間話:男爵の芸術
「男爵様、お客様がお着きになりました」
「わかった」
スタンとの邂逅から三日後。使いに出した馬車が屋敷に到着したとの知らせを受け、ドフトリアンが正面玄関まで出向く。そこには別に客をもてなす心があったわけではなく、怪しげな詐欺師が自分の目の届かぬところで家を歩くのが嫌だっただけだ。
故に珍しく、ドフトリアンは誰かを待たせるのではなく待つ立場に甘んじる。そうして扉が開くと……そこに立つスタンの姿は、男爵の予想を遙かに超えるものだった。
「……っ!?」
美しく艶やかな光沢を放つ白地に、それ自体がほのかな輝きを放っているかのような金糸で精緻な刺繍の施された服。それは貴族であるドフトリアンの目から見ても明らかな高級品であり、自国の王であろうと身に纏えるとは思えぬ逸品だ。
「おお、男爵殿! 出迎えてもらえるとは嬉しいな」
「……あ、ああ! いや、ワシが招いたのだから、そのくらいはな」
その服に一瞬呆気にとられたドフトリアンだったが、すぐに意識を戻してそう告げる。だがドフトリアンの頭の中では激しい混乱が渦巻いていく。
(何だあの服は!? あれを売るだけでも、王都の一等地に豪邸が建つぞ!? そんなものを何故詐欺師如きが……いや、それが此奴のやり方というわけか)
確かにこれほどの服を着ていれば、下民のみならず貴族であろうとコロリと騙されてしまうことだろう。だが既に真実を見抜いているドフトリアンは騙されない。それどころかこの男を捕まえれば、仮面に加えてこの服まで手に入ると考えれば、むしろ欲望で口元が緩むのを必死に我慢しなければならないほどだ。
「流石はファラオ殿だ、まさかそれほど上等な服を着ておられるとは。その仮面もそうですが、サンプーン王国というのは随分と豊かな国のようですな」
「ハッハッハ、そうだな。だが男爵殿の家とて負けてはおるまい?」
ドフトリアンの見え透いたお世辞を笑って流しつつ、スタンが近くに飾られていた芸術品の側による。そこにあったのはまるでカエルのように極端にしもぶくれした顔を持つ、太った女性の全裸立像だ。一見すれば悪趣味極まりない造形のそれを、しかしスタンはしっかりと観察してから褒め称える。
「これなどは素晴らしいな。この頬の丸みは、豊穣と母性を現したものであろう。腹のたるみは欲であろうが、欲というのは人が前に進むための力だ。特にこれは満たされた食欲の象徴であろうか? うーん、本当に素晴らしい」
「わ、わかるのか!? その像のよさが、スタン殿にも!?」
今までここにやってきてその像を見た者は、上辺だけは褒めても内心では見下し馬鹿にしていた。だが像の本質を捕らえたスタンの感想に、ドフトリアンの心が色めき立つ。するとそんなドフトリアンに、スタンが軽く笑いながら言葉を続ける。
「うむ、わかるぞ。この場所に集められている品はおおよそ同じ方向で纏められているようだが……これほどの真品を集めるのは難しかったのではないか? 豊穣の丸みと醜く太った丸みの違いを理解できぬ者は多いからな」
「そうなのだ! このワシが心血を注いで集めたというのに、どいつもこいつもこれらの品のよさをまるで理解せん! 挙げ句に単に丸ければいいだろうと下らぬ駄作を売りつけてくる輩までいるほどだ! まあそいつには領地の追放を命じたが」
「そうなのか。まあ誰もが審美眼を持っているわけではないからな。とは言え美術商を名乗るのであれば、せめて宝石と石ころの区別くらいはつけて欲しいものだが」
「然り然り! そう言うことなら話は別だ! 晩餐の前に、是非ともワシのコレクションを見てくれ!」
「おお、それは楽しそうだ。是非お願いしよう」
当初の予定を変更して、ドフトリアンは上機嫌で自分の集めた芸術品をスタンに見せていった。無論相手が詐欺師であることを忘れたわけではなかったが、スタンの造詣は驚くほどに深く、時にドフトリアンすら気づいていなかった作品の一面を切り出したりもしたため、ドフトリアンのなかにスタンに対する親愛の情がみるみる膨れ上がっていく。
(……はっ!? いかん、いかんぞ! 所詮は詐欺師。こうやって人の心に入り込むのが此奴等の常套手段なのだ。これ以上はいかん!)
