最善の選択
「ハァ、ハァ……ねえ二人とも。今更だけど、これ逃げちゃってもよかったの?」
「ハァ、ハァ……んなこと言ったって仕方ねーだろ!」
ゴブリンジェネラルからの、必死の逃走劇。何とか洞穴を出て森を走るアイシャに、その背後を走るライバールが苛立った声をあげる。なおライバールまで息を切らせているのは、移動速度の関係上子供を背負っているからだ。
「それとも何か? お前はあの場で全滅する方がよかったってのか!?」
「それはそうだけど……でも、このまま町まで逃げてアイツがついてきちゃったら、大変じゃない?」
「ヘッ、上等だ! 命さえ助かりゃ、罰でも何でも受けてやるっての!」
「ライバールの兄ちゃん……ごめん、俺のせいで……」
「あーいや、ビッツのせいじゃねーって。とにかく今は逃げるぞ!」
背中に背負った六歳くらいの少年の謝罪に、ライバールがばつが悪そうな声で誤魔化す。そんな会話を交わしつつも四人が必死に走り続けると、不意に背後から怒り狂ったゴブリンジェネラルの雄叫びが響き渡った。
『グギャアアアアアアア!!!』
「ひぃぃ!?」
「うわっ!? 何今の!?」
「獲物を逃した負け惜しみ……ではなさそうだな」
「ああ、こりゃヤベーぜ」
その迫力にビッツとアイシャが怯えて体を震わせ、それに合わせるようにスタンとライバールも足を止める。だがアイシャが立ち直っても二人が動き出す様子はない。
「ちょっと、何で止まるのよ!? 早く逃げないと――」
「アイシャよ、どうやらそれはもう難しいようだぞ」
「だな、すっかり囲まれてやがる」
「グルルルル……」
木々の影から、様々な動物たちが姿を現した。それらは共通して体の何処かに角を持ち、スタン達に向けて明確な敵意を向けている。
「そんな、何で急に!?」
「多分、さっきの雄叫びが『号令』だったんだろ。何せジェネラルだからな」
驚きの声をあげるアイシャに、ライバールが苦々しげに言う。
大抵の魔物は魔力が高まり上位種となると、下位の同族に号令を出し、その行動をある程度操ったり、能力を高めたりすることができるようになる。
加えてゴブリンやオーク、オーガ、トロールなどの人型種は、高い知能を有するが故に他種族であろうとも下位種に「号令」を出すことができる場合がある。これは同族に同じ力を使ったときほどの効果、強制力はないが、それでも「獲物を殺せ」という単純な命令くらいならば十分に可能なのだ。
「チッ、こりゃ打つ手なしか……仕方ねーな。やっぱり俺が囮になるから、お前達は逃げろ」
「……いや、囮になるのは余だ」
渋い表情でそう告げるライバールに、しかしスタンがそう言い放つ。するとライバールはスタンの襟元を掴み挙げ、その仮面をまっすぐに睨み付けた。
「ふざけてんのか? お前がさっきの剣が使えないってんなら、この場で一番強いのは俺だぜ?」
「うむ、その通りだな。故にこそ囮は余なのだ。そちが囮になったところで余達では囲いを抜けられぬ。だが余が囮になるならば、そちは魔物達を抜けて逃げられるのではないか?」
「それは…………」
「駄目よ! 何言ってんのスタン! 囮なんて……」
言葉に詰まるライバールとは裏腹に、アイシャがスタンに食ってかかる。だがスタンはそっとアイシャの肩に手を置くと、その仮面を左右に振った。
「いいのだアイシャよ。これが最善なのだ。確かに今の余では魔物共は倒せぬだろうが、余であれば回避し続けることはできるかも知れぬ。それにそちが町に着いた後で余を呼んでくれれば、周囲の魔物を無視してそこに移動することもできる。
つまり余がここに残るのが、全員が生存できる唯一にしてもっとも可能性の高い作戦なのだ」
「でも! でもそんな、幾らアンタだって、こんな数……っ!」
「大丈夫だ。何せ余はファラオだからな」
いつもと変わらぬ自信に満ちたその声に、アイシャはギュッと唇を噛み締める。ゴブリン四匹すら見逃していたスタンが、何百いるのかわからない魔物の群れに襲われて無事であるはずがない。それがわかっているというのに、感情以外の全てがスタンの言葉が正しいと認めてしまっている。
