワシャワシャと動く黒い影の一団が見えた。手で制止を告げるローズに習い、全員が足を止めて身を低くする。
「見つけた。ホーンドアントの斥候部隊だ」
遠目に見えるのは、角のついたウサギほどの大きさのアリが八匹。触覚を動かしながらそこそこの速さで移動するホーンドアントを前に、全員が相談を始める。
「八匹かぁ。まあ普通だねー」
「いつも通りにやれば、あのくらいは楽勝」
「こら二人とも、油断するな! 確かに斥候ならホーンドアント最大の脅威である数で攻められることはないだろうが、それでもあの強靱な顎は、鉄の鎧すら貫通してくるんだ。腕や足に噛みつかれたら骨まで達する傷になるんだぞ」
「そうですよ二人とも。そりゃ私の魔法である程度は治せますけど、痛い思いはしない方がいいでしょう?」
「べ、別に油断したわけじゃないしー! ねーミムラ?」
「私はしてない。ただ厳然たる事実を言っただけ。でもシーナは知らない」
「えぇ、そこでそういうこと言う!?」
「ほら、いい加減にしないか!」
いつものように軽口を言い合うシーナとミムラに、ローズが若干呆れた声を出す。とはいえ本当に油断しているわけではないのは動作を見ればわかるので、ローズは二人をそのままにスタン達の方に顔を向けて声をかけた。
「ではスタン君とアイシャは、少し離れて……そうだな、エミリーから更に三歩ほど離れたところで様子をみてくれ。問題はあるかい?」
「いや、余は大丈夫だ。アイシャはどうだ?」
「アタシも平気よ。疲れてはいるけど、流石に遠くで見学するだけの状況でヘマするほどじゃないわ」
「結構だ。では皆、行くぞ!」
そう言うと、ローズがその場で立ち上がり、背中の盾を下ろして構える。女性にしては高めな身長は何もない平原ではすこぶる目立ち、すぐにこちらを見つけたホーンドアント達がカサカサと高速で近寄ってきた。
カチカチカチカチ……
「ふふ、そんな威嚇音で私がひるむはずがないだろう! <挑発>!」
キィィィン!
手にした大盾を地面に打ち付けると、一瞬金属同士が打ち合ったような硬質な音があたりに響く。するとホーンドアント達の注意が一斉にローズに集中した。
「今のは何だ?」
「ローズさんの盾の下部分には魔導具が仕込んであって、ああやって打ち付けると注意を引きつけることができるんです。ただ……あ、始まります!」
戦闘に入って意識が切り替わったからか、スタンの疑問にごく普通に答えていたエミリーだったが、説明を終えるより先に戦闘が開始されたことでその意識をローズへと戻す。
ならばとスタンも意識を戦闘に向けると、そこではちょうどローズの盾に三匹のホーンドアントが飛びかかっているところだった。
「フッ、甘い!」
盾の横から噛みつこうとするホーンドアントに対し、ローズは上手く立ち回って正面から受け止める。如何にホーンドアントの顎が強靱とはいえ、盾のわずかな丸みに牙を立てられるほどではないのだ。
「シーナ!」
「お任せー!」
そうしてローズが囮になっているところに、ゆっくりと群れの横に回り込んでいたシーナが飛び出し斬りかかる。無警戒に横腹を晒すホーンドアントに一足飛びで近づくと、頭と胴体の境目を狙って一閃。あっという間に二匹のホーンドアントの首を飛ばした。
カチカチカチカチ!
