間話:男爵の思惑
「何だこれは!?」
寒村に似合わぬ黒塗りの馬車から、でっぷりと太った貴族服の男が降りてくる。そうして目にした光景に、ドフトリアン・デブラック男爵は思わず声をあげてしまった。
「これがあの村だと!? おい、どういうことだ!?」
「さ、さあ? 私もここまでとは……」
御者台に座っていた使用人にドフトリアンが詰め寄るも、使用人の方もひたすらに困惑することしかできない。半分しなびた作物がまばらに生えているだけだった畑は取り切れないほど豊かな実りを見せつけ、痩せ細るか、あるいは水の飲み過ぎで腹の出っ張っていた領民達は健康的な体つきになっており、その身に纏う襤褸切れのような服も、今は見たことのない図柄の刺繍が入った見栄えのいいものに変わっている。
あり得ない。訳が分からない。思わず立ち尽くす男爵達の姿に、近くにいた村人が徐に声をかけた。
「んー? 見ない顔だけど、あんた達うちの村に何か用かね?」
「見ない顔だと!? 貴様、領主であるこのワシを知らんというのか!」
「りょ、領主様!? ひぇぇー、これはとんだご無礼を!」
ドフトリアンの一喝に、声をかけた村人が震え上がってその場にひれ伏す。その態度に幾分気を良くしたドフトリアンだったが、すぐに威丈高な口調で言葉を続けた。
「構わん。だがこの村の様子はどういうことだ? 貴様も随分といい服を着ているようだが、まさか税金を誤魔化していたのではあるまいな?」
「まさか!? 違います、これはその……ファラオ様のおかげでして」
「ファラオ様だと? そいつは――」
「うむ? 余に何か用か?」
と、そこで村の中から、黄金の仮面を被った若者がやってくる。どことなく異質な雰囲気を漂わせる……主に仮面のせいだが……その男の登場に、ドフトリアンはギロリと睨み付けながら怒鳴った。
「貴様がファラオとかいう奴か! ワシはこのデブラック領の領主、ドフトリアン・デブラック男爵だ!」
「おお、貴殿が男爵殿であったか。余はサンプーン王国二八代ファラオ、イン・スタン・トゥ・ラーメン・サンプーンである」
「な、何!?」
堂々たるスタンの名乗りに、ドフトリアンがたじろぐ。そのまま近くにいた使用人の耳を引っ張ると、若干粘つく唇を開いて小声で問いかけた。
(おい、サンプーン王国とは何処の国だ!? というか、こいつはファラオという名前ではないのか!?)
(申し訳ありません、私もそこまでは知らず……それにサンプーン王国なる国にも、心当たりはありません)
(チッ、使えない奴だ!)
「あー、その、サンプーン王国というのは、何処にある国なのだ? それにファラオという役職? も、聞いたことがないのだが……」
「サンプーン王国が何処にあるかは、軽々に口にすることはできぬな。そしてファラオは、そち達が言うところの王だ」
「王!? そうか、なるほど……」
スタンの答えに、ドフトリアンは目を細めて頷く。
(フンッ、要は王族詐欺か。くだらんな)
たとえどんな国であろうと、王族の詐称は問答無用で死罪となる。が、何処にあるのかわからない、実在すら定かではない国の王族を名乗るならば話は別だ。それが存在しないという証明など神にしかできない以上、そこの王族を名乗ることを罪に問うことはできない。
そしてそんな法律を利用したのが「王族詐欺」というものだ。自分は王族だと名乗ることで様々な便宜を図らせるそれは、昔からある古典的な詐欺の一つである。
(そんなものが有効なのは馬鹿な下民に対してだけだ。ワシのような本物の貴族に王族詐欺など通じるはずがないだろうが、馬鹿め!)
