間話:男爵の食卓
本日から四話ほど、デブラック男爵視点でのお話となります。
「むぅ……不味い!」
でっぷりと肥え太った中年男の怒声と共に、側に立つ使用人がビクリと体を震わせる。すると怒鳴り声の主……この家の当主にして領主であるドフトリアン・デブラック男爵は、太い首をぐりんと回して使用人の顔を睨み付けた。
「おい貴様、どういうことだ!? 何故こう毎度毎度飯が不味いのだ!?」
「お、お許しください男爵様。昨今は領内で採れる野菜の質が悪く――」
「そんな言い訳は聞き飽きた! さっさと改善しろと言っているのに、どうしていつまでも不味いままなのかと言っているのだ!」
「そ、そう申されましても……」
ドフトリアンの怒鳴り声を、使用人の男が萎縮しきった態度で受け止める。
作物の質が落ちているのは、ドフトリアンが領主を継いで一番最初に行った改革により、税金の額が生活を維持できないほどに高まったからだ。日々の食事にすら困る状態でまともに仕事などできるはずもないし、またそんな領主のために耐えて頑張ろうなどと思うはずもない。
故に、作物の質が下がったのは必然というか、ドフトリアンの自業自得である。だがそれをやんわりと告げた使用人がこの家から消えたのは、ドフトリアンが家督を継いでから僅か五日後のことだ。
以来誰もドフトリアンに意見などできず、結果として領内のみならず、全ての富を吸い上げているデブラック男爵家そのものの財政もかなりギリギリのところまで追い込まれているのだが、それを当主であるドフトリアンは知らない。そんな報告をすれば次に消えるのは自分になるとわかっていてなお意見するような忠臣は、ドフトリアンには望むべくもなかった。
ちなみに、唯一ドフトリアンを諫められそうな立場である妻と息子は、とっくの昔に愛想を尽かされて実家に帰ってしまっている。元々政略結婚で愛などなかったし、何より妻と息子という他人に金を使うことをドフトリアンは実に忌々しく思っていたため、むしろ今は無駄飯喰らいがいなくなったとスッキリした気持ちでいた。
「まったく、高い給料を払っているというのに、どいつもこいつも使えぬ奴らばかりだ! ええい、ならば肉を持ってこい! 肉なら多少はマシだろう!」
「はい、ただいまお持ち致します」
使用人を怒鳴りつけて幾分かスッキリしたドフトリアンの言葉に、使用人が一礼してその場を去り、焼きたての肉の載った皿を持ってくる。ギトギトと脂ぎったステーキはドフトリアン好みの濃い味付けとなっており、どう見ても体に悪そうだ。
だがドフトリアンはそれを美味そうに喰らい、腹をさすって食事を終える。それこそがここ数年のデブラック男爵家の日常だったのだが……
「む?」
料理に手をつけ唸り声をあげたドフトリアンに、使用人の男がまたかとばかりに体を緊張させる。だが次に続いたのは、珍しく……それこそ数年ぶりに怒鳴り声ではなかった。
「何だ、今日の料理は美味いな?」
「あ、ありがとうございます男爵様! 男爵様がお褒めになっていたと知れば、料理人もさぞ喜ぶことでしょう」
「そうか。なら料理人を呼べ」
「え!? あ、はい。ただいま!」
料理人などという些末な存在を気にかけたことなどなかったドフトリアンの言葉に、使用人は一瞬驚くもすぐに部屋を飛び出していく。すると程なくして白衣に身を包んだ男が男爵の前へとやってきた。
「お呼びでしょうか、男爵様」
「うむ。今日の料理は珍しく美味かったのでな。一体何をしたのだ?」
「何、と言われましても、私はただいつも通りに料理をしただけですが……」
困ったような表情でそう言う料理人に、しかしドフトリアンはダンとテーブルに拳を打ち付けながら怒鳴る。
「嘘を言うな! いつも通りだというのなら、何故今日に限って味が良くなった!? それとも今までは手を抜いていたとでも言うつもりか!?」
「そ、そんなことは決して!」
「ならば何故だ!? まさかワシに黙って余所から高級食材を仕入れたりしたのではないだろうな!?」
「まさかそんな! いつもと同じ材料を使っただけでございます!」
ドフトリアンが自分で使う分には、下品な調度品だろうが違いなど分からぬ高級食材だろうが問題はない。が、自分の金を自分に無許可で他人が使うなど、それが自分のためであったとしても許せない。
そんな怒りを露わにしたドフトリアンを前に、料理人は困り果てた様子で頭を捻る。実際彼は何をしたわけでもなく、本当にいつも通りに領内から届いた食材を使って料理を作っただけなのだ。
