領主の依頼
「さあ、遠慮せずに食べてくれ」
「わ、わーい! 美味しそうー」
そうして夜。伯爵から届けられた赤いドレスに身を包んだアイシャが、これ以上無い程の棒読みでそう口にする。実際目の前に並ぶ料理は美味しそうなのだが、アイシャの頭の中はそれどころではない。
(なんでこんなにナイフとフォークがあるの!? 何!? 貴族って実は手が六本くらいあったりするの!?)
「あの、アイシャ様? そちらの食器は外側から順にお使いください」
「へあっ!? あ、はい。ありがとうございます……」
アタフタするアイシャに見かね、アイシャのグラスにワインを注ぎながら給仕の男性がそう声をかける。それにお礼を言って愛想笑いを浮かべるアイシャだったが、それでも混乱は収まらない。
(順番……順番!? 順番ってことは次々取り替えるんだろうけど、どのタイミングで? 時間? それとも料理ごと? ならどの料理にどのナイフとフォークを使ったか覚えておかないと、その料理はもう食べられないってこと? それならもう料理のお皿のところにナイフとフォークを置いといてよ!)
「あの、料理はこちらで切ってお皿にお取り分け致しますので、アイシャ様は普通に召し上がっていただければ……」
「あ、そうなの!? 流石は領主様のお店……お店じゃない! お屋敷ですね。サービスが良くて凄いです!」
「ははは……光栄です」
色々とずれているアイシャに対し、流石は伯爵家の使用人ということか、給仕はあくまでも笑顔を崩さない。そして伯爵自身もまた、そんなアイシャの痴態を特に気にしない。 所詮平民はこの程度だろうという軽い選民思考が、アイシャの態度を許容する要因となっているからだ。
(所詮は庶民。成人しているとはいえ一六歳の娘ではこんなものだろう。だが……)
伯爵の視線が、ついとアイシャの隣に移動する。そこでは伯爵の貸し出した礼服に身を包み、そのくせ晩餐にも拘わらず黄金の仮面を被ったままのスタンが、極めて洗練された動作で食事を楽しんでいた。
「ほぅ、このソースは美味いな。ギャリックは匂いが強い故に宮廷料理では避けられがちだが、これは風味を残しつつも匂いを完全に消してある。黒胡椒も辛みの強い上質のものだ」
「ありがとうございます。ギャリックというのは、ガーリックのことでしょうか?」
「うむ? 呼び名が違うのか……余は味から連想しただけだが、そちがそう判断したのであればおそらくはそうであろう。まあ余はファラオであって、料理人ではない。所詮は素人の評論故、料理長殿にはただ『美味い』とだけ伝えてくれれば構わぬよ」
「畏まりました。料理長も喜ぶと思います」
ごく自然な動作でスタンがグラスを手に持つと、給仕の男がそこにワインを注ぐ。奉仕されることに慣れ、それを当然として受け入れる姿は、伯爵の持つ平民のイメージとは大きくかけ離れている。
(やはり彼は、ただの平民の冒険者ではないな……何処かの貴族の落胤といったところか)
ならばこそ、伯爵はスタンの素性をそう結論づけた。
表面的な礼儀作法は、誰であってもある程度は身につく。が、その体に染みついた価値観や考え方は別だ。貴族を騙るために生まれてからずっと高等な教育を受け続けた詐欺師などという突飛も無い発想よりは、何処かの高位貴族の隠し子が、その所在を告げられぬまま育てられたと考えた方がよほど納得がいく。
(であれば……)
「どうかね二人とも。食事は楽しんでもらえているかな?」
「ひゃっ!? ふぁい! おいひーれふ!」
「うむ。堪能させてもらっておるぞ、伯爵殿」
にこやかな顔つきで問うベルトナン伯爵に、アイシャは口に肉を入れたまま慌てて返事をし、スタンはカパリと開いた仮面の口にワインを流し込んでから答える。食事中でも仮面を脱がないことやその機構について思い切り突っ込みたい伯爵だったが、そこは貴族の矜持でグッと我慢して話を始めた。
「そ、そうか。それはよかった……時にスタン君。その仮面……いや、君が自身をファラオだと言うのであれば、一つ私の頼みを聞いてくれんかね?」
「頼み? 余にか?」