真っ当な国の王が、自分の国の場所を口にできないなどあり得ない。それに国などという大きな場所を秘密にすること自体がそもそも無理だ。ドフトリアンは早々にスタンを詐欺師だと断定すると、その内心を隠しながらにこやかに話しかけた。
「そうかそうか、貴殿は高貴な方だったのだな。これは失礼した」
「いや、気にせずともよい。余とて他国でファラオの権威を振りかざすつもりなどないからな」
腹に一物抱えた含み笑いを浮かべるドフトリアンに、スタンは軽妙な口調で答える。だがそのスタンの態度が、ドフトリアンには「自分が詐欺に気づいていることに気づかない間抜け」にしか思えない。
(ふむ、これなら楽勝だな)
「詫びと言ってはなんだが、どうだろう? 我が家の晩餐に招待したいのだが、受けてくれるかね?」
「おお、それは願ってもない。余としても男爵殿とは一度話をしてみたかったのだ」
「それは何より! では後日、こちらに使いの馬車を出そう。それでよろしいかな?」
「うむ。楽しみにしておこう」
カクッと仮面を揺らして了承するスタンに、ドフトリアンは頬の脂肪がタプンと揺れるほど口角を吊り上げその場を後にする。すると帰りの馬車のなかで、使用人の男が御者台からドフトリアンに話しかけてくる。
「あの、男爵様? あれでよろしかったのですか?」
「うん? 何の話だ?」
「いえ、その……私はてっきり、男爵様はあの男を捕らえるおつもりだと思っておりましたので」
「ああ、そんなことか」
普段ならば「貴様如きが余計なことを考えるな」と怒鳴りつけるところだが、自らの考えが上手くいって上機嫌だったドフトリアンは、口も軽く己の優れた作戦を説明してやる。
「あの男は間違いなく詐欺師だ。下民に施しをして己を崇めさせたり、殊更に目立つ仮面を被ることで、自分が王族であることを強調したかったのであろうな。愚かな下民達はすっかり騙されていたようだが、ワシには通じぬ」
得意げにそんなことを言うドフトリアンに、使用人の男は微妙な表情で首を傾げる。
「はぁ……でしたらあの場で捕らえてしまえばよかったのでは?」
「だから貴様は馬鹿なのだ! 真っ当な手段で捕らえるとな、手続き等が面倒なのだ。特に王族詐欺となると軍務卿や宰相閣下、場合によっては陛下にまで話が届いてしまう。そんな面倒事は御免だ」
もし万が一、捕らえた相手が本当に何処かの国の王族であったりしたら大事件だ。間違えましたですむはずがなく、場合によってはそれが開戦のきっかけになることすらあり得る。
故に王族詐欺で誰かを捕らえた場合、王都にある裁判所できちんとした審理をする義務が生じる。そうなると仮に詐欺師の有罪が決まったとしても、男爵程度の権力では横から手を回して詐欺師の財産を勝手に差し押さえるようなことはできない……つまりドフトリアンには詐欺師を捕まえる旨味がなくなってしまうのだ。
「だがワシの屋敷のなかで捕らえるならば話は別だ。そんな者など来ていないと言ってしまえばそれまでだからな。それに……ククク」
潰れたカエルのようなドフトリアンの顔が、更に醜悪に歪む。
「王族詐欺の常套句は、祖国に帰るための旅費の援助を求めるというものだ。国に帰れば莫大な報酬を約束するからと言って、ガラクタのような魔導具やクズ宝石を国宝だと言って金を無心する。
だが、そんなものが本物の貴族であるワシに通じるはずもない。嘘がばれて取り乱す彼奴の仮面を剥ぎ取り、その顔が絶望に染まる様を見られると思えば、このくらいの手間はかけてもいいと思わんか?」
「そう、ですか。それは……」
「フンッ、分からずともよい。ワシのような高貴な者の高尚な趣味は、貴様のような下民には理解できぬものだからな」
「……………………」
そう言うと口をつぐんでしまったドフトリアンに、使用人の男もまたそれ以上は話しかけない。少なくとも使用人の男には、ドフトリアンの言う「高尚な趣味」とやらを理解したいとはこれっぽっちも思えなかった。
「グフフフフフフフフ……王族詐欺というのなら、ある程度の見せ金はあるはず。仮面と合わせて搾り取ったら、次は村の税金も考え直さねばな。ワシの知らぬところで随分と金が動いているようだし、九割……いや、いっそ向こう一〇年くらいは無償奉仕をさせるのはどうだろうか? 奴らの着ていた服や取り尽くせぬほどの作物があるなら、金など無くても大丈夫だろう。ああ、楽しみだ」
大分荒れてきた道の上を馬車が走れば、ガタンゴトンと大きく揺れる。だがその行く先が黄金に輝いていることを、ドフトリアンは信じて疑わなかった。