「あの、よろしいでしょうか男爵様?」
と、そこで事の成り行きを見守っていた使用人の男が、ドフトリアンに声をかける。
「何だ!」
「いえ、その……同じものを使って味がよくなったということであれば、男爵様がいつも仰っている『改善』が上手くいったのではないかと思うのですが……」
「……おお、そういうことか! あまりにも愚鈍であるからすっかり忘れていたが、なるほどなるほど、漸くワシの言葉を理解した下民共が仕事をしたと……それならば納得だ」
その指摘に、ドフトリアンは全身の脂肪を揺らしながら満足げに頷いた。長いこと役立たずだった領民が漸く多少はマシになったのかと考えて機嫌を良くしていると、料理人の男が言葉を続けてくる。
「そう言えば、最近は農村の景気が随分といいみたいですしね。今までは町に出稼ぎに来る者ばかりでしたが、最近は逆に村の方に出稼ぎに行く者が増えているとか……出入りの商人に聞いた話ですけど」
「む、そうなのか?」
「あ、はい。確かに私も町に出ると、そのような話を聞いたことがございます」
ドフトリアンの問いに、使用人の男が答える。だがその言葉にこそドフトリアンは思い切り首を傾げる。
「ワシも子供の頃に一度だけ父に連れられて行ったことがあるが、あんな何も無い場所に出稼ぎだと? まさかワシに許可を得ず、勝手に農地を広げているとかか?」
「うーん、それは流石に無いと思いますが……」
ドフトリアンの問いに、使用人の男が否定する。農地の開墾というのは言うほど簡単なことではないし、仮にそれをやったとしてもすぐに作物が収穫できるわけがない。加えて村人が税金逃れのためにこっそり隠し畑を作っているくらいならまだしも、町から人が集まるような規模で開墾をしていたら、流石にその情報が皆無というのはあり得ない。
「ならばどういうことなのだ!?」
「……そう言えば」
語気を荒げるドフトリアンに使用人の男が困り果てていると、代わりにふと思い出したことがあり、料理人の男が口を開く。
「これもその商人に聞いた話なんですが、村で炊き出しだの何だのをやっている人物がいるみたいですね。村の好景気は、ひょっとしたらその人物が関係しているんじゃないでしょうか?」
「炊き出し? 聖光教会の関係者か?」
聖光教会とは、この周囲の国々で最も広まっている宗教団体だ。このデーブラの町にも支部があるが、まともな神官がこんな町に派遣されるわけもなく、当然ろくな活動はしていない。詰めている神官がやっているのは酒を飲んで管を巻き、法外な治療費を請求してかすり傷を治すようなことばかりだ。
「あいつらがそんなことをするとは思えんが……」
「いえ、教会の者とは違うようです。何でもファラオとか呼ばれている男で、常に黄金の仮面を頭に被っているとか」
「仮面? しかも黄金だと!?」
「は、はい。いえ、本当に黄金なのかはわかりませんけど」
仮面はともかく、黄金の方に食いついたドフトリアンに対し、料理人の男が慌ててそう付け加える。もし黄金だと主張したものが実は偽金……黄銅でしたなどとなった場合、責任を追及されてはたまったものではないからだ。
だがドフトリアンの目は既にまだ見ぬ黄金を捕らえており、そのたるんだ口元が欲望に歪む。
「黄金の仮面か……それはなかなか価値がありそうだな。ワシの領地で好き勝手なことをしているというのなら、捕らえて没収しても問題あるまい。
おい、出掛ける準備をしろ! その不審人物を、ワシ自らが捕らえてくれる!」
「え、男爵様が自らお出向きになるのですか? その、兵士達に任せては……?」
「馬鹿者! そんなことをして仮面に傷がついたらどうする!? そうでなくても表面を削ったり、あるいは『そんな奴はいなかった』と嘘をついて宝をくすねる輩がいるかも知れんだろうが! いいから早く支度を調えろ!」
「は、はっ! 畏まりました!」
自分の領地を守るはずの兵すら信用しないし、できない。それがどれほど酷いことかを一切理解する気のないドフトリアンに対し、使用人の男は一礼をしてからその場を後にする。
「ふっふっふ、ファラオだかバラオだか知らんが、その仮面、剥ぎ取ってワシの物としてくれよう!」
含み笑いと共に、四〇歳を超え欲と脂肪にたるんだドフトリアンの体がタプタプと揺れる。ファラオが育てた美味しそうな黄金に対し、今遂に邪悪なる獲物が食いつこうとしていた。
 