「さ、さてファラオ殿。そろそろ晩餐を始めたいと思うが、如何か?」
「おっと、そうであった。男爵殿の蒐集品が実に素晴らしかったのでうっかりしておったが……ではお招きに預かろう」
(ぐっ……が、我慢だ……)
スタンともっと芸術について語り合いたいという気持ちと共に、もし小遣い程度の額であれば黙って騙されてもいいのではないかと思い始めていたドフトリアンは、その誘惑を振り切って食堂へと移動する。するとすぐに準備の終わっていた料理が出てきて、二人は揃って食事を始めた。
「どうかねファラオ殿。我が領で採れた食材の味は?」
「うむ、美味いぞ。素朴ながらも生命力に溢れた、力強い味だ」
「それはよかった……まあそうなったきっかけは、ファラオ殿が色々とやってくれたらしいがね」
「フフフ……確かに男爵殿に無断で手を施しはしたが、然りとて男爵殿に都合の悪いことはしておらぬつもりだが?」
「それは……」
スタンの問いに、ドフトリアンが言葉を詰まらせる。確かにスタンがしたことは村での炊き出しや畑の作物の改善、下民に上等な服を着せるなどで、そのどれもが犯罪ではない。相当無理矢理に罪を作るなら領主に対する不敬罪くらいだが、それこそ実質的には何の被害も生じていないという証拠にしかならないだろう。
「それに、やってよかった。余はここにきて、改めてそれを確信したぞ」
「何故だ?」
今度は逆に、スタンの言葉にドフトリアンが問い返す。するとスタンはパカリと開いた仮面の口元を拭ってから、フォークを置いてドフトリアンの方に仮面を向ける。
「惜しいからだ。先程の芸術鑑賞でわかったが、男爵殿は素晴らしい審美眼を持っているようだ。だからこそ惜しい」
「惜しい? ファラオ殿、意味がわからんのだが?」
「わからぬか? ならば問うが……男爵殿はこの地の領主だ。であればそこにある全ての物、そこに住まう全ての民は男爵殿の物である……間違いないか?」
「当然だ! ワシの領地なのだから、草木の一本までワシのものに決まっているであろう!」
「うむうむ、その通りだな。だがそういうことならば、この男爵領そのものが男爵殿の大きな家ということにならないか?」
「……うん?」
その言葉に虚を突かれ、ドフトリアンは思考を巡らせる。確かに全ての財が自分の物なのだから、それを内包する領地は邸宅と同じ……そう考えることに違和感は感じない。
「確かにそうだな。全てワシのものなのだから、男爵領はワシの家のようなものだ。だがそれがどうしたというのだ?」
「考えてみるのだ。領地全てが家だとするなら、あの村は前庭といったところだろう。領都が玄関や応接室で……この屋敷は男爵殿の私的な空間故に、寝室といったところか?
であればそうやって想像してみよ。庭先には枯れかけた花がまばらに植わるだけで、客を出迎える広間は薄暗く埃が積もっている。余人の立ち寄らぬ寝室だけが豪華な邸宅など、あまりにもみすぼらしいではないか」
「なっ!?」
言われて、ドフトリアンは頭の中にその光景を思い浮かべる。貴族は見栄を張るものであり、恥には敏感だ。だからこそ自宅には力を入れて選りすぐりの芸術品を集めていたというのに、それ以外の部分……真に人目に触れる部分がオンボロのままでは何の意味もない。
「確かに、それは……いやしかし、そんなものどうしろというのだ!?」
「決まっておるではないか、手入れをすればいいのだ。領地の手入れは領主の仕事であろう?」
語気を荒げるドフトリアンに、スタンはそう言ってカクッと仮面を揺らした。