「というわけだライバールよ。アイシャとその子供……ビッツだったか? を頼むぞ」
「わかった。こいつらのことは、俺の命に賭けて守ってやる」
「呼んだら……来るのよね? 絶対絶対、来るのよね!?」
「無論だ。ファラオは嘘などつかぬ」
「約束……約束だからね! 破ったら……あれよ。アンタが怖がってたパッサパサの焼き菓子を再現して、その仮面のなかに詰め込んでやるんだから!」
「おぉぅ、それは割と本気で恐ろしいな……ふふふ、では気合いを入れるとしよう」
覚悟を決めるライバールと泣きそうな顔をするアイシャに背を向け、スタンが笑う。不退転の覚悟を決めたファラオが魔物の群れに踏み出そうとしたその時、ライバールの背から小さな呼び声がかかった。
「あの、仮面の兄ちゃん!」
「ん? 何だ?」
「これやるよ」
振り返ったスタンにビッツが差し出したのは、まっすぐに足を揃え両手を広げて立っている人間のような形をした、薄汚れた謎の物体であった。スタンがそれを受け取ると、謎の物体にスタンの仮面越しにしか見えぬ光が走る。
「……ビッツよ、これはどうしたのだ?」
「一年くらい前に、ゴミ捨て場で拾ったんだ。教会の人が持ってる聖印に似てるから、こんなのでもお守りくらいにはなるかなって思って」
「うん? まあ似てるっちゃ似てるけど、あれは縦棒と横棒の十字だろ? これ上が丸く膨らんでるじゃん。偽物か?」
「えぇ? 聖印の偽物なんて誰が作るの?」
「知らねーけど、実際あるんだから…………スタン? どうした?」
「フッ、フッフッフッ…………」
うつむき黙り込んでしまったスタンにライバールが訝しげな声をかけると、スタンは押し殺したように笑いながらその肩を震わせる。
「え、本当にどうしたのスタン? やっぱり囮はやめて、みんなで逃げる? アタシはそれでもいいわよ」
「おいアイシャ! 男の覚悟に水を差すんじゃねーよ!」
「いや、ライバールよ。作戦は変更だ」
「はぁ!? 何だよお前、マジで怖じ気づいたのか!?」
「まさか」
驚くライバールをそのままに、スタンは手にした謎の物体……アンクを仮面の額に押しつける。するとスタンの仮面のなかに、何とも事務的な声が響いた。
『不明な機器と接続しました。充填を開始するにはロックを解除してください』
「ファラオ権限によりロックを強制解除。アンクのソウルパワーを余の仮面にチャージせよ!」
『権限確認。ロックを強制解除。ソウルパワーの充填を開始します』
「おい、何訳の分かんねーこと言い出したんだよ!?」
「まあ待て……ふむ、三割には届かぬか。だが今まで一桁で運用してきたことに比べれば雲泥の差だな。これならば……」
「スタン!」
「ちょっと二人とも! 魔物が!」
痺れを切らしたライバールがスタンの肩を掴もうとしたところで、アイシャが悲鳴のような声をあげる。どうやら様子見の時間は終わったらしく、大量の魔物がスタン達を目がけて一斉に動き出した。
「くっそ、これじゃもう囮も糞もねーじゃねーか!」
「あーもう! こうなりゃアタシだってやってやるわよ!」
「いや、二人は下がっておるのだ! 迸れ、ファラオスパーク!」
瞬間、スタンの仮面が輝くと、周囲に激しい雷鳴が鳴り響く。それと同時に迸った稲妻は近寄ってきた数十の魔物をあっという間に黒焦げにしてしまった。
「……………………は?」
「うぅ、耳がキーンって……今度は何だって言うのよ!?」
「うわぁぁん! ライバール兄ちゃーん!」
あまりのことに呆気にとられるライバールと、訳が分からず耳を押さえて蹲るアイシャに、新たな恐怖に泣き叫ぶビッツ。そんな三人全てをそのままに、怯えて動きを止めた魔物達に向かってスタンが不敵な声をあげる。
「ファラオの力に慄くがよい! ここから先は、ずっと余の手番だ!」





