弱者の定義
ひとまず目指すべき明確な目標が定まったことで、その日からスタン達はこれでもかと依頼を受けまくっていった。その精力的な活動に、ある者は「頑張ってるな」と感心し、またある者は「ガツガツしすぎだろ」と嘲笑う。
だがエディスの言葉通り優先的に仕事を回してもらっていることに対する不満は出ない。というのも、スタン達に回ってきたのは労力の割りには報酬が低い、いわば「美味しくない依頼」ばかりだったのである。
無論、それはエディスの嫌がらせというわけではない。そういう「誰でも受けられるが誰も進んでは受けない依頼」だからこそ優先されても文句が出ないのであり、これも一種の処世術であるのだが……だからといってそれを納得するかどうかは本人達の問題となる。
「あー…………最近すっごい頑張ってるのに、あんまり稼げてはいないのよね」
故にそんな日が一週ほど続いた日の夜。近所の酒場にてグッタリと椅子に背をもたれ掛からせながらアイシャがそう零す。するとそんなアイシャに対し、スタンは皿に乗った肉を綺麗にナイフで切り分けながら平然と答える。
「そうか? 今の余達の平均的な収入は、E級冒険者のなかでは大分上の方なのであろう?」
「そうだけど! でもそれは数をこなしてるからでしょ? 一日で三件依頼を片付けるとか、普通やらないのよ!」
たまたま薬草の生えている場所の近くに討伐依頼で向かうなど、ついでにこなせるような場合を除くと、基本的に冒険者は一日に複数件の依頼をこなすことはない。それは効率と疲労の問題であると同時に、「仕事が終わったなら休みたい」という素直な欲求の表れでもある。
しかし、スタン達はそうではない。連日町の中も外も駆け回り、薬草を毟ったり猫を探したり、引っ越しの手伝いをしたり角ネズミや角ウサギを討伐したりしている。流石に弱い魔物とは言え討伐系の依頼を最後に回さない程度の配慮はしているが、それを踏まえてもオーバーワークが重なっているというのは事実だ。
「ふむ? しかしそちが以前言っていた、一月でD級に昇級するような冒険者は、こういうことをやっているのであろう?」
「まあ、それはね。でもそういう人達は、最初から五、六人でパーティ組んでるのよ。そのうえで手分けして依頼をこなすって感じだから、アタシ達みたいに二人だけでそんなことする奴らはいないって話よ」
個人評価とパーティ評価は別だが、全く関係しないということはない。それにそもそもD級というのは「受けた依頼をきちんとこなすことができる」という最低限を達成すればいい程度なので、そこまで厳格に精査されたりはしない。
「そうか……ならばそちは休むか? 余さえD級に昇級できれば、そちは別にE級のままでも構わんのだろう?」
別に二人揃ってでなくても、片方だけD級になれば目標は達成できる。故に無理して付き合う必要はないと告げるスタンに、アイシャはぐいっと体を起こし、皿に盛られた肉に思い切りフォークを突き立て、囓ってから言う。
「嫌よ! アタシだけE級のままなんて、そんなの絶対嫌!」
「そこまでか? 聞く話によれば、パーティのリーダーが仲間より一つ級が上というのは割とある形だと聞いたが」
「それでもよ! そりゃアタシはアンタみたいに凄い魔導具とかも無いし? そのうち置いて行かれるんでしょうけど……」
純粋な疑問として口にされたスタンの言葉に、アイシャは強い語気で答える。だがそれも最初だけで、徐々にその勢いは弱まっていき……
「まだついていけそうな今くらいは、アタシだって頑張っときたいのよ。アタシは足手纏いのお客様じゃなく、仲間としてアンタの隣に立つんだから」
スタンの便利仮面騒動が一段落したこともあり、これを機にと二人はきちんとパーティを組んだ。そしてそれ故の拘りを、アイシャは苦笑しながらスタンに告げる。
「ま、そうは言ってもD級くらいはともかく、アタシじゃC級になれるかも怪しいから、ホントに今だけだろうけどね。そうなったら――」
「アイシャよ」
肩を竦めて自虐的な笑みを浮かべるアイシャの言葉を、サラダをパリッと囓ってからスタンが遮る。
「随分と自分を卑下しているようだが、そちはそち自身が思うような弱者ではないぞ?」
