転んだ汚れの再利用
「終わったの?」
「ああ、終わったぞ」
背後からかけられた声にスタンが振り向けば、そこには傷跡は痛々しいながらも、いつも通りの様子に戻ったアイシャの姿がある。スタンの仮面の横からにゅっと顔を出して前方を見ると、そこに広がっていた惨状にアイシャが微妙に眉をひそめた。
「うわぁ……両方とも死んじゃったの?」
「いや、手前の男の方は気絶しただけだ。奥の男は死んだようだがな」
「ふーん。生きてれば蹴っ飛ばしてやろうかと思ったけど、死体蹴りは流石に趣味が悪いわよね……っていうか、一緒に斬ったのに結果が違うのはなんで?」
「ああ、それは罪の自覚の差だな」
「罪の自覚? 意識とかじゃなくて?」
首を傾げるアイシャに、スタンは軽く頷いてから話を続ける。
「そう、自覚だ。罪の意識……罪悪感というのは、罪人の意識であろう? それだと善人がやむを得ず他人を傷つけた場合などは実際の罪よりずっと大きく重くなってしまうのに対し、あの男のように罪を罪とも思わぬ者には非常に軽くなってしまう。
故に罪の自覚だ。笑いながら人を殺す殺人鬼だろうと、殺人が罪であるという知識そのものはある。つまり感情ではなく、自分がどれだけの罪を犯したのかという記憶に基づいた客観的な事実が生死を分けたということだな」
「へー。ん? でもそれだと、それが犯罪だってわからないでやったことなら、罪に問われないってこと?」
「<|王の裁きに違うこと無し《ファラオ・ジャッジメント》>の効果で言うなら、そうだ。だが罪を罪だと認識すらできぬような輩は、野生の獣と同じであろう? わざわざ裁かずとも、向かってきたら斬り伏せればいいだけだ」
「あー、そりゃそうね」
罪を裁いて罰を与え、償いにより免罪とするのはあくまでも理性と知性のある人間が相手だから。獣相手に道理を説いたり裁判を行うような者などいないのだから、そんな相手に用いるのは法の秩序ではなく弱肉強食の自然の掟だというのは、アイシャにもよくわかった。
「……ところでアイシャよ。その服は着替えなくていいのか?」
と、一通り説明が終わったところで、徐にスタンが問う。アイシャの服は自身の血と吐瀉物に濡れており、軽く拭き取られてはいるものの清潔とは言い難い。だがそんな指摘に、アイシャは不満げに口を尖らせる。
「仕方ないでしょ! そりゃアタシだって着替えたいけど、いきなり誘拐されたのに着替えなんて持ってるわけないでしょ!」
「お、おぅ。そうだな。今のは余が無神経であった。許せ。なら、そうだな。<王の宝庫に入らぬもの無し>に、適当な服があったかどうか……」
「いいわよ別に。変にキンピカのドレスとか出されても困っちゃうし。それに今はこのままの方が都合がいいしね」
「? どういうことだ?」
カクッと仮面を傾けるスタンに、アイシャが意味深な笑みを浮かべる。
「フフーン! アタシもアンタに世話になりっぱなしじゃないってことよ」
その後二人は気絶しただけのドギーを縛り上げ、ルーズの死体はそのままに小屋を出た。そこは町の貧民街で、しばし歩けば衛兵の詰め所へと辿り着く。そこで衛兵に事情を説明したのだが、あの二人の評判が元々余り良くなかったことや、スタンが事前に仮面のことを周囲に知らしめていたこともあって、特に疑われることもなくあっさりと事情聴取は終了した。
「さて、ではこれで事件は解決か?」
「いーえ、まだよ。これから冒険者ギルドに行くわ!」
人心地ついたかと思ったスタンに対し、アイシャは更に気合いを入れてそう告げる。一旦宿に戻って着替えてきたらどうかと言うスタンの言葉を「いいからいいから!」と笑顔で否定しつつ進むアイシャにスタンもついていき、そうしてすぐに二人は冒険者ギルドへと辿り着いた。
「……見られておるな」
「見せつけてるんだからいいのよ。レミィさーん!」
「アイシャさん!? どうしたんですかその格好!?」
流石にスタンの仮面は見慣れてきたが、血と吐瀉物に塗れた服をそのまま着ているアイシャの姿に、いつも対応してくれている受付嬢のレミィが驚きの声をあげる。