「そうとも。ここの隣を収める貴族……デブラック男爵というのだがな。その者の知性、いや治政に少々問題があるのだ」
「ほう?」
食事の手を止め聞く姿勢を取ったスタンに、伯爵は小さく頷いてから話を続ける。
「彼は領民を絞り上げることが、己の利益を最も追求する行為だと信じて疑わぬような男でね。そのせいでデブラック男爵の領地は貧しく、そこから流入する難民によって我が領でも問題が起きているのだ。
何せ人が増えたところで、彼らに与えられる畑が増えるわけでも、仕事が沸いて出てくるわけでもない。元から住んでいる住人との間に軽い諍いが起きたり、若干だが治安も悪くなっている。本当に困ったものだ」
「それは確かに困るだろうが……それで余に何をしろと言うのだ? 貴殿が普通に男爵殿に話をするか、それで駄目なら国王に直訴でもすればよいではないか」
「全くその通りなんだが、国の政治というのはなかなかに複雑でね。『こうするのが一番いい』と誰もがわかっていることでさえ、派閥やら何やらで素直にはできんのだよ。君も王だというのならわからないかね?」
「それはまあ、そうだな」
人は二人いれば対立し、三人集まれば派閥ができるとまで言われる存在だ。スタンもファラオとして人の上に立っていただけに、人間関係の厄介さはこれ以上無いほどに理解していた。
「そこで君だ。何のしがらみも無い君ならば、隣領に行って男爵の考えを改めさせたり、荒れた領地を復興したりできるのではないかね?」
「いやいや、それこそ内政干渉であろう!? それともあれか? 伯爵殿が余の後ろ盾になるから、男爵領を乗っ取れとでも言うつもりか?」
「そうではない。私はあくまでも無関係であり、スタン君は自分の考えでそれを行って欲しいのだ。もしそれが達成されれば、私は大いに君に感謝し……君が王、ファラオであることを認めるのも吝かでは無いという話さ」
「あの、領主様? それは流石に無茶苦茶じゃないですか?」
二人の話をずっと黙って聞いていたアイシャが、我慢しきれずにそう声を出す。
「アタシもスタンも、ただのD級冒険者なんですよ? 知らない人の領地に行ってそこの領主様を改心させろとか、無理に決まってるじゃないですか!」
「そうかい? 私はできると思ったんだが?」
「何でですか?」
「それは勿論……彼がファラオだからだよ」
ニヤリと薄い笑みを浮かべて、伯爵が言う。
「多くの民を率いた王様だというのなら、小さな領地の一つくらいどうにでもできるだろう?」
「そんなわけ――」
「いいだろう」
アイシャの言葉を遮り、スタンが言う。すると伯爵は満面の笑みを浮かべ、血のように赤いワインで満ちたグラスを持つ。
「受けてくれるか、流石はファラオだ……君の成功を祈っているよ」
「ちょっとスタン! アンタどういうつもりなの!?」
そうして晩餐を終え、宿に帰ったスタンとアイシャ。だが今回もアイシャは自分の部屋に行かず、スタンの部屋にて食ってかかってくる。
「いくら領主様の言葉だからって、あんな滅茶苦茶なお願いを聞いてどうするつもり!?」
「まあ落ち着けアイシャよ。確かに無茶な願いだが、余にとっては実に都合のいい願いでもあった。だから受けたのだ」
「都合がいい……? え、アンタまさか、本当に男爵様をどうにかして、自分の領地を持とうとか思ってるわけ!?」
「そうではない……が、完全に間違っているとも言えぬな」
「……どういうこと?」
訳が分からず首を傾げるアイシャに、スタンが楽しげにカクカクと仮面を揺らす。
「こんな短期間に目立ちすぎだと、そちが言ったのであろう? それを聞いて方針転換したのだ。地道に信頼と実績を積み上げるのも悪くはないが、この際それとは別に、余が真にファラオであると知らしめてみるのもいいかとな。
まあ見ているがいい。ファラオの偉大さを存分に堪能させてやろうぞ」
「何しようとしてるのか全然わかんないのに、もの凄く嫌な予感しかしないんだけど……? うぅ、何かお腹痛い……食べ過ぎ?」
表情の変わらぬ仮面の下に何か邪悪なものを感じ、アイシャは借り物のドレスの上から、謎の腹痛に襲われる自分の腹をさするのだった。