「は? 何よそれ。こんな短期間に二回も殺されかけたアタシが強い訳ないでしょ?」
「確かに戦闘力という意味でなら、そちは強者ではないだろう。だがそちの意思の強さはなかなかのものだ」
「意思ぃ? 意思が強いって言われてもねぇ……」
「重要なことだぞ? 意思の強さとは、前に進む力そのものだ。それが無い者はただその場に立ち尽くすことしかできぬが、それが有る者はたとえ一時後ろに下がることがあっても、常に前に進み続ける。
知っているか? 弱者とは弱音を吐かない。ただその場で愚痴をこぼし続けるだけで、弱音を吐くような状況にすら至らないからだ。
だがそちは不満を抱き、不安を感じ、それでも余と共に前に進んでいる。それは間違いなく弱者ではない。単なる未熟者であり……いずれ大成する可能性を秘めた、道半ばの求道者なのだ」
「…………アンタって時々、恥ずかしいこと言うわよね」
何処か呆れたような顔つきで言うアイシャに、スタンがカクッと仮面を揺らす。
「ぬあっ!? ありがたいファラオの言葉を、恥ずかしいと斬って捨てるのか!?」
「少なくともアタシなら、そんな台詞は素面じゃ言えないわね。おねーさん、エール追加ー!」
「ぐぬぬぬぬ……」
素知らぬ顔で酒を追加するアイシャに、スタンが唸り声をあげる。だがアイシャはそれを一切気にすることなく、運ばれてきたエールを一気にぐいっと飲み干していく。
「んぐっ、んぐっ……ぷはーっ! やっぱりお酒は美味いわね! なんだかちょっとだけ酔っ払ったかも」
「フンッ、好きにせよ」
「……ねえ、スタン」
「何だ?」
「酔っ払っちゃったから言うけど……アンタが国に帰り着くくらいまでは、何とか頑張ってやるわよ。できるだけ! できるだけだけどね!」
「……フッ、そうか」
軽く顔を赤くし、視線を逸らしながら言うアイシャに、スタンは千切ったパンを食べながら小さく笑う。
「ほのかな甘みを感じる、いいパンだな。小麦が違うのであろうか?」
「そう? ならアタシも…………えぇ、パッサパサの普通のパンだけど?」
「そうか? むぅ……余のファラオセンスがパンに眠る可能性を感じ取ったのかも知れん」
「何よそれ。てかアンタ、ファラオナントカって言っとけばどんな適当なこと言っても通るって思ってない?」
「そんなわけなかろう! ファラオの目は全てを見通し、ファラオの耳は全てを聞き分け、ファラオの舌は塩一粒の差すら味わい分ける! ファラオとはかくも偉大な存在なのだ!」
「……それはそれで、不味いものとか食べたときは大変そうだけど、どうなの?」
しなびたレタスをフォークでツンツン突きながら問うアイシャに、スタンが軽く考え込んでから答える。
「む……確かに、そういう側面がないとは言わぬ。余の側近の一人である将軍が、娘が焼いたという焼き菓子を持ってきてくれたことがあったのだが……」
「何? 美味しくなかったの?」
「いや、味がどうという以前に、途轍もなく乾いていたのだ。何というかこう、一口囓っただけで口の中の水分を全て持っていかれるというか……だがその将軍は実に子煩悩でな。せっかくもらった焼き菓子を飲み物で流し込むというのも憚られ、必死に耐えたことがあった……おぉぅ、思い出すだけで体が乾いていく……」
「ちょっ!? スタン、アンタまた体が干からびてきてるから! ほら、エール! エール飲みなさい!」
見る間にシワシワになっていくスタンの手を見て、アイシャがカパリと開いた仮面の口にエールを流し込んでいく。
「むごっ、おふっ……おお、染み渡る…………」
「想像だけで干からびるって、どんだけパッサパサだったのよ!」
「あれはきっと、兵器だったのだ。たった一枚でオアシスを枯れさせる、焼き菓子型の兵器……」
「んなわけない……わよね? あー、とにかくもっと飲みなさい! おねーさん、エール追加! 二つ……ううん、三つ頂戴!」
「はーい。ただいまー」
スタンに組み付きエールを流し込み続けるアイシャの姿に、給仕の女性は「いちゃつくなら余所でやれよ……」という内心を営業スマイルで覆い隠し、淡々とエールを運ぶのだった。