「いやー、それがね。D級冒険者のルーズって人と、E級冒険者のドギーって人に誘拐されちゃったのよ」
「えぇぇぇぇ!?」
ざわざわざわ……
アイシャの言葉にレミィが驚きを重ね、周囲にもざわめきが広がる。衛兵が評判を知っているくらいなので、当然同業である冒険者達はこの二人のことを知っているのだ。
「あの、アイシャさん! お話の続きは、奥でお願いできますか?」
「えー、別にここでいいわよ。もう終わった話だし」
「終わった、ですか? それって……?」
「アタシの事を椅子に縛り付けて殴ったり殺そうとしたりしたから、スタンが激怒して返り討ちにしちゃったのよ。ま、詳しいことはそのうち衛兵さんが聞きにくるんじゃない? 先にそっちに行って事情は話してあるから。ねえ、スタン?」
「むぅ? まあそうだが、別に激怒など――」
「あー、それにしてもほんっとに馬鹿な奴らよね。アタシを脅してスタンから仮面を奪ったって、どうせ使えやしないのに」
スタンの言葉を遮って、アイシャがあえて大きな声で言う。目の前でアタフタしているレミィはともかく、周囲の冒険者達がしっかりと聞き耳を立てているのを確認すると、アイシャは更に言葉を続けた。
「確かにスタンの仮面の収納能力はすごーく便利だろうけど、これ被ったら二度と脱げない、呪いの魔導具みたいなもんなのよ? いくら便利だからって、今後一生これを被って生きてくなんて、アタシなら絶対嫌だもの!」
「えぇぇぇぇ!? そうなんですか!?」
「は!? おいアイシャよ、それは――」
「そうなのよ! だってそうじゃなかったら、食事どころか寝てる時まで仮面を被り続けるわけないでしょ? 普通脱げるなら脱ぐわよ。こんなの被ってたら絶対寝づらいもの。
それにレミィだって、スタンが仮面を脱いだところ見たことないでしょ? つまり脱げないの。しかも……」
「な、何ですか?」
言葉を溜めるアイシャに、レミィが、そして周囲で聞いている冒険者達がゴクリと唾を飲み込む。するとアイシャが怪しげにニヤリと笑い、口元に手を当ててこっそり……という雰囲気だけで、実際にはごく普通の声で……衝撃の事実を告げる。
「なんとね、力を使いすぎると、体がシワシワに干からびるのよ!」
「ひ、干からびる!? それ大丈夫なんですか!?」
「大丈夫なわけないじゃない! アタシが気づいて慌てて手当したから平気だったけど、油断したらそのままカサカサになっちゃうんじゃないかしら? ねー、スタン?」
「ま、まあ、うむ。そうだな。<王の宝庫に入らぬもの無し>の使用にもソウルパワーは消費しているし、現状では己の魂からソウルパワーを引っ張ってくるしかない。となれば使いすぎれば干からびることも――」
「と言うわけなのよ! いくら便利だからって、一生仮面のうえに使ったら干からびるなんて、とてもじゃないけど使えないわよ! そんなものをアタシを人質にして脅し取ろうとしたなんて、ルーズとかいう人、D級冒険者のくせに本当にマヌケよねー」
「あ、あはははは……」
呆れたように言うアイシャに、レミィが引きつった笑みを浮かべて答える。そして彼らの周囲では、冒険者達がヒソヒソと声を交わし合う。
「おい聞いたか、呪い装備だってよ」
「ホントかな? あえて価値を下げて狙われないようにしようって嘘じゃない?」
「でも、あいつが仮面を脱いだところ、確かに一回も見たことないぜ? 酒場でも口のとこに穴開けて食ってたし」
「てか、何で寝てる時も仮面脱がないって知ってんだろ?」
「そりゃそういう関係だからだろ? 歳も近いらしいし、別におかしくなくね?」
「でもそれだと、ヤってる時も仮面のままってことか? うわー、俺絶対いらねーわ」
「私も、一生仮面はちょっと……」
「シワシワなんて絶対嫌! 近づくのも嫌よ!」
(どう、スタン? これならアンタにちょっかいを出す奴が大分減ると思わない?)
そんな周囲の反応に、今度は本当に小声でアイシャがスタンに話しかける。だが当のスタンはというと……
「…………むぅ」
無責任に飛び交う憶測を聞きながら、実に腑に落ちない様子で小さく唸るのだった。