「おっと、そうはさせん! <挑発>!」
カチカチと顎を打ち鳴らしてシーナの方に向かおうとするホーンドアントに、ローズが再び盾を地面に叩きつけて注意を引く。その隙を突いてシーナが更に一匹の首を飛ばすと、また注意がシーナの方に向き……
「<挑発>! ……チッ、これ以上は無理か」
三度目の<挑発>は、しかしホーンドアントの意識をチラリと誘導することしかできなかった。だがその一瞬でシーナが身を翻すと、今度はローズも後ろに下がる。そうしてホーンドアントと仲間達の間に距離が出来たところに、ミムラが手にした杖を振りかざして完成した魔法を解き放った。
「<爆裂火炎>!」
ギュルンと丸く凝縮された火球が生み出されると、ホーンドアント達の中央目掛けて飛んでいく。それが着弾した瞬間、火の気などない平原にゴウッと猛火が広がった。
ギ、ギギ、ギギギ…………
「着弾確認! シーナ、とどめを刺すぞ!」
「りょうかーい!」
脂の焼ける臭いが広がり、焼け焦げた体を動かそうと必死になるホーンドアント達に、ローズとシーナの剣が次々ととどめを刺していく。そうしてわずか数分の戦闘にて、ホーンドアントの斥候部隊は危なげなく討伐終了となった。
「残敵の掃討を確認……ふぅ。二人とも、もう出てきてもいいぞ!」
「素晴らしい! 実に見事な手並みであった!」
「本当、凄かったわ!」
呼ばれて後方から出てきたスタンとアイシャが、口々にローズ達を褒め称える。無駄のない戦法と完璧な連携は、教本に載せたいくらいの出来映えだった。
「これで私達がホーンドアントくらいに後れを取らないことは理解してもらえたかな?」
「うむ! これならば何の問題もないだろうが……一つ質問をしても構わぬか?」
「ん? 何だい?」
「そちの使っていた技……<挑発>か? 回数を重ねるごとに効果が弱くなったようだが、あれはどういうことなのだ? エミリーからは途中までしか聞けなかったのでな」
「そうなのかい? なら改めて説明しよう。<挑発>は、魔物の角に蓄積された魔力に強い魔力の波動をぶつけることで注意を引きつける魔法で、私が使っているのはその効果が込められた魔導具だな。これを売っている商人によると、その効果は角に直接剣を叩きつけるのと同じくらい衝撃を与えるらしい。
が、逆に言えばそれだけだ。ホーンドアント程度の相手なら完全に意識を引きつけることもできるが、短時間に繰り返せばすぐに慣れてしまうし、強い興奮状態だと無視されることもある。
それでも一瞬注意を引くことくらいはできるから、正しく使えば有用な魔導具……と言ったところか」
「なるほど。確かに有用な魔導具だな。まあ余が使うのであれば、何処かに放り投げて使うような運用法になりそうだが」
「あ、じゃあアタシも! って、これ聞いてもいいのかわかんないんですけど……」
「何だいアイシャ? 今の戦闘に関することなら、何でも聞いてくれていいよ?」
「なら……えっと、エミリーは何もしてなかったけど、よかったのかなって。ひょっとしてアタシ達の護衛に残してくれたとかですか?」
パーティを組んでいるのに、何もしない者がいる。その疑問を遠慮がちに口にしたアイシャに、ローズはニッコリと笑って答える。
「ああ、そういうことか。違うよ、エミリーは基本的には戦闘に参加しないんだ」
「それは……いいんですか?」
言って、アイシャがローズだけでなく、シーナやミムラの方にも顔を向ける。パーティの報酬は基本等分なので、何もしない人がそれを受け取ることに思うことはないのかという疑問だったが、シーナもミムラもそれを気にした様子はない。
「アイシャの言いたいことはわかるけれど、これはちゃんと皆で話し合ったことだからね。勿論どうしても手数が必要な場合とかは戦ってもらうこともあるけれど、そうでないならエミリーが前に出るのは、逆に戦いづらくなってしまうんだよ。
それにエミリーは私達のパーティの切り札だ。たとえば私やシーナが怪我をしたら、本来ならわずかな時間とはいえ後方に引いて回復薬を使ったりしなければならない。だがエミリーが控えていてくれれば、背後から魔法で癒やすことでそのまま戦闘を続行することができる。これは極めて大きな違いだ。
それに、戦闘中のみならず移動中だろうと怪我をすることはあるし、植物系の魔物に気づかない間に毒や麻痺の状態異常を食らわされることもある。そういうときにもエミリーがいてくれれば大抵はなんとかなる。
エミリーは確かに戦わないが、戦う以上の働きをしてくれている。それを皆が理解しているから、むしろお願いしていてもらっているくらいだよ」
「だよねー。エミリーがいなかったら、私もう三回くらい死んでる気がするし」
「その通り。エミリーがいなかったら、シーナのお尻は今頃一二個に割れている」
「何でそこでお尻なの!?」
「前の依頼でカジリトカゲに食いつかれてたの、もう忘れたの?」
「うぐっ……ま、まあ、お尻は大事だよね……」
ミムラにジト目を向けられ、シーナがサッと自分の尻を手で押さえる。そんな彼女らの様子に、アイシャがぺこりと頭を下げて謝罪の言葉を口にした。
「教えてくれてありがとうございます。あと、ごめんねエミリー、変なこと聞いちゃって……」
「いえ、気にしないでください。というか、普通気になりますもんね。もしあの時ローズさんに声をかけてもらえなかったら、きっと今頃は……」
「それもまた巡り合わせということか」
「はい!」
スタンの言葉に、エミリーが笑顔で答える。自分とアイシャが出会ったように、エミリーもまたローズに出会った。そして今こうして自分とも出会っているという流れに、スタンはそっと空を仰ぎ見る。
(余は……再びサンプーン王国の者達と会うことができるのだろうか……?)
その疑問に答えはなく、ただ想いだけが青空へと吸い込まれていった。





